toggle
2020-02-20

五所川原の街を歩く / 高校時代の通学路 ①


 

X100FをBillinghamのショルダーに入れて車を走らせた。

Billingham(ビリンガム)は、かつてLEICA(ライカ)ユーザーのためのカメラバッグを作っていたことでも知られるイギリスのメーカーだ。現在は、セレクトショップでも展開され、デイリーなショルダーバッグなども作っている。

Billinghamの中に入っているのは、残念ながらLEICAではないけど、このX100Fは、私にとっては十分すぎるカメラだ。

 

ここ最近、個人的に色んな面でスランプ気味だった。どうやら、冬から春に切り替わるこの時期は凹む傾向にあるようだ。

そんなときは、カメラをバッグに入れて車で遠くへ行く。なるべく遠くが良い。

いつものこの時期であれば、雪が舞う中を北津軽に向けて車を走らせる。十三湖あたりからはラジオの電波も悪くなる。カーステのスイッチをオフにしたまま独り考え事をしたり、あるいは何も考えずに、ただひたすら走る。

雪の中でじっと佇んでいる三厩の漁師小屋をファインダーから覗く。幾度となく同じ場所を訪れ、同じ建物を撮る。

それだけで、ほんの少しではあるが、気持ちが落ち着くのだ。

 

しかし、天気が良すぎた。快晴の三厩はどうもイメージではない。無理やりに猛吹雪の日を選んで、厳しく寂びしい津軽を撮りたいというわけではない。でも、イメージではないのだ。

ふと思い立ち、101号線を走り五所川原に向かった。

 

 

 

これまで生きてきた57年間のうち、3年を五所川原で過ごした。正確に言えば、最初の2年間は汽車通学で(当時は誰も電車とは言わない)、最後の1年間は叔母のところに下宿させてもらった。

鰺ヶ沢に生まれ育った自分にとって、デパートに行くと言えば、それは五所川原に行くことを意味していた。当時の五所川原には中三、丸友、マルキと三つもデパートがあったのだ。

しかも中三の裏手にはシブタニ模型店があって、それはデパート以上に夢のような禁断のエリアだった。

 

そんなジャイゴワラシが、中学を卒業し、五所川原の高校へ通うことになった。自宅から鰺ヶ沢の駅まで徒歩で10分。汽車に乗ること約40分。そして五所川原の駅から学校まで徒歩で20分。1本乗り遅れた時はひたすら走るので10分だっただろうか。

五所川原の駅から学校までのルートは幾つかあったけど、行き帰りに使うルートはそれぞれ決まっていた。

行きは津軽鉄道駅側に右折して、現在のNTTがある道を歩く。帰りは、中三方面でブラブラしてから丸友の前を通り、ロータリーから駅に向かって大通りを歩く。

 

近年人気の津軽鉄道

 

高校時代に歩いた道を歩いてみよう。何故かふとそう思い、五所川原の街へ車を走らせた。

駅の近くに車を置き、X100Fを首からぶら下げて歩き始めた。まずはJRの駅に行ってみた。駅の中はひっそりとしている。待合室が小さく感じた。売店もなくなっているようだ。よくここでも駅の蕎麦を食べたっけ。

駅の前には大きなバス乗り場がある。そういえば、この中にも、そば・うどんの店があったな。昼はそこで食べるとしよう。

 

当時と同じように津軽鉄道駅の方に右折する。目の前に古い病院がある。接骨院だったらしい。ここから現NTTのある通りにかけては病院が多い。

 

 

この通りには映画館もあった。

「グリーンハウス」と「銀映」という二つの映画館が並んでいた。あの頃は贅沢にも2本立ては当たり前で、3本立てというときもあった。小学生の頃、ブルースリーの映画を観に来たのを覚えている。

交差点に確か「味の一八」という食堂があった気がしたけど、今は駐車場になっていた。この通りからデパート丸友に抜ける細い道沿いには、洋服屋や喫茶店があったのだが、「立ちねぷたの館」ができてからは街の風景がガラッと変わってしまった。

街は整然とキレイになり妙に見晴らしが良い。昔を思い出しながら歩く自分には、少々物足りない。

「立ちねぷたの館」の裏を通り、交差点を右に曲がる。ここから高校へと続く道。道の両側に建っている建物は昔とは違うのかもしれないけど、ゆるくカーブする光景は昔のままだ。

唯一、昔と変わらない店があった。

 

あげたいの店

多くのメディアで紹介されることも多い「あげたいの店みわや」 

「みわや」という店名があったのは初めて知ったけど、実際の店の入り口も「あげたいの店」になっている。

現在のご主人が先代からあとを継いだのが、ちょうど私が高校に入学した頃だったらしい。この手の店が半世紀も続いているのは、あまり耳にしたことがない。

通っていた当時から店があったのは記憶しているが、あの頃は今ほどの人気じゃなかった気がするし、店に入った記憶もなかった。

 

 

 

店内でも食べられるようだが、中はなかなかカオスな状態。紹介された新聞の切り抜きが飾ってあった。

私は「あげたい」をひとつ買って、歩きながら食べることにした。油で揚げた「たい焼き」に砂糖がまぶしてある。揚げたてだけあって熱々!

「あげたい」を食べながら道をまっすぐ進むと、やがて左手に五所川原高校が見えてきた。T字路を左に折れる。ここの角に確か商店があったはずだ。「一長」だったかな。今はない。

 

我が母校

110周年を迎えた五所川原高校。通学路は随分と変わってしまっていたが、学校はあの頃のままだった。

入学当時は中学からの友達は数人しかおらず、ドキドキしながら登校したことを思い出す。

 

さて、駅までの帰り道。

デパートを回ったり、鶴常書店で立ち読みしたりと、ワクワクしたルートを歩いてみよう。

 

帰り道(次回)へ続く。

 

 


関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。