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2026-01-26

弘前大学混声合唱団 第60回定期演奏会 〜OBOG合同ステージで涙す〜


 

ふと気がつくと、とっくに新年になったというのにブログを書いていない。

いや、ふと気がついたのではなく、書いてないのは知っていたが、書く気が起きなかったのだ。正月三が日あたりまでは良かったのだが、1月半ばが近づくと、心も身体も余裕がなくなってきた。

まずは何といってもこの雪だ。昨年ほどの積雪ではないが、毎日のように降るとさすがに堪える。運動だと思って雪かきすれば、気持ちも前向きになるが、雪かきが終わってソファにぐったりしてると、他に何もしたくなくなる。晩御飯を作るのが精一杯。

そして17日、18日には娘の共通テストがあった。いわゆる大学受験の一次試験。しかし、娘は受験生だというのに12月から1月にかけて全く勉強していなかった。たまに塾には行っていたが、自宅で勉強している姿は見たことがなかった。

彼女なりの考えがあるのかもしれない。私はそれを追求することもなく、「勉強しろ」と叱ることもなく、黙って彼女の様子をみていた。

当日はいつも通りに朝早く起き、弁当を作った。2日目も同じだった。2日間の試験が終わっても、出来がどうだったか問うこともしなかった。そのうち自分から話すだろう。

 

そんな共通テストがあった18日。弘前大学混声合唱団の定期演奏会があった。今回は第60回の記念演奏会ということで、OBOG合同のステージが企画され、私も参加することになっていた。

前日の17日は市民会館で練習があった。70名ほどのOBOGが集まった。大学を卒業して以来、40年ぶりに再会した同期もいた。当時憧れたソプラノの先輩や、かわいがった後輩もいた。

皆、弘前大学の卒業生ではあるが、意外にも弘前に住んでいる人はわずかだった。私の世代に限っていえば私くらいだった。

そんな事情もあり、私は今回の演奏会の実行委員の一人になっていた。20年ほど前から、かつての勤務先の店の広告を出していたため、現役の学生とはずっと繋がりを持っていた。3年前に勤めを辞めてからは、何人かのOBに声をかけ広告を集める手伝いを始めた。

 

 

人数が10人ほどまでに減った合唱団。コロナ禍で演奏会の中止を余儀なくされ、OBとの繋がりも絶たれそうな時期もあった。

数年前の合唱祭で、先輩OBで多くの合唱団で指揮をされている白崎先生から言われた。

「弘混、なんとか消滅はさせないでくれ」

私にできることなどあるのだろうか?と思ったが、大先輩に言われたら何とかするしかない。幸い、定演プログラムの広告を出すために現役生とは繋がりを持てていた。私は彼らに連絡を取り、練習の様子を見に行くことにした。

私たちの時代とは違い、彼らは食堂のある建物の2階で練習をしていた。髭面のオッさんを見て少し驚いた様子だった。40歳ほども違うのだから無理もない。

人数は少なかったが、彼らはとても良い声をしていた。真っすぐで爽やかな声をしていた。

 

1年半ほど前、彼らから「第60回を記念してOBOGとの合同ステージをやりたい」という話があった。私は快諾し、OB会長の小野くん(ひとつ下の後輩)に連絡を取った。その後、現役生数名とグループLINEを作り、話し合いを進めてきた。

正直、夏頃にちょいと一悶着があり、演奏会そのものを開催できるのだろうか?という時期もあったが、白崎先生や大先輩の森さんの助言もあり、なんとかこの前日練習にこぎつけることができた。夜は駅前の居酒屋で、たくさんの先輩や後輩たちと酒を飲み交わした。

 

本番当日。朝早く弁当を作り、娘を受験会場まで送る。その後、本番の会場になっている文化センターへ向かう。

1時間ほどリハーサルをし、昼飯を済ませ受付へ行く。開場前から多くの方がいらしていた。川村先生や今先生のお顔もあった。

本番直前に同期の仲間で記念写真を撮った。私の学年は当時、最も多かった。ただ残念なのは、我らの学年のヒーローだった鳴海くんが昨年末に急逝したことだ。彼の姿がここにないのは本当に残念だ。

 

 

現役生による第1〜第3ステージを客席で聴いた。彼らの真っすぐな声は、本当に素晴らしかった。この先、男声が加わってくれたら、まだまだ伸びるだろう。

第4ステージはOBOG合同のステージ。総勢100名ほどのステージ。指揮は白崎先生。

私は前列の一番端に立った。1曲目「こころようたえ」の最初のフレーズが鳴った瞬間、厚みのある深い音が会場すべてを包むのを感じた。さすが弘混OBだ!

白崎先生の熱い指揮に身体も心も揺さぶられ、最後は感極まり歌えなくなっている自分がいた。

 

すべての演奏が終わり、ロビーでご来場いただいた方を見送った。OBOGはそれぞれの先輩後輩たちと記念写真を撮っていた。中でもMON(大学正門前にあった喫茶店)のママさんは引っ張りだこだったな。

私は、試験を終えた娘を迎えに行くため、仲間にお別れの挨拶をし、一旦ホテルへ帰るというOB会長の小野くんを車に乗せ、会場を後にした。

「ふう〜 やっと終わったなあ」

車の中で、二人で大きな安堵のため息をついた。

 

県内だけでなく、北海道や宮城、福島、そして関東方面から駆けつけてくれたOBOGの方々は、どんな思いで帰途についたのだろうか。

またいつかみんなで会って歌いたいな、そう思ってもらえたなら嬉しい。

 

白崎先生はじめ、小野くんや森さんにたくさんのことを任せてしまい、正直、自分は大したこともできなかったが、「記念演奏会をやろう」というキッカケを作ることに関われたのは、良い経験になったと思う。

今回この演奏会にご来場された皆様、遠方から参加してくださったOBOGの皆様、小野くんはじめ実行委員としてずっと前から動いてくださった皆様、そして弘混現役生の皆さん。本当にありがとうございました。

また歌おうね。

 

プログラムの広告。40年前の全国大会。中央が鳴海くん、右から4番目が自分。鳴海よ、俺たちの演奏、聴いてたか〜?

 

 

 


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