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2025-08-13

9年前の記憶 〜ツール・ド・ツガル / 陸奥湾一周〜


 

私がブログを初めて書いたのは、2017年の4月だった。

すでに8年も経っているので、どんな理由で書き始めたのかは忘れた。仕事を辞めた後でもブログを書き続ければ、広告収入で少しは稼げるかもしれない…と書き始めたような気もする。

実際、以前は文章の途中に幾つかの広告が貼られ、わずかだがその広告収入もあった。しかし今はそれもない。3年程前に、Google先生からキツいお仕置きを受け、広告を載せられなくなった。

確か、弘前ネプタの怖い写真を載せたのが原因だった。世界中の人間が見ているインターネットの世界においては、たとえ日本の伝統芸能とはいえ、厳しい目を持ったAIロボットがしっかり監視している。

それ以来、ブログは広告のないシンプルなものになった。それはそれで良いと思った。ただ稼ぐツールでは無くなったので書く頻度は落ちた。

 

ファッションやアート、音楽、ロードバイクを始め、ラーメンや温泉、そして日々の暮らしなど、内容は浅くとも数種のカテゴリーのもと、月に7〜8記事、多いときには10記事以上も書いていた。

それは書くネタがあったというよりも、月に何本という目標を持っていたからだった。今は特に目標はない。特別な出来事があれば書こうとは思うが、しょっちゅうあるわけでもない。

 

何かに特化したコンテンツであれば、それに興味を持つ人は読むかもしれないが、芸能人でもないオッさんの日々を綴る日記を読む人はいない。そうであれば、もっと自分勝手に書いたり使うのもありだ。

そう思い、2017年よりも前のアーカイブズを掘り起こしてみようと思った。

ブログをやっていなかった2016年以前は、Facebookが日記代わりになっていた。ただ、Facebookをやっている人ならわかると思うが、過去の「あのとき」を探すのは中々に至難である。

 

時間をかけてFacebookの写真アルバムを遡ってみた。

2016年の8月12日。ちょうど9年前のこの日。私は自分の脚で陸奥湾を一周していた。

 

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2016年8月12日。

八甲田の山々が薄らとシルエットを描き始めた頃、私は弘前を出発した。

お盆期間ではあったが、ほの暗い国道を走る車はほとんどいない。浪岡、大釈迦と7号線をひたすら走り、青森市内へは入らずに油川から蓬田へと脚を廻す。

 

蓬田漁港から陸奥湾を望む

 

陸奥湾沿いの国道280号を走るのは初めてではなかった。前年、津軽半島一周にチャレンジし、この道を北から走っていた。あの時、ちょうどこの蓬田辺りで脚が限界に近づいていた。

津軽半島一周は約200km。ロードバイクを初めて、最も長い距離だった。今回の陸奥湾一周はその距離を上回るロングライドだった。

 

東北新幹線

 

ひたすら北に向かい走る。やがて蟹田の街に着いた。

港に向かうと乗船する予定のフェリーが停まっている。フェリーの受付で乗船手続きをする。

(これから経験をしたことのない旅が始まるのだ…)というドキドキで、当時53歳のオッさんは緊張していた。

 

出航

 

船が陸を離れる瞬間というのは、日頃、陸で暮らしている人間にとってはちょっとした恐怖を感じる。

初めて自転車に乗って隣の街まで走った時のような、あの気持ち。でもちょっと大人になったような気持ち。

 

 

フェリーは、お盆期間限定で増便された朝早いやつで、それがあったからこその陸奥湾一周の計画だった。

 

下北半島

 

蟹田から下北半島の脇野沢まではわずか18km。乗っている時間は60分ほど。近くて遠い場所だ。

 

脇野沢港。乗ってきたフェリーが見える。

 

下北半島はどこかしら津軽とは雰囲気が違う。南部ともまた違う。同じ青森県でありながら、どこか異国なかんじ。他県の秋田や盛岡よりも訪れる機会が少ない。

脇野沢からむつ市まで、ひたすら陸奥湾を眺めながら走る。

 

川内の街も夏祭りの趣

 

むつ市が近づくと、大湊海上自衛隊の戦艦が見えた。目の前に戦艦が現れるというのも、どこか現実離れしている気がした。

脇野沢から約40kmを走り、むつ市内に入る。市内の中心地にあるJRの駅まで走る。このとき、むつのメインの駅が「むつ駅」でも「田名部駅」でもなく「下北駅」であることを初めて知った。

 

下北駅

 

この頃はFUJIのX-T1をカメラバッグに装備し、ロングライドをしていた。バッグはトータル1kgにもなり、今思えばかなりの負荷である。

おそらく、むつ市内で昼飯を食べたのだろうが、この日のデータにはどこかの店のラーメンの画像だけがあった。

 

むつ市からは、ひたすら陸奥湾沿いの国道279号を野辺地に向かって走った。

しかし、このルートが誤算だった。陸奥湾をのんびりと眺めながら気持ち良く走ろうと思っていたが、実際走ってみると道から海までは微妙に距離があり、海が見えないのだ。ひどく退屈な道を走ることになり、体力も気力も消耗した。

横浜町の道の駅で休憩し、野辺地へと向かう。この頃になると写真のデータもない。撮る気力も失せていたと思える。

 

野辺地で少し休憩を取り、平内を経由し青森市へと向かう。この国道4号もきつかった。路面の状況が良くなかったのだ。道が良くないと、体力以上に気持ちが萎える。

写真のデータが復活したのは、浅虫が近づいた頃だった。この辺りで、走行距離は195kmになっていた。

 

浅虫の海

 

浅虫から青森に入り、国道7号を南下する頃はほとんど体力もなく、街をのんびり走るママチャリよりも遅いスピードになっていた。

画像データの中に一枚だけ、藤崎から撮った岩木山の写真があった。

日が沈み、岩木山がシルエットを描いていた。画像データの時刻を見ると18時30分だった。

 

自宅に着いたのは19時過ぎだっただろうか。

しかし記憶が全くない。記録も全くなかった。

 

2016年8月12日。

ロードバイク走行距離250km。フェリー18km。総距離268km。

 

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9年前の自分は若かった。当然だ。

でも、当時53歳にして陸奥湾一周を敢行したのは、なかなか凄いと思うし、少し呆れる。

 

今の自分はそんなに走ることはできないが、何かにチャレンジする気概はあるだろうか。

そんなことを考えるアーカイブズ再考も悪くない。

 


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