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2017-06-18

弘前のラーメン ②


「弘前のラーメン」

などと、いかにも検索されそうなキーワードタイトルですが、第1回目の内容はほぼジャロ状態でした。(前回の記事は⇒コチラから)

しかも普段からラーメンの写真など撮りためてませんので、画像も少なく…本日もほぼ文章でのブログになります。

前回の「弘前のラーメン①」を読まれた方はおわかりだと思いますが、この記事は、弘前の人気ラーメン店を紹介する記事でもなければ、ディスる記事でもありません。ただの私自身のラーメン史ですので、軽く読み流していただければ気が楽です。

さて、前回の続きになりますが、30年以上前の弘大生が通った飯屋といえば、そう「富田飯店」です。通称「トミハン」 私はここの「肉めし」と「中華風カツ丼」が大好きでした。学生に人気だったのは「マーボ豆腐定食」かな。たしか当時300円だったと思う。

「トミハン」でもラーメンはあったと思うのですが、正直あまり食べた記憶はありません。大学生のころって、ラーメンといえば、味噌ラーメンやタンメンなどボリュームのあるものだったり、または炒飯とのセットとか…普通の中華そば単体ってあまり食べなかった気がします。

ラーメンからは離れますが、「トミハン」以外では、やはり「飯村」が人気でした。「にんにく焼き定食」ですね。ここは。狭い店内にはいつも若者であふれていました。あとは当時まだ西弘にあった「豚珍館」ここはちょっとリッチな中華です。

そして弘大の真ん前にあった「オリーブ&ポパイ」 名物店でしたね!「ポパイライス」「オリーブライス」「ブルートライス」どれも美味しかった。先輩がバイトしてたので、よく行きました。そしてジャンピューターにハマりました(笑) 「豚珍館」以外のお店はもうありません。

さて、こんなかんじで、弘前、とくに学生街には飯の美味しい食堂や喫茶店が多くあったのですが、ラーメンだけを提供する店はあんまりなかったようです。西弘の「くま吉」は「スカットランド」の下にあったので、たまに行きましたが、ここもどちらかといえば、炒飯なんかも食べれるタイプのお店。当時は宅飲みや徹マンをしてラーメンが食いたくなったときは、インスタントを作るほうが多かったのかも。

それでもたまに、先輩達と「ラーメン食いにいぐが」となったときに行ってたラーメン屋。思い出しました。「味平ラーメン」です。

場所は少しうる覚えですが、富田の一戸眼科さんの近くだったと思います。いわゆる「赤ちょうちん」が出ている小さなラーメン屋。当時はその光景を見ると、「かぐや姫」の「赤ちょうちん」を思い出しました(フォーク世代です) 店内の様子やメニューはちょっと思い出せないな。当時の弘大生だった方、情報お願いします。;

そして、書いてて思い出しました。西弘から桔梗野に向かう途中、川を渡ったところに「バスの屋台」がありました。ここも麻雀の息抜きに行ったラーメン屋です。にんにく入れ放題でした。もうみんなでガバガバ入れて食べてました(笑)

しかし考えてみると、現在老舗として有名になっているラーメン屋さんがすでにあったのです。「たかはし中華そば店」も「山忠」もそして「中みそ(チャイナドール)」も。おそらく、大学近辺でしか食べてなかったのだろうと思います。車もなかったし。

そして大学を卒業して、私は土手町で働き始めました。1980年代後半から1990年前半にかけて、世はバブル最盛期。世の中が浮かれてたその頃、何食ってたんだろ。お昼は「葡萄屋」が多かった。働いてる店の上にあったし。あとは「銀水食堂」 お!ようやく今でも行く店の名前が出てきました。

 

土手町、鍛冶町界隈では知る人ぞ知る名店

ただ、おもに食べてたのはラーメンではなく「肉うどん」と「カツカレー」でした(笑)それから、かなりディープな場所ですが、中土手にラビリンス的な通路があったの憶えてます?「珍満」があり、床屋があり、そして奥まったところに「スパイス」というカレー屋がありました。ここのカレー、よく食べてたな。…ラーメンの話なのに「珍満」は素通り。ごめんなさい。

ん~…どっかラーメン食べてたかなあ?あ、「特一番」のラーメンセットは食べてました。あそこはボリューム満点でしたね。

書いててまた思い出した!中央市場の「ふるさと」さんの「舞茸味噌ラーメン」自分の店がルネス街向かいに移転してからは、よく食べました。出前もしてくれたし。食事後は店内が味噌ラーメンかまりがブガブガして顰蹙もの(笑)

こうしてみると、そのころ食べてたラーメンって、今どきの煮干中華はほとんどありません。普通の中華そばって、なんとなく年寄りの食べるものってイメージがあったかも。あとは飲んだあとか。

働いてる店はずーっと土手町でしたが、1993年ころに自分の住所が第4城東に移りました。もしかしたらこれを機に、いろんなラーメン屋を巡るようになったのかもしれません。城東方面に移り住むと、郊外を車で走ることになります。自然に食べ歩く範囲も広がりました。

まず、「ラーメンショップ」青森県内各地にありますが、弘前石川にあるお店でよくセロリラーメンを食べました。ちょうどこの頃、青森や弘前に和歌山ラーメンができはじめ、いわゆる豚骨魚介系のラーメンが出始めました。ラーメンショップの醤油ラーメンもこれに近く、世間的にもこってりラーメンの人気が出てきた頃です。

また、百田にあったころの「峰」 味噌ラーメンとしては抜群のインパクトを持っていましたし、なによりあの熱さ。舌をヤケドした人、数知れず。そして「峰」同様、味噌ラーメンの店として人気を博したのが「だるまや」です。仕事が終わったら城東のバッティングセンターに行って、そのあとは「だるまや」!ってコースが定番でした。

また個人的に好きだったのが、城東にあった「飛龍」です。ここのチャンポン(醤油も味噌もあり)が野菜や肉の具沢山ラーメンで、スープも美味しかったな。あそこの場所は、経営者がころころ変わったようですが、自分は「飛龍」が一番好きでした。

そして夜中の城東といえば誰もが知ってた「スタミナ一番」ミニバンの屋台で、駐車場には自分の車の中で食べるために多くの車が待っていました。あの車で食べるのが良かったですよね。シンプルであっさり味ですが、ひき肉とほんのりニンニクが効いてて。現在は安原に移転していますが、そっちには行かなくなったなあ。個人的には屋台がよかったな。

そう!書いてて思い出した。屋台といえば、弘前には有名な屋台ラーメンがありましたね。弘前公園ねぷた村の駐車場にあった、ねぷた村のラーメン。(正式名称あったのかな?)あの大きいチャーシューは美味しかったですね!舞の海も取材に来てたもんな。

そして桔梗野メディアインにあった屋台「まる金」!ここもほんと美味しかった。スープの出汁が最高で、ふつうの屋台の味を超えていました。この二つの屋台は残念ながらなくなりましたが、「まる金」は市役所近くに移転して営業中。今も人気のお店です。

そして屋台といえば…私にとって伝説のお店。屋台ではないのだが、その名も「屋台屋」 いまだかつて、ここのラーメンを超えるラーメンには出会っていません。

あ、本当に文章だけのブログになってしまいました。というわけで本日も苦し紛れの一枚。

「中華そば屋 おお田」鯛出汁塩そば。身体に染み入ります。

 

予定通り、第3話に続きます。

⇒「弘前のラーメン③」はこちら

 

 


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コメント8件

  • 古川賢一 より:

    ねぷた村の屋台のラーメン、弘前に来てすぐの頃(もう20年近く前になりますが)、よく食べに行きました。あのどでかいチャーシューが魅力の一つでしたね。
    あの頃、今ほど煮干しが全面に出るラーメンは食べた記憶がありません、高橋中華そばを除いて。

    • ferokie より:

      屋台って、あっさりがイメージでしたが、あそこはかなり煮干しがしっかりしてましたね。また食べたいです。

  • masaru より:

    ラーメン店では無いのですが、駅前サンワボウルの向かい2Fに「はくもん」だったかな?ボリューム満点のセットメニューが売りのお店があったと思うんだけどなぁ。我が家では、あそこがご馳走だったかも。
    (*´◒`*)

  • 中の人 より:

    冨田飯店懐かしくてついついコメントしてしまいました。

    屋台村のラーメンは店主の親指がスープに入ってて驚いた記憶があります。
    あと屋台村の近くにある米屋さんでもラーメン出してて何回か食べた思い出がありますね。
    屋台といえば岩木川沿いのデイリーにでてたやってたが好きでよくいってました。
    スカッドピラフとか冨田飯店の肉めしとかミッキーのハンバーグとかまた食べたいなあ….(´・ω・`)

  • 渡部 より:

    ねぷた村の屋台のラーメン、藤崎に移って後閉店したみたいですね〜 釣りに行く前に岩木川の屋台とともに何度も食べました。包丁捌きの上達に合わせてチャーシューがどんどん薄くなったラーメンでした。もう一度食べたいラーメンの代表ですがもう無理らしいです。

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