2025 東北旅紀行 白石湯沢温泉「旅館やくせん」から「震災遺構」へ
福島でアンサンブルコンテストを終えた翌日、ポンコツ軽自動車は国道を北上していた。
宮城蔵王に向かう県道46号に入ると、道は少し狭く、急勾配の九十九折りになった。やがて県境を越え宮城県へ入った。
県境を越えると赤い鳥居が並んでいるのが見えた。「萬蔵稲荷神社」という神社がこの奥にあるらしい。つがるの高山稲荷を思い出した。
鳥居の近くに石碑が立っている。「七ヶ宿街道」と彫られている。
福島から山形、秋田を経て青森に至るかつての羽州街道の一部と書かれてある。このような険しい峠を昔の人は歩いて越えたのだろうか。
峠を越えると、道は緩やかに下りだした。畑の中にポツンと看板が見えた。
そこに書かれている「旅館やくせん」が目的地の温泉だ。
玄関を入ると大正ロマンを思わせる吹き抜けがある。受付のお婆さんに料金を支払う。
「建物の雰囲気がいいですね」と話しかけたが、「温泉は向こうです」という答えが返ってきた。耳が遠いのかもしれない。
廊下の奥の方に歩いていくと浴場があった。先客が一人だけいた。
大きなガラス窓から木々の景色が見える。新緑はまだ先だが、少しずつ緑色に変化しようとしているのがわかる。
天井が高く、いくつもの柱が格子を組んでいて趣がある。湯船はひとつだけで露天はなかった。
公式ページを見ると、ここは日本でも数少ない「含石膏芒硝泉」という温泉で、慢性皮膚炎や動脈硬化症に効能があるほか、飲用にも適していて、慢慢性便秘や肥満症、糖尿病などにも効くのだとか。
病み上がりの自分のためにあるような温泉だが、泉質自体は強烈な臭いや味がするわけではない。一昨日の蔵王に比べるとおとなしい。
この温泉の起源(というか伝説)が、壁に大きく書かれてあった。
なんでも「千二百年前に弘法大師様が立ち寄り、足湯だけでもと湯浴みを求めたものを、お金を取れそうにない見た目から追い払ったことによる…」その後、延々と続く超大作物語が書かれてある。
先客が上がり、一人になったので、ゆっくりと全部読んでいたらのぼせそうになってしまった。
伝説ではなく現実の話としては、
「宮城県と福島県との県境に宿場集落があり江戸時代からお湯が湧き出ていた。 長い間、利用されてなかったが、平成6年『宮城県公害衛星検査センター』に泉質調査を依頼したところ、日本でも数少ない含石膏芒硝泉 と分析され、飲用にも適したすばらしい温泉と判明。利用しないのはもったいない、と今の主人が権利を買い取り『旅館やくせん』をスタートさせた」らしい。
まあ、弘法大師が惚れこんだ温泉なのだ。なんとも、ありがたい温泉ではないか。
「やくせん」をあとにして、ポンコツは山道をくだり続けた。
やがて国道4号に合流し、さらに東へ向けて走る。岩沼市に入り、仙台空港に向かって走る。
しばらく走ると小さな標識が目に入った。
「東日本大震災 津波到達地点」
太平洋の海までは、直線にしてまだ3kmほどある。が、津波はここまで来ていたのだ。
14年前のあの日、今、私が走っているこの道を、あの大きな波が襲ったのである。
私は少しだけ身体が震えるのを感じながら、仙台空港の下を走る地下道に潜っていった。
3月23日(日) 東北旅紀行四日目
「震災遺構」へ向かう。