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2018-02-19

【 岩井康賴 個展 ー 平面・立体 ー 】


私は、1982年に弘前大学に入学した。

学部学科は教育学部の「小学校教員養成課程」。どうして小学校の教師になりたいと思っていたのかは、よく覚えていない。

 

「教師」「先生」という職業に特別な思いや憧れがあったわけではなかった。叔父や叔母が教師をしていたので、その影響はあるかもしれない。いや、影響というよりも、親も含め周囲が「先生はいいよ」「公務員はいいよ」みたいな雰囲気があったのは事実だ。

自分的にはいわゆる「公務員志向」はまるでなかったが、絵を描くこと、歌を歌うこと、スポーツをすることが好きだったので、なんとなく「小学校の先生」に向いてるんじゃないかな?と勝手に思っていた節はある。

「国語・算数・理科・社会」ができるよりもいろいろな「実技」が好きな方がいい先生…と安易に決めつけていた、安直な学生だった。

 

そんな安直な気持ちで入学した学生であったから、1年目からまともに講義を受けていなかった。

予備校まで行かせてもらいながら、なんとも親不孝な学生である。そんな不真面目な学生でも、なんとか単位は取得でき、2年生になることができた。

「小学校教員養成課程」といっても、卒業するまで「小学校の先生」になるための勉強をするわけではなく、2年生になった段階で、何かしらの研究室を選択しなければならなかった。国語であったり、算数であったり。また音楽や体育であったり。

専攻した専門授業の単位を一定数取得することができれば、「中学校教員の免許」も取得できるのである。

 

私は「美術科」を志望した。

歌を歌うことは好きだったが、楽譜は読めないし、ピアノをはじめとした楽器はまるでダメ。野球やバスケは好きだったが、それは「昼休みに遊ぶ」レベルだった。

まともな「美術」の授業を受けたことはなかったが、絵を描くことは幼い頃から大好きだったし、何かを作るということが好きだった。だから、ほんとに興味本位で志望した「美術科」だったが…所属して1ヶ月も経たぬうちに、「ダメ出し」を宣告された。

 

「美術科」の中にもいくつかの研究室があった。

私はとりあえず絵を描くということをしてみたかったので「絵画」を専攻した。教鞭を執っていたのは「岩井康賴」という十和田出身の若い先生だった。なんとなく「さだまさし」みたいだな、というのが第一印象だった。

 

「絵画」専攻であっても、授業は「デッサン」「彫塑」など様々だった。そして「水彩画」の授業のとき、私は「岩井先生」から強烈な一発を食らった。

 

「君、水彩の描き方も知らないのかい?絵画のこと全然わかってないね!」

 

各研究室を選択した段階で、「中学校教員養成課程」の学生たちと日々一緒に学ぶことになるのだが、「美術科」では弘前高校や弘前南高校で、すでに「美術」をしっかり学んできた学生が大勢を占めていた。

その多くの学生のいる中で、私はボロクソ言われた。私は水彩絵具をまるで油絵のように塗りたくって描いていた。水彩は水をたっぷりと含ませ、色の染みや滲みで描き重ねるということを、そのとき初めて知った。

美術に対する無知もさることながら、自分の描くタッチが全く「絵画」に向いていないようだった。何を描いてもポスターのようで、おそらくその頃のめり込み始めていた「ファッション」や「グラフィティアート」が影響していたのかもしれない。

 

ある日、私は「岩井先生」に呼び出された。

「君ねえ、やっぱり絵画に向いてないよ。村上さんのところに行きなさい」

こうして私は、1ヶ月ほどで「絵画」の研究室を出ることになり、弘前に赴任されたばかりの「村上善男」先生の「構成デザイン研究室」のドアを叩くことになったのである。

 

2月16日、スペースデネガで開催されていた「岩井康賴個展」を拝見した。

ちょうど「岩井先生」が受付にいらした。「おー!本間くん久しぶり!」と先生は声をかけてくださった。

昨年1月の【村上善男とその弟子達展】に参加させてもらった際、芳名録に「岩井先生」のお名前があったのを覚えていたので、お礼を申し上げた。

「岩井先生」の風貌、雰囲気、そして語り口調は、私の学生のときの若い「岩井先生」そのままだった。もちろんあれから30数年経っているので、お互い歳は重ねているのだが、やはり現代美術の最前線でご活躍されている「岩井先生」からは静かなオーラが放たれていた。

そして作品はエッジイだった。

私が学生のとき、「岩井先生」が描いていた絵は、なにかグロテスクなおどろおどろしいイメージがあった。今五十半ばの自分が、あらためて先生の作品を目の当たりにすると、やはりおどろおどろしいイメージは昔のままであるのだが、作品ひとつひとつにとてつもなく長い時間の積み重ねを感じた。宗教的にも見える具象ひとつひとつに、人間の観念みたいなものを感じた。

 

 

 

 

私のようなものが、先生の作品を批評するなどおこがましいのは重々承知なので、このくらいに。

 

先生と少しだけお話をした。ほんの1〜2ヶ月ほど「絵画研究室」に在籍したこと。「水彩画」の授業で強烈な一発を浴びて、研究室を移ったこと。

「エ〜!僕そんなこと言ったの?そんなこと言ったら今の学生、誰も学校に来なくなっちゃうよ。きっとクレームの嵐だね」

「村上さんとこに行けと言ったの? イイこと言ったじゃん僕!」

と、笑いながらおっしゃった。

 

今年、65歳になり退官されるとのこと。

ただ、今後も弘前大学をはじめ、他大学でも講義を受け持たれるらしい。

これからもこの弘前の地で、若い人たちを刺激する作品を創り続けていかれる「岩井先生」の仕事を、私自身も楽しみにしたい…そんなことを感じさせてもらった個展だった。

 

*追記:「岩井先生個展」の後、引き続き「弘前大学教育学部美術科」の卒業制作展が開かれました。それについては後日また書いてみようと思います。

 


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