「 タッチペンを探し求めた日 」
「3DSのタッチペンが欲しい」と娘が言った。使っていたのを失くしたらしい。TSUTAYAにはあるだろうと思ったが、店頭にあったのは機種が合わないものだった。郊外の大型電気店にも行ってみたが、意外にもゲーム関連の商品は一切扱ってないとのことだった。
これだけ、ゲームをしている子供たち、いや大人もたくさんいるのに、買えないアイテムがあることに少し驚いた。こういったアイテムは、ネットで買うのが主流で、店側もそのあたりは割り切っているのかもしれない。
自分はゲームは全くやらないので、「3DS」とか「Switch」などのゲーム類、疎すぎて何も知らない。僕らの小さい頃は、まだテレビのゲームはなかった。春夏は野球や虫取り、冬はミニスキー、と年中外で遊ぶことがほとんど。家の中でやる遊びといえばプラモデル作り一辺倒(夏はねぶた作り)だった。たまに、友達や親戚とゲームをするといえば野球盤か人生ゲーム、稀に大人に混じってトランプや花札もやった。
一大ブームとなった「インベーダーゲーム」が大流行したのは中学生の頃だったろうか。実家の隣にあった山海荘の別館にゲームコーナーがあった。何度か母親の財布から百円玉をくすめ、ゲームコーナーに通った。
あのゲームはほんとうに恐ろしいゲームだと思う。ステージをクリアできない悔しさというよりも、最後の最後に何十匹ものインベーダーにドワ〜っと支配されるあの屈辱感、焦燥感。そして親のお金を無駄なことに使ってしまったという、あの情け無い気持ち。
まあ、別にインベーダーゲームに限った話ではない。どうしたらゲームにお金をつぎ込んでもらえるか、どうしたらより高いゲームソフトを買ってくれるのか。日々それを考え、ビジネスにしている優れた頭脳のエンジニアに敵うわけがないのだ。
経緯は忘れたが、社会人になってからなぜかゲーム機が自宅アパートにあった。ソフトはほんの少ししか持っていなかった。「マリオカート」と「魔界村」と、あとは忘れた。一時期、「魔界村」にはまり、明け方までゲームをやることもあった。さすがに仕事に支障がでるようになり、ゲーム機は処分した。それ以来、ゲームというものはしていない。もちろん、スマホでのゲームもしたことがない。
出張で東京に行ったとき、混んでいる電車の中でサラリーマンや主婦がスマホでゲームをやっているのを見ると嫌悪を覚える。しかし、それは自分の趣向がそうだというだけで、ゲームをしている人に罪などあるわけもなし、ゲームを開発しているメーカーも世界的に見ればとても有り難い存在に違いない。
今の世の中は、多くの仕事がパソコンがないと始まらない。デザインするにも表計算するにも、ネット販売するにも、パソコンやインターネットの存在なくしては成り立たないのだ。だから、ゲームというものを通じて、子供たちがパソコンやインターネットを使いこなしていくのは、決して悪いことではない。むしろ将来の仕事や夢に役立つこともたくさんあるだろうし、人類を救う発明をするかもしれない。
いずれは人間に変わり「AI」がほとんどの仕事をするような世界になるだろう。そうなると「AI」と同じくらいの才能を持つ天才か、逆に「AI」では決してやることのできない人間ならではの手仕事をする職人か、そのどちらかしか生き残れない世の中になってしまうのだろうか。
そんな世の中にはなって欲しくはないが、とりあえず「タッチペン」を求めて、娘と「トイザらス」に行くことにした。そういえば、冬休みももう終わりだというのに、どこにも連れて行ってなかった。娘の部活が終わった後、しこたま残っている宿題をリュックに入れて、青森に向かった。
2〜3年前までは「トイザらス」に行くと、娘は「プリキュア」の変身アイテムのところにかじりつき、キラキラした杖やペンダントに夢中になっていた。僕らの小さい頃の仮面ライダーの変身ベルトと同じようなものだろうか。しかし今ではそういったものには目もくれず、真っ先にゲームの方に向かう。
しかし、残念なことに、ここ「トイザらス」にもお目当の「タッチペン」はなかったようだ。「もうしょうがないからネットで買うか」という話になったが、一応ヨーカドーも見てみようということになった。
連休中の中日ということもあり、道は混んでいた。青森のヨーカドーに来るのは随分と久しぶりだった。なんとか駐車場に車を停め、店内に入るといきなり1階にゲームやおもちゃ、文具の売り場があった。こういう配置は珍しい気がする。そして、「3DS」のコーナーに行くと、なんと探し求めていた「タッチペン」があるではないか。ヨーカドーにあるとは意外だったが、さっきまで少しふてくされていた娘は、ころっと上機嫌になっていた。別にゲームを買ったわけではないのに、ニコニコ顔に変身していた。
目的のものを無事に買えたら、二人とも腹が減っていることに気づく。これまたかなり久しぶりのサンロード青森に向かい、中にあるカレー屋「レンガ亭」で、カレーを食べることにした。しかし、サンロード青森って私が高校生の頃、つまり40年ほど前にできたショッピングセンターだったと思うが、未だにそのときの建物が健在というのも驚く。
本格的なカレー専門店やお洒落なカレー屋がたくさんある現在では、もはや「老舗」になった感のある「レンガ亭」 辛さを選べるシステムは、昔は新鮮だったが、今となってはクラシックとも言える。甘口はないので、娘はゼロ倍カレー、私は2倍カレーを注文。食べられるかな?と思ったが、ヒィヒィ言いながら美味しそうに食べていた。
帰りがけ、西バイパスの「スターバックス」でお茶をしながら、残っている宿題をやることにした。娘が宿題をやっている間に、私はスマホを使って、このブログを書いている。重いパソコンを持ち歩かなくても、記事の下書きは書くことができる。やっぱり便利な世の中になったものだ。確かに、私はゲームはやらないが、こうしてスマホをピコピコ動かしている様子は、ゲームをしている子供たちとなんら変わりない。少なくともスマホなど使わないお年寄りから見たら同じにしか見えないだろう。というよりも、もはや最近のお年寄りもみなスマホを使いこなしているか…
はたして、スマホやパソコンは私たちの生活を便利にしてくれたのだろうか。家族や仕事の連絡手段としては、はるかに便利になっただろうが、かといって昔がそんなに不便だったかといえば、そうでもないような気がする。連絡を取れないからこそ、誰にも気を遣わずに、自分の時間を自分なりに自由に使えていたような気もする。
いやいや、このようなことを昔の自分と比べたり、お侍の時代、縄文土器を使っていた時代と比べたりしても意味のないことだ。いま眼の前にあることを、自分がどう受け入れて、それを何のために、どう使っていくのか。それは、一人ひとり答えが違うのかもしれない。
30年後、東京に住んでいる娘が、未来のスマホを「タッチペン」でピピっと押すと、私の隣にいるロボットが私の口に食事を運ぶ。「美味しいです」と私は「タッチペン」で返事をした。
ん〜…そんなになるまで、生きなくてもいいかな。
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