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2018-10-21

35年前の「弘前の絵地図」


小さい頃から地図を見るのが好きだった。世界地図よりも日本地図の方が好きだった。子供の頃は、世界の国々は遠すぎて距離感がなく、リアリティがなかったのかもしれない。

地図を見ることの面白さにはいろいろある。ひとつの絵の中にある、いろんな情報を読み解いていくおもしろさがある。自分が一番興味を惹かれたのは、各県にある都市の大きさだった。

都市の大きさとはどういうことか。地図における都市の記号は、丸、二重丸、三重丸などで表記されており、それは各都市の人口を表していた。市街地の面積の広さではないのだ。まずは東北六県で競い合う。やはり仙台がダントツだ。50万人を超えると三重丸ではなく四角で表記されていた。さすがだ。

青森、秋田、盛岡、山形あたりは二重丸か三重丸で、いい勝負をしている。ところが、福島には勝っていると思いきや、県庁所在地でもない郡山やいわきという都市がなぜか人口が多く、妙に悔しい思いをする。東北代表は仙台ということになり、全国に目を向けてみる。

当時(40年以上前)は、福岡あたりはまだ100万人手前で、札幌が100万人になった頃だろうか。仙台同様に、広島や千葉などが四角で表記されていたが、東京や大阪、名古屋や京都、横浜や北九州は違ったのだ。市街地をかたどったピンク色の表記だったのだ。この100万人以上の大都市は、人口だけでなく、街そのものの大きさも表記されていた。その頃、ただの丸(3万人以下の町)に住んでいた自分にとっては、羨望の地図記号だった。

悔しい思いを晴らすために、ひとたび青森県の地図に目を向ける。8市にはとても敵わない。青森県だけの地図になると、「市」というだけで市街地の形がピンク色で表記されていた。こうなると、他の町との勝負だ。町の中で人口が多いのは野辺地と木造、そして浪岡だった。そのあとに板柳や藤崎が続いた。鰺ヶ沢はいつも7番か8番目くらいだった。

私は悔しくて、地図帳に手書きで、鰺ヶ沢の街を大きくピンク色に塗りつぶした。

…………………………………

弘前大学に在学中、2年生の時に【小専デザイン】という授業で「地図を書いてみよう」という課題があった。ファッションや雑貨に興味を持ち始めていた自分は、迷わずに弘前の絵地図を書くことにした。小さい頃から、地図や地理が好きだった自分は、知らぬうちに横浜や函館などエキゾチックな街に憧れるようになっていた。そしてそのような都市には必ずといっていいほど、古くからの教会や洋館が建っていた。

弘前にも教会や洋館がたくさんあった。しかし、それは弘前に住むようになってからわかったことであり、その発見はとても嬉しいものだった。そして、江戸や明治の古い文化や建物が残るとともに、ファッションや音楽などのカルチャーを発信する店も多くある、弘前はそんな刺激のある街だった。

それを絵地図に描いてみた。

あまりにもタッチが稚拙なので、ごまかすためにモノクロで撮ったが、本当はもちろん色がついている。(Facebookのカバー写真にしたこともあるのでご参考までに「弘前の絵地図」)

普通は弘前駅が上にくるが、下から始まっているというのは、やはり鰺ヶ沢から電車で来て街に繰り出す、という気持ちが表れたジャイゴワラシの感覚に違いない。すでに「アプリーズ」があるが、ちょうどこれを描いた頃に開業したはずだ。

駅前のヨーカドーを通り、代官町から土手町を通ってみる。Y’Sやアーストンボラージュを売っていた「KOJI」がある。代官町には雑貨屋の「トライアングル」、上土手には初期の「HIRO」、コムデギャルソンを売っていた「EBINA」、中土手に行くと蓬莱橋のたもとにあった「CIENTO」がある。中央通りには珍しい輸入雑貨を置いていた「555(スリーファイブ)」。ここの雑貨屋を好きだった人は多かったはずだ。

下土手から一番町、元寺町に抜ける。かつて一世を風靡した「ハイ・ローザ」。バーゲンの時には坂の上の田中屋さんまで行列ができたという伝説もある。坂を上ると、弘前を代表する洋風建築がいくつも現れる。このころの自分は、まだ前川作品などのモダニズムをよく知らなかったので、地図には描かれていない。故に、こんなメルヘンなタッチになっている。

自分が住んでいた弘前大学近辺にも、趣のある建物が多くあった。なんといっても、自分の住んでいた蔦の絡まる「サンダ館」が洋風の面持ちをしていた(ただのボロ屋である)。大学の向かい側には、旧弘前市立図書館があり、1階は「バムセ」という喫茶店で、2階がアパートになっていた(ここに住みたくて見に行ったが、結局「サンダ館」になった)。現在、修復中の「旧弘前偕行社」もあった。

地図に描かれた岩木山や雲は完全に浮世絵をパクっている。下の雲に書かれている文字は、なんんとなくフランスあたりのイメージを模したのだろうか。オリジナリティには全く欠ける作品?ではあるが、ひとつの資料として見ると面白いかもしれない。

古い地図というのは、いろんなところに所蔵されていると思うが、昔のいろんなお店が描かれた地図というのは少ないのではないだろうか。この絵地図を見て、かつて土手ブラをした若き自分や懐かしいお店を思い出す人もいるだろう。

そして裏を見返すと、そこには故・村上善男先生のサインがあった。


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