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2019-01-31

「 無謀な挑戦 」


2019年もすでに1ヶ月を過ぎた。

今年もあと11ヶ月…早いものだ。さて、ここに文章を書くのも、3日に1回のペースが、1週間に1〜2回のペースへと変化した。

1年前にどんなことを書いていたかチェックしてみると、これから書こうかなと思っていたことを1年前にも書いていた。それだけ、仕事でもプライベートでも1年間のサイクルは同じようなもの…ということだろうか。

これまでは、仕事やロードバイク、娘の部活のことなどを書くにあたり、趣味のひとつである写真の画像を載せるという行為は、自分自身にとっても重要な要素であった。

おそらくは読む側にとっても画像があることでメリハリがあって、おそらくは文章だけよりも読みやすいのではないかと思う。

ただ、これからしばらくの間、少々試験的ではあるが、これまでとは趣向を変えた書き方でブログを書いてみようと決めた。

画像を載せずに書いてみることにしたのだ。これは正直自分にとってはストレスのある書き方かもしれない。特に、写真に関することを書こうと思ったときには尚更のこと。

理由はいろいろとあるのだけれど、それはまたいつか画像を載せて書くときがあれば、そのときにまた書いてみようと思う。



小さい頃から国語が苦手だった。漢字の書き取りとかはわりと得意だったが、読解が全く駄目だった。

例えばテストなどで、長文を読み「〜の部分は筆者のどんな心情を表していますか?」などという問題があった場合、①〜④の選択肢があれば、どれも当てはまるような気がしてしまう。シンプルに考えればわかりそうな答えでも、いろいろと変に考えすぎていつも違う答えを選択してしまうのだった。

だから、小さい頃から本を読むのは得意ではなかった。いわゆる「文学」と呼ばれるジャンルは、読み始めても途中で挫折してしまうことも多く、本屋で並んでいる文庫本もなるべく分厚くないものを探した。

しかし例外もあった。読んでいくうちに、次はどんな展開になるのだろうかとワクワクする「推理小説」や「SF小説」などは、徹夜して読破することもあった。

小学生の頃は、なぜか実家にあった「シャーロックホームズ」シリーズを何冊も読んだし、中学生から高校生にかけては星新一の「ショートショート」を愛読した。

その頃は、「ショートショート」を読むことが、なんとなくお洒落みたいなイメージがあったような気がする。

また、NHKの連続ドラマの影響もあったのかもしれないが、筒井康隆の「七瀬シリーズ」などに代表される、いわゆる「超能力」や「タイムトラベル」をテーマにしたものはかなり読んだ。

その流れで、社会人になってからも宮部みゆきの「タイムトラベルミステリー」ものにかなりハマった時期もある。

歴史は得意ではなかったけれど、明治時代のある事件と今現在の事件がタイムトラベルを通じて繋がっているなど、壮大な歴史スペクタルは読んでいて興奮したものだ。

歴史は得意ではないが、地理が教科の中では最も得意だったので、内田康夫の「ご当地ミステリー」もかなり読んだ。

おそらく推理作家の中では、内田康夫の本を最も多く読んだと思う。ご存知「浅見光彦」のシリーズはほとんど読んだかもしれない。

ここ最近は、推理小説は全く読まなくなってしまったが、数年前までたまに読んでいたのが東野圭吾の作品。

あまり的確な書評はできないけれど、彼の描く推理小説は筋道がとても良くできていると思う。いろんな…というか意外な角度から事象を捉え、読む側を「ホォ〜」と感心させてしまう術を持っていて、読後感があった。

このように推理小説やSF小説は好きだけれど、国語、特に読解が苦手な自分。

当然のことながら文章を書くことも苦手であった。作文然り。小論文に至っては思い出したくもない受験の記憶がある。

高校3年の国公立大学の二次試験。私は函館にいた。北海道教育大函館分校を受験するためだった。

一次試験を受けた結果を見て、高校の担任は「弘前大学でもいけるんじゃないか?」と進言してくれたが、万全を期してランクがひとつほど下と言われていた北教大函館を受けることにしたのだった。その二次試験に小論文があった。

テーマなどはとっくに忘れたが、下書きをするのに時間がかかってしまい、清書をできなかったことを今でもはっきりと覚えている。

あと数分というところで、原稿用紙にはまだ何行もの空白があった。時計を見て残り時間に愕然とした瞬間、自分の手は自分のモノではなくなっていた。

右手はブルブルと震えだし、文字を書くことが不可能になった。残された空白を波線で埋め尽くし、私の二次試験は終わった。

そのときのことがトラウマというわけではないのだが、文章を書くということは今でも苦手である。いろんな人の文章を読むたびにつくづく痛感するのだ。

だからブログを書くときにも、つい画像などを間に入れて全体的なバランスを取ってしまったり、俯瞰してみたときのビジュアルも気にしてしまう。つまりは文章の内容そのものから逃避しているのだ。

と、ここまで書いてみて、やはりとりとめのない内容やわかりにくい文章にがっかりとしてしまう自分がいる。

つまりは文章を書くことがもっとうまくなりたい、いや「うまく」というよりは、「読む人が納得できるような文章」を書けるようになりたい…と思うようになり、であればブログも文章だけで書いてみよう…と思い至った次第。

いつまで続くかはわからないが、2019年も1ヶ月を過ぎたところで、ふと思いついた「無謀な挑戦」である。


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