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2019-01-25

「 しもやけ 」


学校の裏は、一面田んぼだった。教室の窓から、遥か向こうに「館」という集落が見える。その「館」までの間はすべて田んぼだった。真冬になると、田んぼは白一色になる。私たちは、学校が終わると家に帰らずに真白い田んぼに向かった。

白一面とはいえ、まるっきりのフラットではない。ところどころに1メートルほどの段差があり、白の中にグレーの陰影がうねっている。私たちは、段差の高い方に一列になって並び、小さな歩幅で歩きながら、たっぷりと積もった雪を踏み固める。

そうして出来上がった助走路を思いっきり走り、段差の高いところから天高く飛び跳ねて空中回転をする。ズボッと身体が1メートルほど埋まる。身動きは取れない。たまに回りすぎて顔から突っ込むこともある。しかし深い雪だから全然痛くない。

学校の裏にある田んぼは、延々と深い雪ヤブが続いていて、空中回転をやる場所には困らなかった。頭から被ったヤッケがびちょびちょになるまで雪の中で回り続けた。白一面の中に、空中回転でできた大きな穴があちこちにあった。しかし、その跡はそのままにしておいてはいけない。人間の跡だとわからないように足で掻き消すのだ。カラスがその跡をつつくと、その人間は死ぬと言われていたからだ。私たちは、回った分と同じだけの数を掻き消さなければならなかった。

家に帰ると、ゴム長靴の中の隙間は雪で埋まっていた。今のようなスノーブーツというものはない。皆、黒いゴム長だった。ソールには滑り止めのスパイク金具がついていて、コンクリートの上を歩くとガリガリとヒドい音がした。

靴下はびしょ濡れ。靴下を脱いで、茶の間のストーブのギリギリに両足を並べる。そんなことを毎日繰り返していると、誰もが足の指を赤く腫らした。小さい頃は、どうして「しもやけ」になるのか、よくわからなかった。この寒い冬に、足をチクリと刺す虫がいるわけでもないのに、足の指は赤く腫れ、痒く痛かった。缶の蓋に「一富士、二鷹、三茄子」が描かれた「雪の元」という薬をよく塗ったが、後に塗る薬は「オロナイン軟膏」に変わった。

びしょびしょになったゴム長も一緒に、ストーブの近くに並ぶ。また次の日の空中回転に備えていた。

娘が、足の指が痛いと言った。ソックスを脱いでみると、左足の中指が赤く腫れていた。「あれ、しもやけじゃないの?」と言うと「うん」と娘は返した。今時の子供でも「しもやけ」を知っているのかと少し驚いた。誰もが暖かく滑りにくいブーツを履いているが、やはり子供は雪ヤブを漕いで歩いたりするのだろうか。

「ユベラ軟膏」という薬が効くらしい。ビタミンAを含み、血の巡りを良くするのだとか。「しもやけ」の薬というよりは、肩こりや冷えなど、血行を良くするための薬のようだ。薬を塗りながらマッサージもしてあげると、ウヒャヒャヒャと娘は笑っていた。

数日前にドカ雪があった。しかし朝方には少し寒さも緩み、店の駐車場は大量の濡れ雪でゲジャゲジャになっていた。溶けかかっているので雪かきもすぐ終わるだろうと思い、長靴に履き替えずにスエードのブーツのまま雪かきをしたのがいけなかった。縫い目から侵入した雪解け水で、ソックスはずぶ濡れになっていた。運良く替えのソックスを持っていたので、事務所で履き替えた。

夜、帰宅し着替えると、左足が疼く。もしやと思ってソックスを脱ぐと、左足の中指が赤く腫れていた。どうやら、ジャイゴの遺伝要素は強いらしい。


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