「誤用」の豆知識 / 『的を得る』VS『的を射る』
言葉の誤用の記事を読んでいると、必ずと言っていいほど登場するのが、「『的を得る』と『的を射る』はどっちなの?」というヤツ。
結論から言えば『的を射る』が正解で、『的を得る』は誤用となっている。確かに「的は射るもの」であるから、そうなのだろう。
しかし、これは誤用の世界(そんなのあるのか?)では『的を射る問題』として、多くの学者を巻き込みながら、未だに混沌としているらしいのだ。
同志社女子大学の日本語日本文学科の教授が、わかりやすく解説しているので、ご一読を。
「的を射る」と「的を得る」。あなたはどちらが正しいと思いますか。普通には「的を得る」は誤用とされているのですが、既に江戸時代の『尾張方言』という本に「的を得ず」とあるので、単純に誤用とは断言できそうもありません。
もともとこの表現は弓に関わるものですから、武士階級の中で生まれたものと思われます。ですから使用範囲は狭かったはずです。それが庶民に広がったことで、誤用が生じたのかもしれません。ただし必ずしも誤用ではなく、そこに方言が紛れ込んでいる恐れもあります。
政権が京都から江戸に移ったことで、関東の言葉が主流になっていきました。さらにそこに東北方言などが流入することになります。かつて会津藩出身の新島八重について調べていた際、「い」と「え(ゑ)」の区別が曖昧であることに気付きました。それを当てはめると、「いる」と「える」はたちまち相通してしまいます。つまり本人は「射る」のつもりで「える」と発音したものが、相手には「得る」と伝わりそのまま表記された可能性もあるわけです。こうなると単なる誤用とはいえませんね。
実はこの「的を得る」表現を最初に誤用としたのは、『三省堂国語辞典』の第三版(1982年)だとされています。それが第七版(2013年)に至って誤用云々が削除され、改めて正しい使い方として掲載されました。三省堂は自らの誤りを訂正したのですから、これぞ「一日三度反省する」という三省堂の名にふさわしい行いでしょう。
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説明はとてもわかりやすのだが、結局のところ「誤用なのか、誤用ではないのか?」…どっちなんだろう。
それにしても「方言」に関するくだりは、津軽に住む人なら「なるほど!」と思うに違いない。西北五地方に生まれ育った自分にとっては尚更で、「い」と「え」の発音の違いがよくわからぬご老人が、まわりにたくさんいた。いや、ほぼ全員がそうであった。
読み書きをまともに勉強することが叶わなかった時代。そんな時代で育った我々のおじいさんやおばあさんは、「話し言葉」でいろいろな言葉を学んだはずだ。
『射る』や『得る』にどんな漢字が当てはめられていたのかなど、いちいち考えることもなかっただろう。
自分自身も、小さい頃から『的は得るもの』として覚えていたし、使ったこともあったかもしれない。
しかしここ数年、この言葉を使ったことはない。『的を得る』が間違いで、『的を射る』が正しい…と知った後でも、使うことはなかったような気がする。
その理由ははっきりしている。「誤用」が明らかになったせいで、使いづらくなってしまったからだ。
写真仲間数人で、酒を交わしながら写真談義をしている。そのときに僕が言った。
「この写真誌に書いてある〇〇さんの記事、なかなか的を射(い)てるよね!」
「うんうん!… ん? いてる?」
きっと、不穏な空気が流れるに違いない。
(あ、この人「得(え)てる」と間違ってる)とか(あ、この人、誤用だと思われないようにわざと使ってる)とか(あ、この人、ナマってるw)とか。
話す相手が、この言葉をどのくらい理解しているかによって、その場の空気も変わる。そもそも「なかなか的を射(い)てるよね!」なんて言うのも、自分自身がムズムズする。
かといって(誤用かもしれない。指摘されるかもしれない)と思いながら「なかなか的を得(え)てるよね!」というのもなんだかな…と思うと、人前で使えないのである。
こうして普通に話されていた「話し言葉」が使いづらくなり、知らぬ間に消えていく…そんなこともあり得るのかもしれない。
一昔前までは、仮に間違いであっても、平気で使っちゃう言葉はたくさんあったが、今のご時世、「誤用警察」がいろんなところで目を光らせているらしい。
まさに「御用だ!御用だ!」の世界である(スイマセン)
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