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2018-11-20

「 SNS 」


2010年の9月にFacebookを始めていたらしい。Twitterはもう少し前からやっていたが、文字だけの投稿というのに少々抵抗があって(もちろん画像の添付はできるのだが)、積極的に見ることはなくなった。Instagramは2015年の春に始めていた。周りの人に比べると始めたのは、少し遅いと思う。

そして多くの人が連絡の手段として使っているLINEを加えると、ほとんどの人がなにかしらの「SNS」を日々駆使していることになる。「eメール」はなかり以前からあるけども、今現在「eメール」を家族や友人との連絡手段に使っている人は少ないと思う。「SNS」の中にあるメール的機能を使う人がほとんどで、「eメール」はショッピングサイトや大手企業からのダイレクトメールのためのツールになりつつある。

一言で「SNS」と言っても、それぞれ性格も違えば、使う人によっての用途も異なる。LINEは連絡を取り合ったり、友達と電話代わりにチャットしたりと、かつてのメール代わりに利用している人が多いと思う。この電話代わりという点においては、他の「SNS」との差別化ははっきりしていて、今後もその優位性は変わらないだろう。

何かを発信する、表現する、という意味においては、Facebook、Twitter、Instagramになるのだろう。「気になることをすぐに言葉にして発信したい」という人はTwitter、「気になった光景や美味しい食べ物の画を他の誰かに見せたい」という人はInstagram。そして、「気になった画像に、あれやこれや自分の意見を書きたい」という人はFacebook。

若い人は、あれこれとクドい説明を好まないようだ。だからFacebookを敬遠している。気に入った画像をポンと載せたり、気になったことをサラッと呟く方がスマートらしい。それに比べ、長年仕事や趣味において自分を確立してきたオッさんたちは、何か一言を添えないと、どうもサッパリしないようだ。さらに他の「SNS」と異なり、どんな人たちと繋がっているかも一目瞭然なので、人間関係をビジネスに生かそうと考えるオッさんには絶好のツールかもしれない。

 

十分すぎるほどオッさんの部類に入る自分もビジネスに生かそうと思い、これらの「SNS」を始めた。店や商品の宣伝はもちろん、店のブログもシェアできる。以前から知ってはいたけど「SNS」を通じてより親しくなったお客様もいる。そして、街で、県で、そして東京でどんなイベントが行われているのか、わざわざ検索しなくても情報がどんどん入ってくるようになる。なんと便利なツールなのだろう。

効果的な投稿やビジネスへの繋ぎ方など、「SNS」をさらに生かしてみようと、いろんなサイトを調べ、自分なりに勉強をしてみた時期もあった。例えばFacebookは1日に3回、適度な時間を空けて投稿するのが良い。基本的には毎日、特に◯曜日の何時頃は効果的である。等々。当初、やり方など全くわからなかった自分は、なるべくそれらを守りながら実践していた。

今でも、自分の周りには毎日マメに投稿する人や日に何度も投稿する人もいるけど、個人的には同じ人の投稿を日に3度見たら少々ゲンナリする。まあ、投稿は個人の自由だし、どう感じるかも見る人の自由だ。

この1年、Facebookに直接投稿することはほとんどなくなっていた。3〜4日に一度更新する「ブログ」をシェアするだけになっている。(他人から見れば、直接投稿もブログのシェアも同じように見えるだろうけど)

ヒルクライムレースがあったり、写真展があったり、というときには自分でも多くの写真を撮るので、そのときは沢山の写真をUPする。多くの枚数をUPするのもFacebookは便利だし、友達をタグ付けして投稿をお知らせすることもできる。だから、イベントに関する投稿はFacebookを使うようにしている。

しかし、日々感じることや娘の合唱部での頑張る様子は、昨年の春から始めた「ブログ」に書くようになった。何ヶ月か経ってから振り返ることもできるし、自分が書いたことに対してあらたに疑問を持つこともある。自らを振り返るという意味では、自省したがりの自分には合っているように思う。Facebookを日記代わりにも使っていた自分にとっては、この「ブログ」もまた大きな意味で「SNS」のひとつと言えるかもしれない。

 

Facebookを開いて自分のタイムラインを見てみた。10日以上も投稿していない。ということは、ブログも10日以上書いていないということだ。3日に一度というペースをある程度は守ってきたのだが、ついに断念したか。いつものだらしない自分が正体を現したか。書くネタも尽きたか。

もちろん、書いていなかったこと自体を忘れていたわけではない。書いてみたいというネタもいくつかある。でもペンを取る(実際にペンは取っていない)までに、あれこれ考えることが多いのだ。そのあれこれが勝手に膨らんでしまい、収拾がつかなくなる。頭にあることを紙に起こす才能に欠けているといえばそれまで…というか実際そうなのだけれど、写真にしろ音楽にしろ、そしてこうやって文章を書くことにしろ、思いのままに表現する、行動するということに何かしらの躊躇いがあるようだ。それをうまく文章にできないところが、また自分の文才の無さである。

こんなことを書くと「ブログなんて書きたいときに書けばいいんだよ」「写真は自分が楽しめればいいんだから」「ヒルクライムなんて楽しんだもの勝ちダゼ」という意見をいただく。もっともな正しい意見だし、ありがたい言葉だな〜と思うのだけれど、捻くれ者なのか、どうもこの考え方は好きではないのだ。

以前、写真か何かのときにも同じことを書いていたかもしれない。何かに取り組むとき、目標を立てて、その目標に向かって頑張る方がオモシロイと思っている。その目標に達するまでが少々しんどくても、最終的にはその方が楽しいと思うし、仮に目標が達成できずに終わったとしても、最初から楽しむことを目的にするよりはいいと思っている。

でも今の世の中、とくに若い世代は違うようだ。オリンピックでも高校野球でも「はい!楽しんできます!」と爽やかな答えが返ってくる。何かに取り組む若者に「頑張れ!」は、プレッシャーになるから、教育的にあまりよろしくないらしい。自分自身は「楽しんできます!」は、なんとなく恥ずかしくて言えない。「頑張ってくるよ!」の方が自然だ。十分すぎるくらいオッさんだから、しょうがないのかもしれない。

 

思うように楽しめない大鰐ロイヤル「アブノーマルヒル」激坂にある「ノーマルヒル」


 

こんな捻くれた性格は、そんな簡単には直らないし、どうせ直すつもりもない。だから目標を立てよう。なるべく達成できそうな低い目標を。

 


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