「写真を撮る理由 ④」 〜 レンズの甘い罠 〜
初めてのレンズ交換式カメラ「X-T1」を手にしたときから、私のフォトライフは大きく変化した。
この新しいカメラにはたくさんのボタンが付いていて、いろんな機能を割り当てられるらしいのだが、その機能は半分も使いこなせなかった。正直なところ未だに使いこなせていない。ただ「絞り・シャッタースピード・ISO感度」は、手動のダイヤルで調節できるので、いわゆる撮影の基本みたいなものは、このカメラで学ぶことができたと思っている。
スームレンズは大きく重いものが多いが、このレンズはそんなに大きくもなく持ち運びには便利な1本である。当時は「ツーリングをしながら写真を撮る」というのが自分の主なスタイルだったので、このカメラを入れて走るために「CRUMPLER」のショルダーバッグを買った。「X-T1」がジャストで入るサイズで、ロードバイクで走るときはいつも一緒だった。
季節が変わるごとに、色を変化させる岩木山。潮の香りが懐かしい生まれ故郷の鯵ヶ沢。鮮やかな紅葉の美しい八甲田や十和田湖。弘前からは、東西南北どちらの方角に走っても、素晴らしい風景に出会うことができた。津軽に住んでいながらも、まだ見たことのない風景を自分の脚で探し求めた。そして、それらをカメラに収め、「ツール・ド・ツガル」というシリーズを続けてきた。
津軽の風景として私が最も好んだのが、津軽海峡に面した三厩の集落だった。今別町と龍飛崎の間の海沿いにいくつかの集落が点在している。なかでも海沿いに並ぶ漁師小屋が好きだった。何十年も風雪にさらされ朽ちかけてはいるが、黒やブルーに幾重にも塗り替えられ、まだまだ現役で頑張っている漁師小屋に魅了された。
しかし、三厩の海沿いにある集落は、目の前が海で背後が崖になっていて後ろに下がることができない。漁師小屋群を撮ることは難しい作業だった。持っている標準ズームでは限界があった。私はレンズ交換式カメラの恩恵を受けることにした。
「XF10-24mm」という広角レンズを購入した。広角レンズは両端が歪みがちになるが、逆にデフォルメ感があり臨場感を出してくれる。このレンズは、三厩の漁師小屋を撮るために活躍してくれた。さすがにツーリングで携帯するには大きすぎたので、あえてロードバイクは乗らない冬の日を選び、私は北津軽に向かって何度か車を走らせた。
「XF18-55mm」と「XF10-24mm」という二つのレンズで、自分の撮りたい風景写真のほとんどは撮ることができたように思う。「ツール・ド・ツガル」をテーマにした写真を、いくつかのフォトコンテストにも応募してみた。運もあったのかもしれないが、地元のフォトコンテストだけでなく、全国規模のコンテストでも何度か入賞することができた。
津軽の風景とともに、撮ることが多くなったのが娘の写真だった。ちょうど小学校に入学した頃に「X-T1」を買った。どこかへ遊びに行くときでも、弘前公園を散歩するときでも「X-T1」と「XF18-55mm」の組み合わせがあれば十分に楽しめた。
しかし娘がが合唱部に入るようになり、少しばかり状況が変わった。子供たちの歌う様子を撮る機会が何度かあったのだが、指導する先生の邪魔になってはいけないし、何より練習する子供たちの集中を妨げてはいけない。私はなるべく遠くから撮らねばならなかった。しかし「XF18-55mm」の望遠側で撮っても、子供たちの顔は大きく写らなかったのである。
遥か向こうの木の上に佇む鳥の姿。空に浮かぶ満月を横切る飛行機の姿。カメラマガジンやネットに掲載されている作品で、そういった望遠レンズによるオドロキの写真を目にすることは度々あったが、自分の撮る写真にそういうイメージはなかった。
しかし、子供たちの生き生きとした表情を撮るのならば、やはり望遠レンズも必要だと思い始めた。そしてある日、「XF50-140mm」という望遠レンズが私の手元に届いた。サンタがくれたわけではない…長〜いロ〜ンを組んだのだ。
それにしても、望遠レンズは新しい発見の連続だった。少し離れたところから撮るポートレートの写りには感動したものだ。子供たちの豊かな表情、またそれを引き立たせる背景のボケ。あれは小さい頃に、望遠鏡を覗き、遠くのものがはっきりと見えた時の感動に似ている。レンズとしては確かにデカくて重いのだが、超デカくて長い望遠レンズに何十万円もかける人の気持ちもわからないではない。
圧縮効果のある写真は、まるでプロが撮るような写真だと錯覚を覚えるようだった。これまで津軽の風景を撮っていた自分にとって、望遠レンズを装着したファインダーから覗き見る光景は、とにかく新鮮だった。
こうして、標準・広角・望遠と、素晴らしいレンズを手にすることができ、自分の撮りたいものは何でも撮れるような気がした。
しかし、いつしか自分の写真が変化し始めていることに気づいたのだ。高性能のレンズのおかげで自分の撮る写真もクオリティが上がったと思い込んでいたが、「素晴らしいレンズは、こう撮らねばならぬ…こんな被写体を撮らねばならぬ…」と、知らぬ間に、レンズに撮らされている自分がいた。
「レンズ沼」という言葉がある。たかだか3本では沼にハマったとは言えないが、レンズの持つ甘い罠にはしっかりとハマっていたようだ。
コメントを残す