2025 東北旅紀行 「 平泉 毛越寺 」
東北旅紀行の最終日。
仙台市内の「FRESH BAKERY&CAKE 石井屋」で朝食のパンを買い込む。台原森林公園を経由、国道4号に合流し北へ向かう。
今回の東北旅紀行の最大の目的は『アンサンブルコンテスト全国大会』のステージに立つことであったが、それとは別に二つの目的があった。
ひとつは、震災遺構「荒浜小学校」を訪れること。そしてもうひとつが、岩手平泉を訪れることだった。
仙台から平泉までは約100km。高速を走らずとも2時間ちょっとで着く。
平泉と聞くと歴史的な街というイメージはすぐに湧く。多くの人に知られるのは世界遺産「中尊寺」だろう。しかし、今回の目的は「中尊寺」ではなく「毛越寺(もうつうじ)」だった。
12年前、娘と妻と3人で車で仙台に向かった。
「仙台に行く途中、平泉に立ち寄りたい」と妻からリクエストがあった。「毛越寺」に行ってみたいというリクエストだった。
歴史に疎い自分でも「中尊寺」は知っていたが、「毛越寺」は耳にしたことがある程度だった。
妻は文学好きだったが、美術や音楽に関しても私より遥かに通じていた。
平泉に入ると、街はすでに歴史を感じさせるような佇まいを魅せる。
とくに平泉駅から「毛越寺」へと通じる路沿いの建物は、景観への拘りを感じさせる。
平日とあって駐車場は空いていた。「毛越寺」の目の前には平泉小学校がある。羨ましい立地だ。
拝観券を購入し境内に入る。正面に本堂が見える。12年前の記憶がぼんやりと蘇ってくる。

毛越寺 2013年

毛越寺 2025年
本堂で手を併せる。
境内には「大泉が池」という大きな池があり、池沿いの散策道を歩くことができる。
私は、12年前の記憶を辿るようにして、池のまわりをゆっくりと歩いた。

大泉が池 2013年

大泉が池 2025年
まわりに立つ木々も、池の中央にある中島も、12年前と変わらぬ姿を見せる。
変わったのは12年の年齢を重ねた自分。
「毛越寺」の歴史について。
「白鹿伝説」
寺伝によると嘉祥3年(850年)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされます。
「歴史」
毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。
(毛越寺公式HPより)
池を一周した後、境内にある小さな茶屋で蕎麦を食べる予定にしていた。
12年前、その茶屋であんみつを食べた記憶があった。確か蕎麦もあったはずだ。
しかし、境内を見渡しても店らしい建物が見当たらない。拝観券を売っていた山門の近くに小さな建物があった。
近づいてみると、建物の中に看板や暖簾が見える。どうやら、あの時の茶屋はここらしい。
張り紙があった。「本日の営業はお休み」
(連日のラーメン屋だけでなく、ここでも振られるのか〜)と思ったが、別の貼り紙を見ると「そば・うどん終了のお知らせ」とあった。
おそらくコロナ禍をきっかけに、蕎麦の提供を終えたのかもしれない。

松風庵 2013年

松風庵 2025年
甘味を味わいながら、12年前のあの時に想いを馳せるという願いは叶わなかった。
12年前と変わらぬ「毛越寺」ではあったが、やはり時は流れていた。
いつか娘と二人でまた来よう。
五日間にわたる東北一周旅も、あと少し。
アンサンブルコンテストのステージ。震災遺構を訪れたこと。妻と娘との思い出。
いろいろことを考える時間を持つことができた旅であった。
3月24日(月) 東北旅紀行五日目
来年も東北一周できたらいいなあ。