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2019-02-24

「写真を撮る理由 ⑥」 〜 写真展を観る 〜


自分が「写真を撮る理由」を模索しながら出会ったいくつかの「写真論」 その中でも、染谷学氏の連載「写真の話をしませんか?」は、写真知識のない私のような者にもわかりやすく書かれていた。

前回のブログで書いた「スマホの写真の方がプロのカメラマンが撮る作品よりも、リアリティがあって面白いことがある」という話は、なるほど…と思う反面「カメラで撮った写真で何かを表現したい」と思う者にとっては、方向性を見失いそうになる言葉かもしれない。幸い、自分はプロではない。まだまだ「リアリティがあって面白い」側にいる人間だ。そう考えると、すーっと肩の力が抜けた。

染谷氏の記述の中で、興味深く読んだもののひとつが「写真展」についてだった。昨今「写真展」は大人気で、恵比寿にある「東京都写真美術館」のように大規模なものから、街の公民館で開かれている小さな展示まで、日本中そこかしこで「写真展」は開かれている。アカデミックすぎる絵画や難解な現代美術に比べ、親しみやすさがあるのだろうか。



有名フォトグラファーの写真展であれば、係員が見守る中、緊張感漂う会場を淡々と一周する。そして、ふーっと気持ちを落ち着けて、もう一度会場を一周する。会場に併設されている写真集のコーナーもチェックする。「このフォトグラファーの写真展は今後見ることはないかもな」と勝手な妄想をしながら、重い写真集を1冊購入する。そんなかんじである。

それに比べ、写真仲間と一緒に開く写真展や、街で開催される公募展は、もっと和やかな雰囲気だ。出品者自身も会場に在廊していることが多いので、家族や知り合いも来場し和気あいあいとしている。それはそれで、小さな写真展の良いところだ。

気の知れた若者数人で企画する「現代アートな写真展」 退職後、自由な時間を写真仲間と過ごす、ご年配写真家たちによる「花鳥風月な写真展」 そういった街の「写真展」に足を運ぶと「自分語り」に遭遇することがよくある。「この写真で、自分がどんな思いを表現しているのか」熱く語る若者。「どれだけ時間をかけて待機して、この朝焼けをものにしたのか」雄弁に語る人生の先輩。

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写真展で「自分語り」を聞くと違和感というか、気恥ずかしさを感じることがある。「そんなに自分の内面を見せたいのか」という気がしてしまう。

「写真は自分を映す鏡」とよく言われるが、見る人は、知らない作者の内面を見せられて面白いのだろうか? そもそも写真は作者の内面を見せられるようなものなのだろうか?写真とはそういう装置なのだろうか?

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確かに、我々素人は写真展で自分の写真を観ている人がいれば、なにかを説明したくなる。自分の考えやその時の状況を伝えたくなる。自分自身も何回か写真展出品の経験はあるが、似たような気持ちになったことがあった。そういうコミュニケーションも小さな写真展のいいところだ。

しかし、何度か写真展に参加し、またいくつもの写真展を観て、写真に対する考え方に疑問が生じ始めた。さらにこうして悩みながら、「写真論」を読んでみたりするうちに、その考え方が変化し始めた。いや、何かしらの違和感は以前からあったのかもしれないが、このように文字にして「自分の主題」を確認したくなったのだと思う。

「写真には何が写るのだろうか?」という問いに「写真には目の前にあるものしか写らない」という答えがあった。その通りだ。「何もない雪原にりんごの木が1本だけ立っている。その寂寥感を写してみました」 しかし、そこにあるのは寂寥感ではなく、「雪原に立つ1本のリンゴの木」だけなのだ。

私自身が写真を撮るときに決めているテーマがある。それは「日常の中に潜むドキュメンタリーを撮る」ということ。これまでもブログで何度か書いた。眼の前にある事実を撮りたい。現像と言われる作業もするが、それはその事実をなるべく忠実に表現したいからで、「盛る」作業ではない。

「雪原に立つ1本のリンゴの木」に寂寥感を感じるのは撮影者の自由だし、それを表現したいと思うのも作者の自由だ。だが、その写真を見て寂寥感を感じるかどうかは、作品を見る者が感じることである。つまり、写真は展示された時点で、見る人のモノになるということだ。

染谷氏もそのようなことを書いていた。そして、こう続けた。

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自分が「反応」してシャッターを切った光景が、見てくださる人にとってご自身を映す鏡になってくれるかどうか。

自分の写真が「自分を映す鏡」ではなく、「見る人それぞれの鏡」となり、その人の中にある「なにか」に届き、見てくれる人の中でそれぞれの物語を紡ぎ出すこと。

それが私の理想の写真です。

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「作者自身が何かを語るよりも、自分の写真を見た誰かが、その人自身の中で何かを感じてくれること。そのためには自分の主題を持つこと」 写真を撮る理由が少しだけわかったような気がした。

*今回のカバー写真は、初めて写真展に出品したときの作品です。


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