toggle
2025-04-10

2025 東北旅紀行 「第18回 声楽アンサンブルコンテスト全国大会」〜ふくしん夢の音楽堂〜


 

3月22日の土曜日。「声楽アンサンブルコンテスト」本番の日。

昨日、蔵王の温泉に浸かった後、ポンコツの軽自動車はなんとか無事に福島入りした。

午後、Apioのメンバーと合流し2時間ほど練習。夜はメンバーと晩飯を共にせず、コンビニで少しばかりの食料を買い込んでホテルで過ごした。

というのも、身体のコンディションが最悪だったからだ。

 

弘前出発前から風邪気味だった。熱はなかったので花粉症だったのかもしれない。

とにかく、咳と鼻水、痰がひどく、深いブレスをすると咳き込んでしまうような状態だった。

秋田と山形の温泉に浸かって、幾分回復したようにも思えたが、それは気分的なものであって、やはり本番直前の練習でも咳き込んでしまうような状態だった。

 

それだけではなかった。出発の1週間前に、ちょっとした手術をして一日ではあるが入院をしたのだった。

昨年暮れに健康診断をして、大腸に問題ありと診断された。年明けに、紹介された病院で診察を受け、内視鏡による精密検査を受けることになった。

しかし随分と混んでいるらしく、検査は3月中旬になった。ちょうど福島へ経つ1週間前。

 

検査当日、念のため入院する準備もして病院へ行った。検査自体はそんなに怖くはなかったが、前日に2リットルの下剤を飲み干すのがしんどかった。

軽めの麻酔なので、先生の言うことははっきりと聞こえる。予想はしていたが、いくつかのポリープがあった。ポリープがあった場合は、その場で切除するという約束をしていた。

計3個のポリープを切除。中には大きめのものもあったので、一日だけ入院することになった。数年前の骨折手術以来の入院だった。

ポリープは切除したが、結果が判明するのは10日後ということだった。

 

精密検査の結果がわからずじまいで、アンコンのステージに上がることになった。

なんとも気分の晴れないままでのステージ。そして喉の状態も最悪。それでも、メンバーに迷惑をかけるわけにはいかない。ステージギリギリまで、今できる最高の状態に持っていくしかない。

 

 

今回の福島は気温20度と天気も良く、汗ばむほどだった。

会場の前では、すでに演奏を終えた団体が記念撮影をしている。中に入ると、リハーサルを終えて本番を待つ団体がいる。

いつもながらに緊張感が漂う音楽堂だが、若い団体が増えたのを強く感じる。

Apioが出場する「一般の部」は大人がメインではあるけれど、小中高生が混じった少年少女合唱団や、大学の合唱団、そして高校や大学で歌っていた仲間で結成する20代の合唱団。それら全てが「一般の部」に出場する。

おそらくApioは、平均年齢でいえば、かなりの上位に位置するであろう。そう考えると、メンバーの中で最高齢の自分は、出場者全員(ざっと計算して1800人)の中でもベスト10位に入っているのは間違いない。

 

「一般の部」計40団体のうち、Apioは32番目とかなり後半。ステージの袖にスタンバイした頃は、すでに16時半になっていた。

Apioのひとつ前で演奏していたのは、三重県の女声アンサンブルだった。わずか9名ながらも素晴らしい演奏だった。聞いたことのない作曲家の曲だったが、難度の高い曲をクリアな音質でみごとに歌い上げていた。

 

 

Apio、本番のステージ。演奏はルネサンスを代表する作曲家パレストリーナ( Giovanni Pierluigi da Palestrina )の2曲。

1曲目の『NUNC  DIMITTIS』は、私がセンターだった。いつもであれば、左端に立つベースだったが、この曲は4声部が二つに分かれて歌うダブルコーラス(計8声)となっていた。私は第1グループのベースだった。

各パートが1人〜2人というのはなかなか痺れるが、これもアンサンブルの醍醐味。個人的には大きな合唱団よりもこうした少人数で歌うほうが好きだ。

この『NUNC  DIMITTIS』は、曲自体とても好きで、普段は下で鳴らしているベースだが、主旋を歌う場面も多い。

なんとか咳き込むことなく歌うことができた。

 

2曲目は『Ave  regina  coelorum』 これも8声によるダブルコーラスだが、ベースは1パートのみなので、いつもの左端へと移動。

一昨年から取り組んでいる曲なので、比較的落ち着いて歌うことができた。

実は、2025年はパレストリーナ生誕500周年である。日本の江戸時代よりも前に、これほどの作品を書きあげていたことに驚く。

長年、パレストリーナを歌ってきたApioだが、「今回はすべてパレストリーナでステージに上がろう」という特別な思いもあった。

 

体調は万全ではなかったが、自分なりにはしっかりと歌えたという気がした。

いつもであれば、どこかフワフワした感じで気がつくと演奏が終わった…ということが多かったが、今回は落ち着いた気持ちで演奏できたように思う。

おそらく、万全でなかった体調がそうさせたのだろう。

 

歌い終えた我々は記念撮影をし、残り僅かな団体の演奏を聴くことにした。

全ての団体の演奏が終わり、発表まで少し時間があったので音楽堂の外に出てみた。

外はすでに暮れ始めていた。

 

音楽堂

 

夜、福島市内の居酒屋でメンバーみんなと酒を交わした。

審査の結果は、残念ながら上位に入賞することはできず、翌日の本選へ進むことは叶わなかった。

上位の入賞団体は圧倒的に若い団体が多く、特に金賞5団体の中に少年少女合唱団が3団体もあった。

彼らのキラキラした真っ直ぐな声には敵わない。おそらく練習量も相当なものだろう。きっとこのような傾向は、今後も続くに違いない。

 

審査発表前のステージ壇上

 

しかし考えてみると、年長ベスト10(おそらく)のオッさんが、このような素晴らしいステージに立つことができるというのは、幸せこの上ないことではないだろうか。

数日前に手術してきた60を過ぎたオッさんが、若者たちと競うことができるなんて、幸せ以外の何物でもない。

 

しかし若者よ。オッさんは杖をついても君たちに挑んでみせるぞい。いつか見ておれ。

何故か爺さん言葉になっておった。

それにしても酒が美味い。検査の結果が怖い。

 

3月22日(土) 東北旅紀行三日目 

 

不安を残したまま、明日は仙台へと続く。

 

 


関連記事