2020年の弘前の桜は何を語る
知らぬうちに外濠の桜が散り始めている。
2020年4月の弘前公園は封鎖されていた。すべての出入口にバリケードが設置され、警備員が仁王立ちしている。
インターネットを覗いてみても、「現在は何分咲き」などの開花情報もなく、ピンク色に染まるインスタグラムもない。
昨夜、仕事帰りに車で外濠のあたりを通った。暗がりの中に、白く浮かぶ桜の木がうっすらと並んでいた。ぼんぼりの灯りのない満開の桜とは、このように見えるのか。
満開の桜は、みな無口だった。
毎年のこの時期になると、桜の写真のことについて同じようなことを書いていた。
どんなことを書いていたかといえば、要は「桜の写真を撮るのが苦手だ」ということだった。とくに、三脚を立てて長時間露光で撮る「夜桜」や「花筏」の写真は、からっきしダメだった。
そして、「誰もが感動するような桜の写真を撮る必要はないのだ」などと、自分勝手に結論付けて、弘前の春をやり過ごしていた。
ところが、だ。今年の弘前公園は封鎖された。ライトアップもなし。
地元弘前のみならず、日本全国から「弘前の桜」を楽しみに訪れる観光客にとっては、大きなショックだったに違いない。もちろん、多くのフォトグラファーにとっても。
しかし、心のどこかでホッとしている自分がいた。
(これで無理に桜を撮る必要がなくなった。撮りたくても撮れないのだから)と、今年も自分勝手な理由をつけていた。
弘前の街を走っていると、ときおり薄ピンク色の塊が視界に入ってくる。
その度にドキッとする。いつもの年よりもドキッとするのだ。一瞬、なにか、見てはいけないものを見てしまったような錯覚を覚える。
満開の桜は、みな無口だ。
だが、もしかしたら桜の花は人間に何かを語りかけているのかもしれない。
悲鳴を上げている地球のかわりに何かを言いたいのかもしれぬ。ウィルスが現れたその理由を語りたいのかもしれぬ。

自分勝手な理由を取り払い、明日は、カメラをリュックに入れて、まだ見ぬ桜を探しに出かけてみよう。
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