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2020-02-22

面影のない帰り道 / 高校時代の通学路 ②


 

五所川原という街は、自分にとってはなんとも不思議な存在の街だ。

小さい頃は、大きなデパートがあった憧れの街。高校時代は、楽しくもあり、また苦い思い出もある青春時代を過ごした街。そして現在、かつての駅前の賑わいはないが、郊外になにやら巨大なショッピングセンターのある街。

時代とともに街が変わっていくのは当然のことだろうが、五所川原は随分と変貌したイメージが強い。

 

そんな、変貌した街を久しぶりに歩いてみた。( → 五所川原の街を歩く / 高校時代の通学路 ①

高校時代に歩いた通学路。音楽部での練習があった日は、まっすぐ駅に向かう。急げば18時10分頃の汽車に間に合う。鰺ヶ沢の自宅に着くのは19時頃だ。

部活のない日は、デパートや本屋を歩き回る。ちょうどアイビーファッションが流行り始めた頃。VANやマクベスは高くて買えなかったので、中三でお手頃なトラッドアイテムを物色する。

そんな、ドキドキワクワクした帰り道を40年ぶりに歩いてみた。

 

 

「あげたいの店」の近く。この建物は、おそらく当時からあったに違いない。窓から見える資料の山が気になる。

 

 

昔の建物って、継ぎ足し継ぎ足しで建てられたりすることも多く、窓の配置がおもしろい。中はどのような構造になっているのだろうか。

NTTの方には行かずに、そのまま真っ直ぐ進む。40年前はマルキ飛島というデパートがあって、確か噴水オレンジジュースの自動販売機があったような…

タカヨ楽器の交差点を渡ると、中三デパートや鶴常書店が並ぶ賑やかな通り。左に曲がると、おしゃれなブティックが並ぶ(入ったことないけど)ハイカラ町。

そしてロータリーから再び丸友デパートの方へと歩く。マル英電器もこの辺にあったなあ。そして、細い路地に入る角にあった高校指定の喫茶店「ナガシマ」 私はけっこう真面目だったので、高校指定だったその喫茶店に、音楽部の先輩とよく行った。

 

今思えば、ブラブラしてたのは案外と狭いエリアだったんだな。デパートや本屋のある界隈をウロウロして駅に向かう。ロータリーから駅に向かうアーケード街もいろんなお店がたくさんあった。

この駅前の通りで一段と目立っていたのは「レストラン藤吉郎」だった。披露宴会場も備えた大きな建物だった。建物そのものは今でもあった。

 

 

ライオン座という映画館があった通りから、「藤吉郎」の建物を望む。隣にあるのは、これまた高校指定だった喫茶店(というか洋菓子屋)の「カルネドール」

 

カメラを構えていたら携帯がピロンと鳴った。

「今、五所川原に来てません? カメラ下げて歩いてるでしょ!」

高校時代の音楽部の後輩U子さんからメッセージだった。

あちゃー。目立たないような格好して歩いてたつもりだったけど。いや、髭面のオッさんが五所川原の街のド真ん中でカメラを構えてたら目立つかもしれない。どこで誰が見ているかわからないものだ。

 

「藤吉郎」に近づいてみた。「藤吉郎」は蔦に覆われていた。長い年月が経っていることを物語っていた。

 

 

考えてみれば、自分が毎日のように歩いていたのは40年前である。

40年という月日がどのくらいかといえば…自分が生まれた昭和37年のさらに40年前は、第二次世界大戦前。なんと大正時代だった。それほどの年月が、あの高校時代から経っていたのだ。街も変わって当然である。

 

しかし、これほどまでに昔の面影が無くなってしまった街はあまり見たことがない。街並みという意味では弘前もだいぶ変わったけれど、弘前や青森にはもう少し駅前の賑わいがある。

1997年に開業した「エルムの街」の存在が大きいのだろう。しかし、最終的に五所川原市はこの新しい街づくりを選択した。そのおかげで、津軽一円から多くの人が集まる街になったのだ。

ただ、個人的な思いではあるけれど、あの凄すぎる人混みはちょっと苦手だ。

 

何かアンチな気分になりながら、さらに「藤吉郎」の裏通りを歩く。

ひっそりとした狭い通りには、何軒かの飲み屋が並んでいた。

「バギューーーン!」

 

 

いきなり一発打たれた。

腹が減っていることを思い出し、私は駅に向かった。

 

 


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