鰺ヶ沢のラーメン / 『ラーメン 寛』の「塩煮干しらーめん」
かわいい黄色が似合わぬ髭面のオッさんは、山田野の菜の花畑を早々に退散した。
ところどころにある桜の木には、少しだけ花が残っていたが、ほとんどの花びらは路面に散っていた。
鰺ヶ沢へのツーリングは一年ぶりだろうか。
旧鳴沢小学校からの坂を下り、南浮田を走りすぎると目の前に日本海が現れる。私は、そのまま海沿いのバイパスを港の方まで一直線に走り、いつもの『たきわ』へ向かった。
菜の花畑で思った以上に時間を費やしたので、とっくに昼を過ぎていた。大した距離は走っていないが、腹は減っていた。
(今年はウニ丼が早くも解禁となっているらしいし…でも、いつものカマ焼き定食もやっぱり食いてえし…)と頭と舌は海鮮モード。『たきわ』に着くやいなや、ロードを立てかけて入り口をガラガラと開けた…が。
あやややや。すげ〜人。ほぼ満席に近い。そして、ほぼ満席にいる人々が、髭面のチャリダーをじぃーと見る。思わず戸を閉めた。
GWも終わったというのに、スゴい混みようだ。どうやら鰺ヶ沢の人気グルメスポットとして定着してしまったのだろうか。嬉しいような悲しいような。
私は来た道を少しだけ戻り、岸壁で休みながら海を見ることにした。
雲ひとつなく、細長いコンクリートを境に二種類の青色があった。
(さて、どうしようか。また、番場食堂で中華そばでも食べるかな)
そう思いながら、私は生まれ育った舞戸へ向かって再び走り出した。「ふくいのたこ焼き屋」を過ぎたところで、橋を渡らずに小さい道を右に折れる。小さい頃、海水浴場の脱衣所があったところだ。
そのまま川沿いを走り、昔世話になっていたガソリンスタンドの前に出る。ふと、スタンドの向かい側にラーメン屋があることを思い出した。
以前から前を通る度に気にはなっていたが、まだ入ったことのない店だった。
「塩煮干し」というノボリも妙に気になり、入り口にロードを立てかけて店に入った。客は私だけだった。
メニューを見るといろんなラーメンがあったけれど、ノボリにもあった「塩煮干しらーめん」が一番上に載っている。迷わずそれを注文した。(あとから知ったのだけど、ここは「担々麺」が人気らしく、この「塩煮干し」は最近のメニューらしい)
店内はこじんまりとしているが、カウンターの他にテーブル席と小上がりもあった。夜は地元の人が一杯やるのだろうか。
壁を見ると「舞の海関」のサインがあった。「舞の海」の実家は、このラーメン屋のすぐ近所にあった。
「舞の海」は、五つ下の後輩である。舞戸の新田町という同じ町内で生まれ育った。子どもの頃、新田町の集会所で一緒にネブタを作ったり、相撲を取ったりしたものだ。
小さい頃から身体のバネが半端なかったことを憶えている。まあ、「舞の海」は私のことなど憶えていないとは思うけど。
「塩煮干し、お待ちどうさま」
目の前に現れたラーメンは、とても美味しそうな色をしていた。
適度に縮れた麺も美味い。そして特筆すべきはチャーシューだ。厚さが1cmほどもあり、その食感もまるで角煮のようである。その角煮のようなチャーシューが2枚も入っているのだ。
そして食べているうちに、その角煮のようなチャーシューから脂が溢れ出していく。初めはしょっぱいと思っていたスープが、その脂の甘みと相まって旨味のあるスープへと変化していくのだ。
知らぬうちに、完食。そして完飲していた。750円はちょっと高いなと思ったが、納得のできる味だった。
「ごちそうさま」と言うと、女将さんが「自転車でどちらからいらしたんですか」と訊いてきたので「弘前からです」と答える。(実際は地球村からだったが)
「舞の海のサインありますね?」
「あ!私、舞の海と同級生なんですよ。ウチもすぐ近くで」と女将さん。
「新田町ですよね。私も新田町の出身なんです。で、たまにチャリで来るんですよ」
「えー!そうなんですかー!」
初めて入ったラーメン屋で、思わず45年も前の話で盛り上がってしまったのだった。
鰺ヶ沢。いいところです ^^
ラーメン 寛
青森県鰺ヶ沢町田中町62-3
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