2025 東北旅紀行 〜仙台のラーメン〜 「だし廊」
荒浜と閖上をあとにし、仙台市内に向かった。
チェックインしてしまうと、車の出し入れの手続きが面倒くさそうだったので、ホテルには向かわずに市内を走ってみることにした。
仙台市内の道路は車線が多く、ジャイゴ育ちは緊張し、ハンドルを持つ手に力が入る。
北の方角に向かって走った。
43年前、仙台の予備校に通っていた。下宿していたのは泉市南光台。現在は仙台市泉区となっている。当時の予備校から下宿への帰り道を思い出しながら走ってみた。
東照宮を過ぎると、小松島公園の大きな池がある。東北薬科大学がすぐそばに見える。その辺りから坂道となり、坂を上りきると南光台の街並みが広がるはずだ。
ぼんやりではあったが、記憶はほぼ合っていた。
しかし上りきったところに、あの頃はなかった大きなバイパスが走っていて記憶は途切れた。そして、イヤな記憶が蘇ってきた。
ひぃひぃ言いながら自転車でこの坂を上っていたとき、数台の暴走族のバイクに煽られた。私は思わず転んでしまった。それを見て、暴走族の奴らがゲラゲラ笑っていた。しばらくの間、この坂道がトラウマになったことを思い出した。
坂を越えると南光台の住宅地に入るが、道が縦横に整然と整備された街だったが故、住んでいた下宿がどのあたりだったか、まったくわからなくなっていた。
あのときは私の他に、石巻、山形、盛岡から来た予備校生が下宿をしていた。
元気な小学生の男の子と背の高い高校生の女の子がいたっけ。そう考えると、下宿屋のおばさんは、あの頃40代だったのだろうか。今の自分よりもはるかに若い。今でも元気にしてるだろうか。
(たぶん下宿してたのは、この辺りかな)
あの頃はなかったセブンイレブンに車を停め、珈琲を飲みながら少しの間、夕暮れの南光台の街を見ていた。
仙台の中心地は駅の西側だが、東側にある榴岡公園の方に車を走らせていた。
仙台の名物に「仙台せり」がある。その「仙台せり」を使った美味いラーメンで人気の「中華そば一休」が榴岡にあった。
事前にチェックした閉店時間より1時間ほど前だったが、なんとなく不安を感じ、近くのショッピングセンターに車を停め店へ走った。
「本日のスープが売り切れとなりましたので、閉店いたします」
山形でも米沢でも候補No.1の店に入れなかったことで、すでに耐性はついていた。
当然、他の候補の店もチェックしている。しかし19時になっていたので、店は絞られる。仙台も15時までの営業という店は多いのだ。
「仙臺 くろく」は仙台のラーメン屋ランキングの常連で、店舗がいくつかある。定禅寺にある新しい店に向かった。
仙台駅下のトンネルをくぐり駅の西側へ出る。さすがに街は人と車で賑わっている。道幅が広い定禅寺通りを走る。
大通り沿いにあるので駐車場はない。とりあえずは店の前を通ってみよう。万が一ということもある。
万が一というのは確率にすれば0.01%であるが、そんな確率でも当たるものだ。何故か店は閉まっていた。
山形でも2軒振られたのだ。まだ大丈夫だ。
もはや他にどんな店をチェックしていたか、わからなくなっていた。20時に近くなっている。
スマホで検索して、ある店が目に留まった。
「だし廊」
ホームページがとてもお洒落だったので、記憶に残っていた。青葉通りのすぐ近く。5分ほどで行けそうだ。
今度は店の前を通ってみることはせず、近くのパーキングに車を停め、店まで駆け足。ここがダメなら諦めよう。
暖簾が出ていた。限定メニュー売り切れの看板が出ていたが、入店できればOKだ。
食券の自販機で「貝だし塩そば」のボタンを押す。席について店内を見渡すと、ラーメン屋というよりはお洒落なカフェのような内装。客も若い人が多い。
私の後から外国人の客が数名入ってきたが、ちょうどそこで暖簾が下ろされた。ギリギリだった。

ラーメン屋らしからぬ店内

注文したのはこちら
仙台は大都会だけあって、この地特有のオリジナルラーメンというのは少なく、多種多様なラーメンを提供する店が数多くある。
そして都会だけあって、それぞれの店のHPもとてもクオリティが高く、お洒落。
公式HP → 「だし廊」
着丼。見た目が美しい。自家製の平打ち太めの麺が新鮮。
塩ベースのスープには、たっぷり4種の貝出汁の旨みをぎゅっと感じることができる。
ムール貝のミソ(ムール貝のむき身にドライトマトやトリュフのオイルをあわせたもの)を、溶いていただくと、もはやラーメンというよりはイタリアン。
ふうう〜。食えて良かった。
「だし廊」 仙台市青葉区一番町2丁目2-11 TKビル1F
3月23日(日) 東北旅紀行四日目 その3
いよいよ明日は最終日。弘前へ帰ります。