「 パリオリンピック 2024 」
パリオリンピックが終わった。
昔は、オリンピックや世界陸上、ワールドカップなどは、かかさず観戦するタイプだったが、いつの頃からか、テレビにかじりついてオリンピックを観ることはなくなった。
メディアがメダルの数を煽るようになったからだろうか。年々、コマーシャリズムを感じるようになったからだろうか。
しかし今回は思いの外、多くの競技を観戦した。理由ははっきりしている。時間が自由になったからだ。
欧米で開催されるオリンピックは競技時間が夜中から未明が多く、仕事勤めがあると夜更かししての観戦はシンドい。
今回は、自分が仕事を辞めてから初めてのオリンピックだ。ちょうど夏休みに入り、娘の弁当作りからも解放されていた。
柔道の誤審騒ぎから始まった感のあるパリオリンピック。ネットを見ても、誤審のニュースだらけで気持ち悪いし、そもそも指導狙いの柔道は見ていてもつまらない。
阿部詩が早々に敗退し、マットを降りたところで号泣すると、ネットでは「ギャン泣き」と誹謗が飛び交った。確かに、控室に戻ってから大泣きすべきだったのだろう。
まだ若い女の子だし感情が溢れてしまうのもしょうがないだろう…と思い、掲示板にそんなことを書いてみたら(初めて書いてみた)、ボコボコに叩かれた。もう絶対書かないと決めた。
それにしても、村尾三四郎はカッコよかったなあ。ハーフでありながら、誰よりも日本人の所作を体現していたし、銀メダルに終わった時の悔し涙のインタビューもグッとくるものがあった。
柔道と同じ期間に開催されたスケートボードも盛り上がっていた。まだ10代の女の子たちの活躍。堀米雄斗の大逆転金メダル。
ファッション業界に身を置いていた自分としては、スケボーはまさにストリートスタイルそのものであり、どんな他の競技よりも興味が湧くかと思いきや、意外とそうでもなかった。
もともとスケボーやダンスをスポーツとして見ていなかったからだろう。そして、技の難度がよく理解できないことも理由のひとつで、実況解説が「出たあ!フロントサイドハーフキャブオーリー!」とか言ってもさっぱりわからない。
まあそれはスケボーに限った話ではなく、体操や柔道もそうなんだけど。でも体操や柔道は技の名前を知らなくても見た目でなんとなくわかる。歳相応ということだろう。
体操の逆転金メダルは確かに凄かったが、実は寝落ちして観ていなかった。
メダルの可能性が高い体操は人気の種目であるが、個人的には観てるとドキドキしてしまい心臓に良くない。結果を確認してから、翌日ゆっくり観た。歳相応である。
若い人たちに人気があったのは、やはりバスケ、バレー、サッカーだろうか。
特にイケメン揃いのバスケやバレーの人気は凄い。バスケも柔道同様に誤審問題に揺れていたが、個人的にはネット上の誤審騒ぎにやや辟易し、オリンピックに対する熱も冷めかけていた。
メダル獲得数に貢献したレスリングやバトミントン、また強国を破って大健闘したフェンシングなど、後半にかけて盛り上がる競技もあったが、自分はテレビが映し出す競技を流されるままに観るようになっていた。
後半、オリンピックの華でもある陸上が始まると、少し気分が上がって観るようになったが、日本が決勝まで残る競技は少なく、熱くなる場面はあまりなかった。
海外選手もかつてのカール・ルイスやウサイン・ボルトのようなスーパースターが不在で、全体的に盛り上がりに欠けたような気がする。
しかし最後の最後に、女子槍投げで北口榛花が金メダルで締めてくれた。チェコ語がペラペラになるくらい、チェコで練習を積んだ北口選手の努力は並大抵のものではなかっただろう。
いや、オリンピックに参加した全ての選手が皆そうであり、出場が叶わなかった選手もそれは同じはずだ。
テレビに映ることのなかったあらゆる競技にも多くのドラマがあったに違いない。選手ひとりひとりにドラマがあっただろう。
時間があるというだけで、この数日間、なんとなく観ていたオリンピック。
涙ぐむ場面もあったし、がっかりする場面もあったが、自身が感動するところが昔とは違っているような気がした。
アスリートの個がふっと垣間見えたときに、気持ちが揺さぶられたように思う。負けたときのコメントはまさにそうだった。
これも、歳を重ねたせいかもしれない。歳相応なのだ。
4年後はロスアンゼルス。
コマーシャリズムが強くなるオリンピックを、少し冷めた目で観る自分がいるかもしれない。
歳を重ねた自分が村尾三四郎のリベンジを観て、涙を流しているかもしれない。
オリンピックが終わり、世の中はお盆になった。
テレビはオリンピックから高校野球に変わっていた。
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