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2017-08-08

弘前ねぷた 2017 / Hirosaki NEPUTA FESTIVAL


今年の弘前ねぷたも終わりました。

ねぷたも終われば、津軽の夏も終わる…などと言われますが、あっつ。たげ、あっつ。

今年の祭り期間は、ほぼ仕事でした。

唯一あった休みも、娘の「NHK音楽コンクール」の県大会で青森市まで遠征。なので、今年のお祭りはじっくり見ていません。

5日の大町コース運行の日に、娘が知り合いと一緒に「弘前大学」のねぷたに出ました。娘が来るまで店の前で待っていたので、そのときに1時間ほど見れたくらい。

でもせっかくの機会なので、少しだけ写真を撮ってみました。一人で店の前で見ていても、なんか落ち着かないので、店の2階から。

まだ蒸し蒸しはするが、お月様も顔を出していて、いい夜です。これでビールがあれば最高なんだけど。

じょっぱり大太鼓がきました。

上に乗って叩いている人と同じくらいの高さ目線。妙に緊張します。

続いて子供たちのミニねぷたや小型ねぷたの登場。小型と言っても、担ぎねぷたなどは大型に負けないくらい迫力十分。

今年も「幻満舎」の担ぎは祭りを盛り上げてくれました。カメラを向けるが動きが激しくて上手く撮れません。

私の腕が未熟なのもあるのですが、使っているフジの「X−T1」という機種は動きモノに強くありません。しかも夕方から夜にかけての撮影となるとなおさら。さらに慣れない望遠レンズなので、おそらくはブレブレの量産まちがいなしです。

もともとお祭りにしろ風景にしろ、ポスターになりそうな感じの写真は、腕がないので撮れません。故にあまり興味も湧かずで…

撮れる技術や機材があれば、興味も湧くのかもしれませんが、なんとなく気持ちが向かずに、ここ数年は同じカメラで撮り続けています。

以前は、やはりねぷたを撮るときは、正面から迫力のある画を撮ったり、妖しげな見送り絵を艶やかに撮ったり。また、ねぷたを引く男たちの姿、太鼓を叩く女たちの姿、などを撮るのが常でした。

今でもそういったモチーフには惹かれますし、撮ったりもするのですが。正直、撮った写真を見ても、自分であまり上手いと思わないのです。上手い写真がいい!というわけでもないのですが…

かといって雰囲気があるとか、味があるとか、そういうわけでもない。やはり腕がないのでしょう。

知り合いの写真仲間たちが撮る「ねぷた」の写真を見ると、もうあまりに素晴らしすぎて意気消沈してしまいます。

写真仲間が増えるのは、とてもいいことなのですが、それぞれいろんなジャンルのプロフェッショナルがいるので、自分は何を撮っていいのか、どういう写真を撮っていいのか…わからなくなることもあります。

「他人がどんなの撮っても関係ないじゃん」

というのはもっともな意見ですが、やはり似たような写真があると、後で「パクリ」と言われたりすることもあるし、自分でもなんとなく面白くありません。

それでも年に一度の機会。これを逃すとまた来年までお預けになってしまうので、とりあえずいろいろ撮ってみました。

「ストリートスナップ」とか、「アート」っぽいのとか、いろいろジャンルはあるけれど。「ストリートスナップ」はとても敵わない写真の先輩がいるし。「アート」っぽいってよく言うけど、自分で「アート」と言うのは変な気もします。

「〜っぽい」って他人の評価だから。撮りながらちょっと考えた。

「ねぷた」をメインの被写体と考えずに、ファインダーの中に見える風景の中の、単なる一つの被写体と考えて撮ってみたらどうか。

ほかに写る人や建物や電柱や。全てをフラットに捉えて。撮った写真が「〜っぽいね」と言われるのは、後からの他人の評価である。どんなジャンルの写真に見えるかなどは、後回し。

とにかく撮ってみよう。

しばらくすると、思っていたよりも早く「弘前大学」のねぷたが来ました。私は娘を探したが見つけられず。

店の前が解散地点になっていたが、ねぷた小屋がある大学まで一緒に帰るとお菓子がもらえるらしい。私はカメラをバッグにしまいこみ、車で大学に向かう。

大学に着くと子どもたちはアイスを食べていました。私は、娘と歩いてくれた桃ちゃん親子を一緒に乗せて帰宅しました。

翌日、夜の運行最終日。店の前が見物客で埋まり、仕事もままならないので早じまい。

7時頃、帰宅。ごろごろゲームをやっていた娘を連れ出した。自宅から5分のところに、出発を待つ「ねぷた」が何十台も集まっています。

昨日、一緒に歩いてくれた桃ちゃんたちと偶然会ったので、一緒に見に行くことに。

「ねぷた」の運行も良いが、この集合している雰囲気もなかなかです。出陣する直前の緊張感。いろんな団体が密集しているカオス感。

昨日、なんとなく思い描いていたテーマで、少しだけ撮ってみました。結果的に、まともに撮れた写真はほとんどありませんでした。ちょっとだけオモシロイかな?と思えたのが2〜3点。

それでもなんとなく満足。

そんな視点でファインダーを覗いてみた今年の「弘前ねぷた」を少しだけご紹介。

 

 

こうしてみると、まともな「ねぷた」の写真は一枚もナシ!

あいかわらず、観る人を満足させることのできない「オラっぽい」写真だったかもしれません。(泣)

 

写真語録⑤

「差分を撮ること」

その日、その被写体と出会ったことで自分の中に変化がある。それを撮らなくてはいけない。

旅でもそうだが、もちろんどんな写真が撮りたいか、どんな旅をするのかは予定もしているし、自分の期待が叶うのを望んでいる。しかし、予定したものが撮れても前には進めない。それを繰り返していてもいつか倦むことになる。

今日、そこで何かに出会ったら、必ず自分の中に変化が生まれているはずだ。現場に行くということはそういうことだ。対象をしっかり見るということはそういうことだ。昨日と違う自分が生まれかけている。だから昨日と今日の自分の差分を撮らなければいけない。

写真を始めたばかりの人は幸せだ。カメラを持つと世の中が新鮮に見えるだろう。だが写真を長くやっている人は、その感覚を忘れていく。うまい写真というものがだんだん判ってきて、それを撮ろうとするからだ。何かすでに頭の中にあるものを撮ろうとする。

写真が行き詰まったら、そういうことを考えるといい。人は変化し続けている。その人の写真がいつまでも同じところに止まっていていいはずがない。面白いはずがない。

一つのテーマを追い続けるのがいけないと言っているのではないですよ。人が見て同じことをやっているように見えても全然構わない。ただ、自分の中に、今日そのことに向かい合って生まれる小さな変化を見逃さず写真に撮らなければならないのだ。

~写真家 小澤忠恭氏 の言葉より~

 

 


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