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2018-02-28

「習字」と「駅の生そば」


新幹線での日帰り出張に行ってきた。

新青森までは車ではなく、弘前駅からの在来線を使うようにしている。冬の雪道ではなおさらのこと。

朝早くJRを利用する際、とくに寒いこの時期は決まってすることがある。「駅の生そば」を食べることだ。

弘前駅のそば屋さんは「こぎん」という、いかにも津軽弘前ならではの名前だ。

開店が6時20分なので、6時37分の電車にはギリギリ間に合う。食券の自販機の前で待っていたら、お店の方が3分前だったけど中に入れてくれた。

昔から「駅の生そば」を食べるときは「天ぷらそば」が多かったけど、ここではかなりの確率で「鰊そば」をいただく。

1〜2分も待てば、できあがる。いわゆる「津軽そば」は茹で時間が少ない。高級蕎麦のような「モチモチ」した食感がないので、朝からかっこむには最高の「そば」だと思っている。

鰊そば

「駅の生そば」とはいえ、各駅で使っている「そば」はどうも違うようだ。

新幹線で利用する新青森駅の「そば」は弘前駅のものとは違って粉っぽいし、たまに行く八戸駅の「そば」は当然全く異なる。弘前あたりで、よく食べられる「津軽そば」は、いわゆる「コシ」はほとんどなくて、どちらかといえば「ぷつぷつ」切れてしまうような食感。

蕎麦通の人が初めて食べると驚くかもしれない。食感がもの足りなさすぎてクレームがくるかもしれない。それほどあっさりとした「そば」である。

でも、それが僕たちが小さい頃から食べてきた津軽の「駅の生そば」だった。

昔「駅の生そば」といえば「川部駅」が最も有名だったらしい。青森方面に向かうための待ち合わせ時間に、誰もが食べたという話をよく聞いたが、自分ではあまり記憶がない。

自分にとって「駅の生そば」といえば、高校生の頃、五所川原の駅で食べた「生そば」であり、小学生の頃、鰺ヶ沢の駅で食べた「生そば」だった。

私は、小学校の1〜2年のあたりに、「書道」を習い始めた。いや、当時は「習字」と言っていた。

親戚のお爺さんが、「習字」を教えていたらしく、初めてそこに行ったときに「いち」だったか「そら」だっかを書いて、たいそう褒められた記憶がある。

小学校の4年あたりになって、別のところに通うようになった。そこは「館」という部落で、今では「マエダストア」や「ハッピードラッグ」など、鰺ヶ沢にしてはやたらとロードサイドのチェーン店が並ぶあたりだが、40年前はポツンと離れた部落だった。

当時住んでいた自宅からは結構な距離があったが、鰺ヶ沢駅の線路を横切り、田んぼのあぜ道をてくてくと、なるべく最短距離を歩いた。

「習字」の日は、確か土曜日だったと記憶している。

当時はもちろん週休二日ではない。土曜日は午前授業で、昼食なしでウチに帰る。習字道具を持って「館」部落に向かう。

そして途中にある鰺ヶ沢駅に立ち寄り、そこで昼飯として「駅の生そば」を食うのだ。「習字」に行くのは大層面倒だったが、「駅の生そば」を食うのは週一の楽しみだった。

食べるのは、だいたいが「天ぷらそば」だった。もちろん海老天ではないし、野菜のかき揚げでもない。すぐに崩れて、ツユと一緒に飲み込めそうな、あの安っぽい天ぷらである。

値段は…忘れた。かけそばで七十円くらいだったろうか。「天ぷらそば」で百円くらいだろうか。毎年、十円くらいずつ値が上がったような気もする。

たまに「うどん」も食べた。子供なりにその時その時で食べたい「ブーム」があるのだ。

それでもやはり、あの「ぷつぷつ」切れる「津軽そば」に落ち着くのだった。

五所川原に通学していた高校時代も、「駅の生そば」にはお世話になった。

音楽部の部活が終わると、18時半頃の電車になった。帰ってからの晩御飯までが待てなくて、よく五所川原の「駅の生そば」を食べた。

ウチに帰ると、腹は減ってなくて、よくオフクロに叱られた。

大学の時、合唱コンクールの全国大会で長野に行った。

そこで初めて「信州蕎麦」を食べた。そのときは、「こんなにも美味しい蕎麦があるのか!」と感動し、「信州蕎麦」に比べたら、「津軽そば」は味も食感もチープすぎる!と思った記憶がある。

やがて津軽でも、気がつくと「そば」は「蕎麦」になり、いつしか「天婦羅蕎麦」は高級な食べ物になっていた。

それでも、たまにあの「津軽そば」が食べたくなる。おそらく、同じような思いをする津軽人は多いのだろう、町の「食堂」や「市場」に行くと、あの「津軽そば」はいつでも食べることができた。

値段も400円前後と、ラーメンに比べると良心的。なんとなく小腹が空いたときには、相変わらずかっこめる「サッパど」する「そば」である。

しかし、自分にとっての「津軽そば」は、やはりあの「駅の生そば」なのだ。だから食べたくなったときには弘前駅に行く。

いつだったか、かなり前に鰺ヶ沢に帰ったときに駅に行ったら、「駅のそば屋」はなくなっていた。あの習字へ行ったときに、いつも寄り道していた「駅のそば屋」がなくなっていた。

車社会の現在、コンビニの乱立する現在、田舎の「駅のそば屋」がなくなるのは、必然なのだろう。

弘前駅で「駅の生そば」を食べるとき、決まって私は、田んぼのあぜ道を歩いて「習字」に向かう、小学生の自分を想い出すのだ。


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