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2017-11-06

『月光とピエロ』


高校1年生のとき、3年生の先輩(中学のときの先輩)に、文字通り担ぎ上げられて音楽部に入部させられた。

身体が小さかったので、先輩は軽々と私を持ち上げて音楽室へ入っていった。

 

それまでギター片手にフォークソングを歌っていたジャイゴわらしは、合唱曲を歌うようになった。

1年生のときの定期演奏会。男声合唱も演奏するらしく、前の年に卒業したS先輩がその男声合唱の指導に来ていた。

『月光とピエロ』という男声合唱曲だった。

なんとも変わった歌詞で、高校1年の自分にはその歌詞の意味がよくわからなかった。

曲は、「ピエロのコミカルさの陰にある悲哀」を感じさせる、叙情的な歌であった。

 

『月光とピエロ』について

詩人、堀口大學(1892-1981)の処女詩集が『月光とピエロ』(1919年)である。この詩集は、フランスのシュルレアリスムの先駆者として知られる詩人、小説家、美術批評家であるギヨーム・アポリネールがマリー・ローランサンに失恋したまま逝去したことを思いやる鎮魂の歌であると考えられている。

その詩集『月光とピエロ』を男声合唱組曲として1949年に発表したのが、清水脩(1911-1986)である。「ピエロ」の孤独な失恋を想起させる「1.月夜」から、死への昇華を彷彿とさせる「5.月光とピエロとピエレットの唐草模様」までの美しい作品となっている。日本音階を基調に作曲され「純日本風」の美しさをもつこの曲であるが、その背景にパリの街に織りなす、悲しい物語が描かれている。

2曲目の「秋のピエロ」は昭和23年の 第1回全日本合唱コンクールの課題曲でもあった。

 

 

トップテノールの高く張り上げる音や、ベースのビリビリと唸るような低音が響き渡る迫力のある歌であるが、確かに悲哀を感じさせる曲だな…というのは、高校生ながらに感じていたと思う。

その後、大学時代から数年所属していた「弘前メンネルコール」で再び歌う機会があった。

CDも購入し、たまに懐かしく思いながら、この『月光とピエロ』を聴くことはあったが、生の演奏を聴くことはしばらくなかった。

 

ほんのつい数日前、Facebookを覗いていると、弘前在住の音楽家でいらっしゃる川村昇一郎先生が「弘前市合唱祭」が開催されることを告知されていた。

そういえば先月、娘の合唱部など市内の小中学校の合唱部が市民会館で演奏したが、その大人版らしい。

どんな曲を演奏するのかな?と、掲載されていたプログラムを見ると、そこにナント『月光とピエロ』があった。

しかも、大学の先輩でもあり、「弘前メンネルコール」の白崎良治先生が指揮をされるのだ。

カレンダーを見たら、たまたま仕事が休みだった。

「おお、これは必ず聴かねばならぬ!」と思わず白崎先生に「ピエロ楽しみにしてます!」とメッセージを送ってしまった。

まもなくして返事が来た。

「ぜひお出でください。というより歌いましょう」と。

 

市民会館 通称「赤ドア」


 

本番まであと5日。

30年以上前に歌った曲を歌えるのかどうかわからなかったが、「ぜひ歌います」と返事をした。

手元に楽譜はなかった。

でも今の世の中、YouTubeなどという便利なものがある。

検索すると、素晴らしい演奏がたくさんあった。

トップのメロディと違い、演奏からベースの音を聴き取るのは難しいが、それでも全体の8割くらいは思い出せた。

その後、本番3日前にメンネルの先輩から楽譜をいただくこともでき、毎晩PCと楽譜をにらみながら練習した。

 

しかし、普段歌っていないものだから、すぐ喉が疲れてしまう。

自転車だけでなく、なんでもやはり日頃から鍛えていないとダメなものだと改めて実感。

おかげで本番前日には、風邪気味なコンディションになってしまった。

 

それでもやはりステージに立つというのは、何事にも代えがたい緊張感を味わうことができる。

この夏から、娘の小学校の合唱部にも、少しではあるが指導に行くようになり、自分の中でもまた歌ってみたいな、という思いが湧いてきていたのかもしれない。

せっかくだから、合唱部の子供たちも招待しようかな、と先生に打診したところ「なかなかない機会なので、是非!」という返事をいただいた。

コンクールで素晴らしい成績をあげている子供たちの前で、無様な演奏はできないな、と思いつつ練習は当日本番の直前だけである。

参加される皆さんは日頃歌っているので、全く問題ないとは思うのだが、やはり自分が心配である。

 

そして当日の日曜日。

娘を連れて市民会館へ早めに行く。

練習をする予定の別棟ホワイエに行くと白崎先生がすでにいらしていた。

そして練習会場に入ると、合唱の先輩方がずらり。少し緊張する。

ただ、昔と違うのは、自分も50年以上生きていると、いろんな人とのお付合いや繋がりというものもあるもので。

今回のメンバーの中でもチャリを通じて知り合った、医師会の佐藤先生がいらしたり、そして、1月に田中屋画廊にて開催された「村上善男とその弟子達展」に出展した際、その発起人でもいらした鎌田先生も参加されていた。

日頃、自分が取り組んでいる自転車や写真が、こういう歌の場でも繋がるものなんだな…と、あらためて、いろんな方々との縁は大切にするべきものだ、と感じた1日でもあった。

 

お昼にステージで25分リハーサルをした。

その後昼ごはんを食べ、一足早く来てくれた合唱部の子たちと一緒に弘前公園を散歩した。

雨上がりの公園は、紅や黄の色をいっそう鮮やかに彩っていた。

 

弘前公園


 

市民会館にもどると、ちょうど合唱部の子供たちと先生に遭遇。

合唱部の子供たちは、全部で15人くらいも来てくれた。

自分の知っている人が来てくれると嬉しいものだが、日頃一緒に活動している子供たちとなるとなおさらである。

 

演奏会は14時に開演した。

私は、1ステージを聴いたところで、ステージの袖に向かった。

2ステージ目が終わると、いよいよ男声合唱のステージ。

いくぶんの緊張感はあるが、審査されるコンクールとは違い、それほどの緊張はない。

 

本番。

私は前列の一番端に立った。

大学の頃から、この位置で歌うことが多く、自分でも一番落ち着く場所だ。

真正面に合唱部の子供たちの姿が見えた。

 

30数年ぶりに歌う『月光とピエロ』

歌うことに必死であったが、心地よく、そして少し何かに酔ったような気分で5曲を歌った。

そして白崎先生の指揮は、やはり歌う側の気持ちをさらにもう一段「グン」と揚げてくださる素晴らしい指揮だった。

歌い終わった後、合唱部のH先生が一生懸命拍手をしている姿が目に入り、少しだけ心が熱くなった。

 

やはり歌うのはいいものだ。

 

『月光とピエロ』より2曲目の「秋のピエロ」。

Ⅱ「秋のピエロ」

泣き笑いして 我がピエロ
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり
Oの形の口をして
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり

月のようなる おしろいの
顔が涙を ながすなり
身すぎ世すぎの 是非もなく
おどけたれども 我がピエロ

秋はしみじみ 身にしみて
真実 涙を 流すなり

 

1990年東西四連より


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コメント3件

  • アバター Masaru より:

    急遽のお誘い
    体調不良
    ぶつけ本番
    それでも達成

    ヒルクラとカブるこの身のこなし。
    やはり本間さんは持っている。
    と確信。

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