ティティとの別れ
夜中、ベッドの足元に何かの気配を感じると、それはやがて私の顔のところまでやって来る。
鼻のあたりをクンクンとした後、布団の中にもぐり込み、私の股のあたりで丸くなり眠り始める。
寝返りもできず、ぐっすりと眠ることができない。
これが私とティティとの日々だった。
年明けは、能登半島の大きな地震と羽田の飛行機事故でニュース漬けとなった。
何かざわざわとした気持ちで、私はニュースを見続けていた。
その傍らで、ティティが嘔吐した。
昨年の暮れあたりから、たまに嘔吐をすることがあった。
しかし、新年の二日目は、1時間おきに嘔吐を繰り返した。いつもより苦しそうに見えた。
食欲がないのか食べ物はほとんど口にせず、水も飲まなくなっていた。
三日目も嘔吐を繰り返した。
何も食べていなかったので、身体から出てくるのは胃液ばかり。
リビングから出ていき、家族の目の届かないところで嘔吐するようになった。
夜に、廊下で苦しそうな鳴き声が聞こえたので様子を見にいくと、床が赤く染まっていた。
血尿だった。
四日目、朝一で知り合いの動物病院に行った。
どうやら膀胱が尿で膨れ上がっていて、排泄できないらしい。
以前から膀胱炎の傾向があったが、知らぬ間に悪化していたようだった。
先生が膀胱に管を通す治療をする。すると詰まっていたらしい血栓が取れ、真っ赤な尿が溢れ出た。
尿が出たことによって、ティティは少しだけ楽になったようだった。
しかし、家に戻っても彼は何も口にすることはなく、ひたすら眠るだけだった。
たまに目を覚まし起き上がり、どこかへ行こうとするが、ほとんど歩くことができない。
抱きかかえると、私の顔を見て力なく「ニャ」と鳴いた。
五日目も病院へ連れていく。
前日と同じような処置をしてもらう。尿の排出とともに点滴もしてもらう。
あれだけ重かったティティの身体が、心なしか軽くなっていた。
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ウチに来た頃のティティ
ティティがウチに来たのは5年前だった。
知り合いが生まれたばかりの子猫を保護し、飼い主を募っていた。
ウチにはすでにタンポポという猫がいたが、妻が引き取りたいと言った。
二人で引き取りに行くと、小さなキジトラがミィミィ鳴いていた。
妻が亡くなってからは、私と娘がティティとタンポポの世話をした。
娘はティティと仲が良かった。私の布団にもぐり込んでこない時は、娘の傍らで寝ていた。
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デカくなったティティ
六日目。
この日も病院で同じような処置をしてもらう。
「同じことを繰り返しても、自分で食べたり飲んだりすることができないようなら、厳しいかもしれません」と、先生が言った。
私も娘もそう感じていた。
家に帰り、小さな布団に寝せてあげる。
娘が塾に行ったので、私はティティと一緒に午後の時間を過ごした。
16時頃。ソファでウトウトしていたら、物音がした。見ると、ティティが布団から這い出していた。
「ティ!」
私は驚いて抱き上げた。
きっとまだまだ動き回りたいのだろう。
ヤンチャな彼は、いつもタンポポを追い回しては、シャー!とやり返されていた。
私が抱いていると、娘が塾から帰ってきた。
「ほら、ティ抱いてあげな」と娘の腕の中にティティを抱かせてあげる。
すると「ニャーーー!」と叫んで身を反らせた。
娘はびっくりしたように「ティ、ごめん、ごめん」と言って布団に寝かせた。
するとまた「ニャーーー!」と、目を見開いて叫んだ。
そして動かなくなった。
ティは動かなくなった。
「私が帰ってくるまで待ってたんだ」と娘は言った。泣きながら言った。
「そうかもしれないね」 私も泣きながら言った。
夜中、ベッドの足元に何かの気配を感じることはなくなった。
布団の中にもぐり込み、私の股のあたりで丸くなり眠り始めるヤンチャ坊主はいない。
寝返りもできるし、気持ちよく眠ることができるようになった。
気持ちよく眠れることが、こんなに寂しいとは思わなかった。
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