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2024-01-10

ティティとの別れ


 

夜中、ベッドの足元に何かの気配を感じると、それはやがて私の顔のところまでやって来る。

鼻のあたりをクンクンとした後、布団の中にもぐり込み、私の股のあたりで丸くなり眠り始める。

寝返りもできず、ぐっすりと眠ることができない。

これが私とティティとの日々だった。

 

年明けは、能登半島の大きな地震と羽田の飛行機事故でニュース漬けとなった。

何かざわざわとした気持ちで、私はニュースを見続けていた。

その傍らで、ティティが嘔吐した。

 

昨年の暮れあたりから、たまに嘔吐をすることがあった。

しかし、新年の二日目は、1時間おきに嘔吐を繰り返した。いつもより苦しそうに見えた。

食欲がないのか食べ物はほとんど口にせず、水も飲まなくなっていた。

 

三日目も嘔吐を繰り返した。

何も食べていなかったので、身体から出てくるのは胃液ばかり。

リビングから出ていき、家族の目の届かないところで嘔吐するようになった。

夜に、廊下で苦しそうな鳴き声が聞こえたので様子を見にいくと、床が赤く染まっていた。

血尿だった。

 

四日目、朝一で知り合いの動物病院に行った。

どうやら膀胱が尿で膨れ上がっていて、排泄できないらしい。

以前から膀胱炎の傾向があったが、知らぬ間に悪化していたようだった。

先生が膀胱に管を通す治療をする。すると詰まっていたらしい血栓が取れ、真っ赤な尿が溢れ出た。

尿が出たことによって、ティティは少しだけ楽になったようだった。

 

しかし、家に戻っても彼は何も口にすることはなく、ひたすら眠るだけだった。

たまに目を覚まし起き上がり、どこかへ行こうとするが、ほとんど歩くことができない。

抱きかかえると、私の顔を見て力なく「ニャ」と鳴いた。

 

五日目も病院へ連れていく。

前日と同じような処置をしてもらう。尿の排出とともに点滴もしてもらう。

あれだけ重かったティティの身体が、心なしか軽くなっていた。

 

 

 

ウチに来た頃のティティ

 

ティティがウチに来たのは5年前だった。

知り合いが生まれたばかりの子猫を保護し、飼い主を募っていた。

ウチにはすでにタンポポという猫がいたが、妻が引き取りたいと言った。

二人で引き取りに行くと、小さなキジトラがミィミィ鳴いていた。

 

妻が亡くなってからは、私と娘がティティとタンポポの世話をした。

娘はティティと仲が良かった。私の布団にもぐり込んでこない時は、娘の傍らで寝ていた。

 

デカくなったティティ

 

六日目。

この日も病院で同じような処置をしてもらう。

「同じことを繰り返しても、自分で食べたり飲んだりすることができないようなら、厳しいかもしれません」と、先生が言った。

私も娘もそう感じていた。

 

家に帰り、小さな布団に寝せてあげる。

娘が塾に行ったので、私はティティと一緒に午後の時間を過ごした。

16時頃。ソファでウトウトしていたら、物音がした。見ると、ティティが布団から這い出していた。

「ティ!」

私は驚いて抱き上げた。

 

きっとまだまだ動き回りたいのだろう。

ヤンチャな彼は、いつもタンポポを追い回しては、シャー!とやり返されていた。

 

私が抱いていると、娘が塾から帰ってきた。

「ほら、ティ抱いてあげな」と娘の腕の中にティティを抱かせてあげる。

すると「ニャーーー!」と叫んで身を反らせた。

娘はびっくりしたように「ティ、ごめん、ごめん」と言って布団に寝かせた。

するとまた「ニャーーー!」と、目を見開いて叫んだ。

そして動かなくなった。

ティは動かなくなった。

 

 

「私が帰ってくるまで待ってたんだ」と娘は言った。泣きながら言った。

「そうかもしれないね」 私も泣きながら言った。

 

 

 

夜中、ベッドの足元に何かの気配を感じることはなくなった。

布団の中にもぐり込み、私の股のあたりで丸くなり眠り始めるヤンチャ坊主はいない。

寝返りもできるし、気持ちよく眠ることができるようになった。

 

気持ちよく眠れることが、こんなに寂しいとは思わなかった。

 

 


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