「ヒロコン」の定演 と 多田武彦の『雨』
土曜日、「ヒロコン」の定演があった。「ヒロコ」ではなく「ヒロコン」
「弘前大学混声合唱団」通称「ヒロコン(弘混)」の定期演奏会である。
今年で第55回を数える。私の歳と一緒。
学生時代、成人になりたてだった第20回のときも、数年前の第50回記念の演奏会のときも、ずっと昔から「ヒロコン」の定演とは同い年だった。
「ヒロコン」の学生が毎年、プログラム広告の依頼に私のところへ来る。その度に、いつしか自分の年齢を改めて実感する催し物となっていた。
会場は「弘前文化センター」
私たちが現役の頃は、「弘前市民会館」で行っていた。当時は団員が50~60名ほどいたので、団員の家族や友達など聴きに来てくれる人も多かったのである。
ただ、ここ数年は10~20人前後という、混声合唱としてはかなり少ない人数となってしまった。
これが、常に安定しているメンバーであれば、ひとつのアンサンブルとして十分な練習や演奏も可能であろうが、毎年入れ替わる学生の団体となると、次年の新入団員の入団次第では、存続も危ぶまれるという状況には違いない。
しかし、それをひしひしと感じているのは、我々OBではなく、学生である彼ら本人たちであろう。この長い「ヒロコンの歴史と伝統」を絶やしてはならない、という意思が団長の挨拶からも伺えた。
そして指揮者でもあり、私たちの大先輩でもある白崎先生も、まさにそういう思いを抱きながら、日々彼らを指導されていると思う。
今回のステージは計4ステージ。
第1と第2ステージは白崎先生のステージ。
第1ステージはコンクールの報告ステージというのが、ここ最近の「定演の定番」となっているようだが、私にとっては印象的なステージだった。
というのも、今回の「課題曲」が、私が「ヒロコン」時代に歌った「課題曲」と同じだったからだ。
その頃、自分がどんな声でどんな歌い方をしていたか、もはや記憶も定かではない。
50~60人の演奏に比べれば、完成度は劣るかもしれないが、少なくとも当時の自分らよりはとても声が柔らかく、すばらしい演奏であった。
各パートが4~5人となると、良くも悪くもひとりひとりの声は目立ってしまう。それだけに、ひとりひとりが手を抜かずに一生懸命歌っているのが伝わってくる。
第3ステージは、アンサンブルステージだった。
女声合唱、男声合唱、そしてカルテット。4人~8人ほどのアンサンブル。
もともと少ない人数で歌っていることに慣れているせいか、みな堂々と歌っていた。今後はこういう趣向もいいかもしれないな。
ただ、できることならアンサンブルは楽譜を外して、お互いの顔を見ながらもっと楽しく歌うとなお良いのではないだろうか。
そして最後の第4ステージ。
多田武彦作曲の『雨』
よくぞこの曲を選んでくれたと思う。
合唱、なかでも男声合唱を愛唱する人の中には、この作曲家を知らない人はいない。
『柳川風俗詩』『富士山』『雪明りの路』など、「タダタケ」の曲に魅了された若者は数知れないと思う。もちろん自分もその一人であり、仙台で浪人していた頃は、テープがすり減るほど聴いたものだった。
北原白秋や草野心平の詩に曲をつけたものが多く、そのどれもが叙情的であり、日本的であった。
一度、憶えたら、また必ずや歌いたくなる曲ばかりで、それが学生だけでなく、数十年経ったかつての学生たちにも脈々と愛唱され続けている。
そして中でも男声合唱組曲『雨』は男声合唱ファンに最も愛された曲だ。
1967年、明治大学グリークラブが初演。なんと私が5歳のときである。
今回の「ヒロコン」が歌った『雨』は混声合唱に編集されたもの。
もちろん、かつて自分たちが歌った重々しい男声の『雨』とは違っていたが、あの叙情的な『雨』はそのままであった。
そして6番目の終曲『雨』 多田武彦自身は、この終曲『雨』を「私自身の鎮魂歌である」と言っていたらしい。
奇しくも「ヒロコン」の定演のわずか数日前。
多田武彦氏が、お亡くなりになったという訃報があった。先月12月12日のことのようだった。
「ヒロコン」が定演の最後のステージの最後の曲で、この終曲『雨』を歌ってくれた。
私は、溢れる涙を、隣で聴いている娘に気づかれぬようにしていた。
「雨」
作詞:八木重吉 作曲:多田武彦
雨のおとが きこえる
雨がふっていたのだ。あのおとのようにそっと
世のためにはたらいていよう。雨があがるように
しずかに死んでゆこう。
数ある音源の中から、こちらをお借りしました。2分半ほどの曲ですので、合唱に興味をお持ちでない方も是非聴いてみてください。
⇒(多田武彦・雨 【益楽男グリークラブ】より)
多田武彦先生、安らかにお眠りください。
そして「ヒロコン」の皆さん、ありがとうございました。
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