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2023-07-09

「 蜻蛉 」


  1.  

お盆の時期ならまだしも、7月の初旬に蜻蛉(トンボ)を目にすることは珍しい。

でもあの日、確かに蜻蛉は目の前にいたのだ。

 

二年前の7月の初め。

妻が空に旅立った翌日。

私は一睡もすることができず、夜を明かした。妻と出会った頃からの写真を眺め、一人酒を飲みながら、夜を明かした。

 

朝から近所に住む義母と叔母がキッチンに立ち、私と娘のためにひや麦を作ってくれていた。

誰もが口数は少なく、重苦しい時間だけが流れていた。

 

11時頃だったと思う。

増築した住宅へと向かう渡り廊下を歩いたとき、窓の外に何かがいるのに気づいた。

(蜻蛉だ…)

大きな窓のすぐそばの壁に、一匹の蜻蛉がとまっていた。

(あ…)

私はすぐリビングに戻り、娘に言った。

「こっちにおいで。ママが来てるよ」

娘は窓辺に走り寄り、壁にとまっている蜻蛉をじっと見つめていた。

 

キッチンにいた義母と叔母にも伝えた。

二人は表情を変えて窓辺に歩み寄り、そして妻の名前を叫んで泣いていた。

 

 

このとき、一匹の蜻蛉を見て「妻だ」と思ったのには、理由があった。

ほんの数ヶ月前だったが、私はネットである記事を読んだ。そして何を思ったのか、その記事をそのまま保存していたのである。

 

…………………………………………

 

通夜と葬儀のあと、兄や姉は日常に戻り、私が残って母と5日間ほど過ごすことになった。

父が寂しくないように、母と仏間で食事をすることにした。すると、いつ入ってきたのかわからないバッタが1匹、仏間にいることに気づいた。

父がいつも座っていた、床の間を背にした場所。しばらくそこでじっとしている。私や母が近づいても、飛び去るような気配もない。

私は、小学生の頃見送った祖母のことを思い出した。祖母の位牌に小さなクワガタがひっついて離れないので、このままでいいものかと父に問うと、こう言ったのだ。

「死んだ人は、しばらく近くにおる。小さい生き物の姿になって、そばにおるがよ。だから、そっとしといてやらんといけん。気が済んだら、いつの間にかおらんようになるけん、大事にしてやらんといけんがよ」

祖父が亡くなった時には、雨蛙がお供え物の上で長いことじっとしていた。気性の激しかった祖母がクワガタ、穏やかな性格だった祖父が雨蛙というのが印象的でよく覚えている

父の言った通り、どちらもいつの間にかいなくなっていた。父は今、バッタに姿を変えてここにいるのだろうか。

このバッタ、お父さんかもしれんよ」と母に言うと、「そうかもわからんねえ」と何度も頷いた。

二人で、「気の済むまでおってええよ」とバッタに話しかけた。

 

…………………………………………

 

 

確かに窓の外にいる蜻蛉は全く動こうとしなかった。

蜻蛉というのは、捕まえようと近づくだけですぐに逃げてしまうが、この蜻蛉は窓をコンコンと叩いても微動だにしない。

そもそもこの時期に蜻蛉を目にすること自体が珍しかった。

赤トンボほど色は赤くなかったが、確かに赤トンボの形をしていた。

 

私はしばらくの間、一人で蜻蛉を眺めていたが、全く飛び立つ様子はなかった。

さすがに昼を過ぎればいなくなるだろうと思ったが、廊下を通るたびに窓の外を見ても、蜻蛉はじっと壁にじっとしていた。

(気の済むまでいていいよ)

そう話しかけた。

 

2021年7月4日 娘撮影

 

 

蜻蛉がいなくなったのは、夕方だったろうか。

寂しいような、少し安堵したような、不思議な気持ちになった。

蜻蛉なら、心地よい風にのってゆっくりと天まで昇っていけるに違いない。

 

 

あの日から二年が経った。

時間が経つのが早いと言うよりも、あのときから時間が止まっているような感覚がある。

それでも、あのとき号泣していた娘も高校生になった。

やはり時間は早いスピードで過ぎ去っていた。

 

いや、早いスピードで動いているのは時間ではなく、人間の方なのかもしれない。

ときどき、建物の壁にじっと止まっている蜻蛉を見つけると、ふとそう思うのだ。

 


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