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2025-10-21

盛岡旅紀行 〜思い出の「後生掛温泉」〜


 

9月はイベントが盛り沢山で、書くべきネタもあったのだが、なんとなく忙しく感じているうちに10月になってしまった。

日記としての機能は芳しくないが記録としては使えるので、タイムラグはあれど少しずつ書いておこう。

 

9月の27日と28日。1泊2日で盛岡へ行った。全日本合唱コンクールの東北大会に出場するためだ。いつもはアンサンブルコンテストに参加しているApioだが、今回初めて全日本合唱コンクールに参加した。

Apio結成以来、歌い続けてきたルネサンスの巨匠パレストリーナ(Giovanni Pierluigi da Palestrina)。今年はそのパレストリーナの生誕500年と言われ、コンクールの課題曲にも選曲されていた。

結果は金賞で、盛岡で開催される東北大会への推薦をいただくことができた。

 

せっかくの機会だから2泊3日にして、秋田から岩手にかけての温泉巡りでもしようかと計画していたが、数日前から体調を崩した。娘が風邪を拗らせ、しばらく学校を休んでいたのだが、どうやらもらってしまったらしい。

3月に福島へ行ったときも酷い風邪を患ってしまったが、今回も本番直前に風邪をひくとは情けないのひと言。

喉の調子も良くないし、他のメンバーに移してしまっては大変だ。盛岡のホテルに1泊することにはしたが、練習の参加は見送ることにした。

 

ホテルの部屋でダラ〜と時間を過ごすのも勿体無いと思い、道中どこかの温泉に立ち寄ってみることにした。

メンバーには申し訳ない気もしたが、温泉で少しでも体調を回復できれば…という言い訳を自分にする。

 

小坂峠は九十九折が多く運転もしんどいので、高速で十和田南まで走る。十和田市や十和田湖という名に慣れている青森県民にとっては、秋田の十和田という地名にはやや違和感を感じる。

高速と並んで走る国道282号から国道341号(田沢湖を経由し角館へと通ずる)に入る。しばらく山の中を走り、やがて分岐を左折し「八幡平アスピーテライン」を走る。

いくつものカーブを抜けると、やがて温泉の看板が現れた。さらに小さな路を進んでいくと立ち上る湯煙が見える。

 

後生掛温泉

 

道沿いに車が駐車している。どうやら混んでいるらしい。建物からずいぶん離れたところに車を停め、温泉道具を手にそこからしばらく歩いた。

ここの温泉を訪れるのは2度目だった。

 

18年前の11月、私と妻は婚姻届を提出した。記念にこのままどこかへ行こうかとなった。

理由は忘れたが、秋田の温泉に行くことになった。その頃の私は、特に温泉好きというわけでもなく、県外の温泉はあまり知らなかったが、妻の提案で八幡平の後生掛温泉に向かうことになった。

温泉に着いた頃、空はやや暗くなり始めていた。湯煙が上がる温泉の周りを散策した。

建物はいかにも湯治場という雰囲気があり、木の湯船は歴史を感じさせる…そんな温泉だったと記憶している。

 

18年前の記憶というものは、相当にあやふやなものであることを理解した。

旅館棟らしき目の前の建物には全く記憶がなかった。宿の横道を下っていくと温泉棟がある。これも記憶がない。

 

建物横の坂を下っていく

 

温泉棟

 

受付でお金を払おうとしたら、ちょうどキャンペーンをやっていて無料だと言われた。それで混んでいるのかもしれない。

清潔感のあるキレイな脱衣所。おそらく、ここ数年の間に改装したのだろう。記憶がないのも当然だと、再び理解した。

 

山間の温泉は館内に高低差があるのが良い

 

〜公式ページより〜

 

中はいくつかの湯船や泥湯、箱蒸風呂がある。段差のある動線には記憶があった。

木枠で囲まれた湯船も記憶のイメージに近い。しかし、カランなどは最近の仕様になっていて、全体的にもややイマドキの温泉になっている気がした。

露天の記憶は全くなかったが、外に出ると小さめの露天があった。2〜3人も入ると狭いくらいだ。

身体を洗った後は「神経痛の湯」という内風呂に長目に浸かった。浸かりながら18年前のことを思い出してみたが、映像は全く現れてこなかった。

湯船を囲む木の触感が蘇っただけだった。

 

自分の記憶と現実が違っていたとしても、何も落胆することはない。時間は日々過ぎ去っているのだ。

それとともに、自分の記憶も勝手に歪められている。

 

2007年11月 後生掛温泉にて

 

 

(それでも、ここに立ち寄れて良かったな)

立ち上る湯煙をミラー越しに見ながら、盛岡へと車を走らせた。

 

 

 


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