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2024-09-01

「 神 秀次郎 写真展 」


 

津軽には尊敬に値する素晴らしい写真家が数多くいる。

「神秀次郎」氏はそのひとりであり、私にとっては最も尊敬する写真家、そう確信している。

私が本格的に写真を始めたのは15年ほど前である。その後、写真仲間たちと幾度か写真展を開催するうちに、弘前以外…青森や五所川原在住の写真家の方々とも知り合う機会が増えた。

そういった方々と話をすると、度々名前が出てくるのが「神秀次郎」氏だった。なんでも鶴田の写真クラブや西北五の写真協議会の重鎮であり、青森県写真連盟の会長もされたという人物。主に津軽の風景を撮り、以前は「岩木山」を主題にした写真展も開催されたらしい。

(津軽にはよくあるタイプの風景写真家かな?)と思ったし、そもそも昔から組織というものに属するのを苦手としていた自分にとっては、そのような立派な組織のトップにいる方とは無縁だろう。そう考えていた。

 

五所川原にある「ふゆめ堂」は、地元でも人気のギャラリー&カフェで、津軽に住むアート好きの人たちにもよく知られる。私の写真仲間も何度か個展やグループ展を開催しており、その度に訪れている。

数年前「ふゆめ堂」に立ち寄ったときのこと。その時が初訪だった思うが、確か窓際に座りカレーを注文した記憶がある。

カレーが来るのを待っている間、時間を潰すために本を読むことにした。カフェでは携帯をいじるよりも本を読む方が良い。

書棚にはいくつものアート誌が並んでいた。その中に「追想の峰  岩木山」と題された写真集があった。

津軽によくある岩木山の風景写真かと思い何気にページをめくると、そこには見る者を一瞬で惹きつけるモノクロの写真があった。それが「神秀次郎」氏の写真との出会いだった。

 

8月24日。私は五所川原のエルムに向かった。

2階のギャラリーホールで神さんの個展が開かれていた。正確には『回想』というタイトルがついた「写真・陶芸二人展」である。

神さんから招待の葉書をいただいていた。今回の作品展は、3年前に他界された陶芸家の奥様との「二人展」であることが記されていた。

 

ホール壁面を数十点ほどの神さんの作品がぐるりと囲む。そして、その作品の前には奥様の陶芸が並んでいる。

いただいたパンフレットに神さんの言葉があった。

「妻は余命1年の告知を受け、傷心のうちにふるさとの見納めの思いからか、頻繁に県内各地を訪れました。特に西目屋の「津軽白神湖」への想いが強く、夫として『逝く者送る者』の両視点からの1年半の想いを作品としてまとめてみました。80年近く生きて来た証としての二人展です」

 

神さんの写真は、いつものように素晴らしい神さんの写真だった。

モノクロのイメージが強いが今回はカラーが多い。しかし、そのほとんどの色は淡く青く、時おり木々の緑や黄がわずかな色彩をのぞかせる。

 

 

 

誰が見ても美しいと思える絶景のフレーミングはせず、湖面が魅せる不思議な光景を独自の視座で切り取っている。どこか侘しく、寂しく、それでいて力強い。心の奥をぎゅっと掴まれる。

前に並ぶ奥様の作品も、素朴でありながら土の力強さを感じさせる。自分は陶芸には疎いが、茶碗やコーヒーカップなどは、見た目も美しく実際に使ってみたいと思わせる質感があった。

 

神さんに挨拶をしに行くと、いつものように柔らかい笑顔で迎えてくださった。

神さんは私より遥かに年上であり、人生の大先輩であり、そして尊敬する写真家である。だから、とても失礼に当たるのは承知で書くのだが、以前から神さんの写真にはどこか自分の写真と共通するものを感じることがあった。

勿論、氏の作品の質の高さに全く及ばないのは自分が一番わかっている。だがあえて、失礼を承知で神さんにそのことを伝えた。そうしたら神さんはこう言った。

「私も本間さんの写真見てそう思ってたのさ」

この言葉には驚いた。自分のような拙い人間の作品を観て、写真の大先輩がそのように思ってくださるとは。お世辞も入っているとは思うのだが、とても嬉しくもあり励みになった。

 

 

でも、ふと思ったことがある。

いろいろお話をするうちに、尊敬の念はますます強くなった。が、憧れるのはこのくらいにしておこう。憧れると、その人の作品を真似しかねない。

作品を拝見して「良かった」と思ったのは勿論だが、それ以上に「自分をしっかり持つ」ということの大切さを痛感させてくださった大先輩の写真展だった。

 

 


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