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2023-01-08

『 マイノリティ 』


 

夕方、おばけやさいの配達があり、弘前公園方面へ車を走らせた。

夕方とはいえ、北国の1月はすでに暗く、ほとんどの街灯が灯っている。

青森銀行記念館の前を通り、弘前公園が近づくと、いきなり満開の桜が目の前に広がった。真冬だというのにだ。

 

ピンクがほとんどだったが、ところどころに紫の花も咲いている。

追手門のところに来ると、観光客だろうか、幾人かがスマホやカメラを抱えて満開の桜を撮影していた。

私は市役所の前を通り、ネオンのごとく輝く桜を横に見ながら、鷹匠町の方へ下りていった。

 

2014年の弘前城。冬のモノクロームが美しい。

 

私は弘前大学に入学する前の1年間は、仙台で浪人をしていた。

高校時代から洋服が好きだったが、この仙台での1年間で完全にそれにハマることになった。そして、誰もが着ていないブランドやアイテムを血眼になって探すようになった。

それは、大学に進んでも変わることはなかった。上野行きの夜行列車に乗って、地元では手に入らないブランドを東京で探し求めた。

 

洋服屋に勤めるようになってからは、珍しいインポート物やデザイナーズブランドを身につけたいがために、自らバイイングして仕入れた。

やがて、国内での仕入れだけでは物足りず、パリやミラノのコレクションに足を運ぶようになった。

ヴィンテージやネイティブなアイテムも仕入れるために、ロサンゼルスやラスベガスのショーまで足を運ぶこともあった。

 

ファッションに関しては「マイノリティ」だった。

「マイノリティ」とは一般的に「少数派」と訳されるが、この小さな街においては、誰一人とも着るモノが被らないことを求める「マイノリティ」だった。

でも今になって思えば、それは「井の中の蛙」であって、高いところから俯瞰してみれば、ただの「ミーハー」だった。

確かに、自分のまわりには同じ格好をしている人はほとんどいないが、ファッション業界の中に身を置くと、業界の人間に認められようとする「ミーハー」で、展示会に集う多くのバイヤーの一人に過ぎなかった。

 

洋服屋を辞めた今はむしろ逆になっている。

スエットパンツに長靴を合わせ、マウンテンパーカを羽織り、スーパーに行っても自然に馴染む地元のオッさん。

正直言えば、オシャレをして街を歩いて「あ、確か洋服屋にいた人だ」と思われるのが恥ずかしいのかもしれない。

まあ、他人はいちいち人のことなど気にしていないけどね。

 

冬にピンク色の満開の桜を目にするのは、あまり好きじゃない。

あのネオン色の桜は、どこか品がないと思うし、歴史ある弘前公園や目の前に立つ前川建築にもそぐわないと思う。

こんなことを書くと、弘前市民からは袋叩きにあうかもしれない。(交差点で拡声器片手に訴えるつもりもないし、自分のブログにこっそり書くことぐらいはいいだろう)

 

弘前公園も市役所や市民会館などの前川建築も、すでに存在する歴史的財産である。

そうした時間が作り上げた街の財産を生かすには、これから先の時間にも生きるよう考えなければならない。

確かに雪が降り積もった桜の木にピンク色の灯りをあてるのは、満開の桜を思わせ人目をひくし、ニュースにもなってきっと観光客も喜ぶだろう。

でも、なんとなくだけど、時間が作り上げた周囲の財産の価値を落としているように思えてならないのだ。

ライトアップに反対しているわけではない。夜道には明かりが灯っていた方が安全だしね。

ただ、ライティングのデザインや、それによる弘前という街の時間デザインをもっと考えた方がいいと思うのだ。

 

市民会館の窓に映る夕焼け雲。前川建築にはピンクよりほのかな橙色が似合うと思う。

 

自分はランドスケープデザイナーではないので、たいしたことは言えないが、もう少しほのかな薄明かりでもいいんじゃないかな。

追手門のあたりだけではなくて、そのほのかな薄明かりを石場家住宅の方までぐるりと囲んであげると、公園の良さも引き立つと思う。

市役所前の街灯が、雰囲気あるオレンジ色だから、それとも呼応するように思う。もちろん、もっと素敵なアイデアがたくさんあるには違いないけど。

いずれにしても、時間が作り上げるデザインは当然時間がかかるし、忍耐力が必要かもしれない。

 

おそらく、こんな意見は「マイノリティ」で、右から左へさらっと流されてしまうだろう。

でも、自分は「マイノリティ」を装う「ミーハー」であるからして、同じような考えを持つ人は他にもいるんじゃないかなと思う。

本当の「マイノリティ」は、こんな負け犬のように吠えず、もっと寡黙であり、自らのアートで表現するはずだから。

 

 

 


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