ツール・ド・ツガル / 還暦ヒルクライム【 酸ヶ湯温泉で そばまんじゅうを食う 】
最近、晩御飯を食べた後にすごく眠くなってしまい、その日にあったことをブログに書くことが難しくなった。
その日にあったことを書く場合はリアルな気分で書けるけど、数日経つと、どうしても記録的な書き方になってしまう。
というわけで、先日の土曜日のライドは記録日記ということに。
前回のブログの「追悼ライド」でも書いていたが、毎シーズン5月には酸ヶ湯までヒルクライムをしていた。
今年はそのタイミングを逃していたが、土曜日の風向きが八甲田へ向かうには良さそうな風であった。
温湯温泉まではロードを車に載せて行く。帰りに温泉に浸かるのも予定に入れている。
温湯〜酸ヶ湯往復はおよそ40kmだが、復路はほぼ下るだけなので、実質ペダルを廻すのは上りの20kmほど。
しかしこの20kmがキツい。キツいのはわかってるのに、何故か年に2回、新緑と紅葉の季節に酸ヶ湯ライドにチャレンジしていた。
勾配がキツいのは2箇所。だいたい頭に入っている。
最初のキツい上りは、大川原温泉を過ぎてからトンネルの手前まで。この区間は風景も退屈で精神的にもシンドい。
ただ、キツくても、ゆっくりゆっくりペダルを回せば、目的地に着くこともわかっている。たとえ遅くてもだ。
20%近い勾配は無理かもしれないが、10%ならなんとか上れる。ただし、それも何歳まで続けられるかはわからない。
トンネルを超えたところで休憩。
休憩は何度とっても良いことにしている。梅エキス入りのスポーツドリンクを飲む。
こんな山の中でもスマホは通じるので、休みながら娘とラインのやり取りをする。現代のテクノロジーはスゴい。
そして、ここから城ヶ倉大橋までの上り坂もスゴい。2回目の激坂だ。
2回目の激坂は、永遠にまっすぐで精神力が試される。
最初の激坂に比べると風景が良いのが救いだ。
ブロロロロローーー!
すぐ横をポルシェが走り過ぎていった。なんだかムカつく。
ポルシェが嫌いなわけじゃないけど、なんだかムカつくのだ。
そういえば、中学生の頃に流行った「サーキットの狼」では、ポルシェとロータスヨーロッパが好きだった。
ポルシェは911とか930とか、あのフォルムが好きだったけど、928が出た時はポルシェじゃないと思った。
克雪シェルターが見えてきた。ここまで来ると、激坂も終りに近づく。
このシェルターに入ると、フッと温度が変わる。そして発する声が響く。
激坂ではヒーヒー言うだけだったが、シェルターの中に入るやいなや、でかい声で歌いだす。これも毎度のことだ。
シェルターを越えると、やがて「八甲田のわき水」に着く。ここでゴクゴクやるのが良い。
はずだったが、わき水は出ていなかった。どうやら水が枯れているらしい。
この先のトンネルを越えると路は下り、視界が開けて「城ヶ倉大橋」が見えてくる。
いつもであれば、西に岩木山を望むことができるが、この日はうっすらと霞んでいた。
岩木山のシルエットはわずかに見えるかどうか…なので、今回は反対方向の八甲田をパチリ。
ここまで来れば、酸ヶ湯まではあと3kmほど。
焦ることもなく、ゆっくりとペダルを廻す。路の両脇には残雪はほとんどない。
S字カーブを越えると、硫黄の匂いと共に焦げ茶色の建物が見えてきた。
右手には残雪があった。さすが酸ヶ湯だ。
これまで何度もこの路をロードで上っているが、やはり酸ヶ湯温泉の建物が見えると達成感がある。
正直、距離も大したことはないし、時間も先輩ヒルクライマーたちの倍近くかかっているだろう。
それでもいいのだ。なんせ、還暦なのだ。
考えてみれば、自分がまだ学生だった頃、60歳といえばかなりのオッさんである。おじいちゃんと言ってもいいだろう。
だって自分が学生だった頃、親はまだ還暦にはなっていなかった。
自分の親が60歳の時に、自転車で酸ヶ湯まで上ったりしたら仰天するだろう。
だから、「上りきれた」…それだけでも十分満足なのである。
紅葉シーズンに比べると観光客は少ないが、それでも駐車場にはたくさんの車があり、売店は賑わっていた。
蕎麦でも食べようかと思ったが、すでに昼飯は済ませていたので、名物の「そばまんじゅう」を食べることにした。
ここに来るとよく食べることの多い「そばまんじゅう」
「まんじゅうふかし」とも言われるが、よく見ると焼印が「まんじゅう」ではなく「まんじゅ」…となっている。
そういえば、酸ヶ湯温泉の裏手にある「まんじゅうふかし」は「子宝の湯」と言われてるらしい。
だから「まんじゅう」ではなく「まんじゅ」だったのか。
還暦から遡ること50年。
小学生だった頃のジャイゴワラシが興味津々になった言葉だった。
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