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2018-12-19

北津軽の写真 / 「下前漁港」


 

 

久しぶりに写真を撮りに行った。何かのついでに写真を撮ることはあったが、わざわざ写真を撮りに車を走らせたのは久しぶりだ。

自分が田舎(鯵ヶ沢)の出身ということもあるのだろうか、どちらかといえば街の写真よりは、漁村だったり山村だったりと、少々物寂しい光景に惹かれることが多い。特に、冬になると津軽半島の北側の漁村や集落を訪れたくなる。

鯵ヶ沢や深浦方面の西海岸も悪くはないのだが、少々観光地化されている面もあるし、「たまに親戚のところに顔も出さなきゃなあ」などと個人的な思いが頭をよぎったりしてしまう。その点、北津軽(北津軽郡ではない)は、少しの間ではあるが日常を忘れさせてくれる場所であり、そして自分を見つめ直す場所とも言える。

五所川原から金木、十三湖と止まることなく黙々と車を走らせる。天気はあまり良くない。あまり良くないのがいい。晴れ渡る空の北津軽は、自分のイメージではない。

吹雪いているくらいが写真としてはいいのかもしれないが、あのホワイトアウトの中を運転するのは神経がすり減ってしまうので、このイマイチくらいな天気がちょうど良いのだ。

 

津軽半島の北部で好んで写真を撮るのは、今別と龍飛の間にある「三厩地区」と権現崎の近くにある「下前地区」の二つ。

今回は「下前」に足を延ばすことにした。昔は小泊に抜けるための山間の道をくねくねと抜けなければならなかったが、現在は海岸沿いに立派なバイパスができていて、「下前」までもスムーズに行くことができる。昔に比べると僻地感が薄れたような気もするが、地元の方々にはありがたい道に違いない。

「下前」の港をそのまま通り過ぎ、権現崎まで走る。やがて道の最後には「立入禁止」の看板とともに、ガードレールが真一文字に道を塞いでいた。ここから先は関係者しか入れないようだ。

話によると、徒歩で中に入り権現崎の先まで行く人もいるらしい。昨今、カメラマンのモラルが問われることが多い。(誰も撮ったことのない写真を撮りたい)という思いは、誰もが思うことなのかもしれない。しかしそれはモラルとは全く別物の話である。

個人的には「誰も見たことのない絶景写真」には興味がないので、そういったルールを犯すことはほとんどないが、路上で変な体勢でカメラを構えることはよくある。これも見る人が見たら、モラルに反する行為かもしれない。気をつけよう。

 

 

日本海のはるか向こうにあるはずの「津軽富士」は全く見えなかった。三角形の裾野だけが、うっすらと確認できる。空は曇天であった。ときおり雲の隙間から冬の明かりが差し込み、灰色の海面の一部だけを照らしていた。私は、再び港の方に向かった。

港には多くの船が係留されていたが、ひっそりとしていた。数人の海の男たちが、何かの作業をしながら話をしていた。

カメラを構えているオッさんがいるのを見ると、一瞬、怪訝な表情をしたが、再び話をし始めた。港のあちこちに、網や浮きなどの漁具が置かれている。経年で随分と年季が入っているが、まだまだ現役のようだ。

廃墟や使われていない古い小屋などは、被写体として人気はあるが、たとえボロボロになっていても現役で動いている道具や建物が好きだ。そこに、人間の営みを感じるからだ。

 

何度か書いたこともあるが、私は「日常に潜むドキュメンタリー」を撮りたいと思っている。

「ドキュメンタリー」とは、一般的には事実に基づいた「記録映画」などを指すが、その言葉は、単に「事実の記録」というだけではなく、「事実」だからこその悲しみや喜びなど表現するという響きを持つことが多い。

残念ながら今の自分には、そのような感情を写真で表現するチカラは持ち合わせていない。ただ自分にとって「ドキュメンタリーとは何か」ということについては自分なりの「テーマ」を持っている。

目の前にある「事実」をそのまま「撮る」ということ。それもなるべくならモノクロで。そしてその撮った「写真」が「記録写真」ではなく何かを語る「写真」であること。それを目指したい。

こんなことをグダグダ語っているうちは、まあ、駄目だろう。でも言葉にした以上、やらなきゃというケツ叩きを自分でしているだけなのかもしれない。

 

 

ひと通り撮り終えた後、漁港の近くにある「磯や」という食堂に入った。以前、ツーリングで来たときに、サザエやイカの刺身定食を食べ、その美味さに感動したお店だ。こじんまりとしてはいるが、とても小綺麗なお店である。

壁には美味しそうな海鮮のメニューが並んでいたが、冷えた身体を温めたくてラーメンをいただくことにした。シンプルでありながら、出汁のよく効いた美味しいラーメンである。チャーシューもホロホロとしてこれまた美味い。ただ、今回はラーメンの紹介ではないので写真は割愛。

 

身体も温まったので、そのまま真っ直ぐ帰途についた。ただ、来たときとは違う道を走った。日本海側に一番近い道を真っ直ぐに南下した。

しばらく走り、右折すると大きな鳥居が見えた。「高山稲荷神社」である。西津軽郡に生まれ育ちながら、つい最近までここに来たことはなかった。

長い階段を登り、頂上にある社で参拝をする。さらに階段を下ると、いくつもの紅い鳥居がつづら折りにどこまでも並んでいた。真白い雪の中に、紅の鳥居が延々と並ぶ光景を勝手に想像していたが、現実は違っていた。まだまわりには、枯れた緑や茶もあった。

私はいくつもの鳥居をくぐり抜け、再び小高い山の上に立った。頂からは、フォトジェニックと言われるような紅の連続が一望できたが、ここでもやはり絶景は撮ることができなかった。

 

 

今日は自分が撮りたいと思うような写真を撮ったのだろうか。

それ以前に、自分が撮りたいと思っていた写真はどんなだったか。相も変わらず、いつものスパイラルに陥りながら、吉幾三の歌うどこまでも白く続く「津軽平野」をひたすらに走った。

 

 


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