『紅葉写真』のアーカイブズ
八甲田の山々の紅葉が、津軽平野にも下り始めてきた。
なんかのニュースで見たけれど、こんなコロナ禍にあっても件の沼の桟橋は予約の人で溢れかえっているそうだ。
「なにも、こんなときに…」と思う地元民もいるだろうが、「美しいものを撮りたい、誰よりもスゴい写真を撮りたい」という風景写真マニアの性(サガ)もわからないわけではない。
ただ、一般の観光客や地元に住む方々に迷惑をかけぬよう、最低限のモラルを守ってほしいと思うし、自分自身もそのように心掛けたいと思っている。
実は、そのようなシチュエーションに出くわすことは、ほとんどない。
もともと、人混みが苦手。若い頃は東京の人混みに憧れた時期もあったが、今は自分の思うように歩けないと目眩がしてくる始末。だから初詣なんかも、正月から十日くらい過ぎてから行くことも多い。
それに、紅葉の絶景スポットというのはだいたい決まっていて、これもある意味SNSによる功罪のひとつかもしれないが、すでにお手本となる写真が溢れている。
自分は、そのようなお手本を真似したいとは思わないし、お手本よりもスゴいの撮ってやろうとも思わないし、そもそも技術がない。
そんな「人混みは苦手」「絶景スポットは撮らない」という自分ではあるけれど、「紅葉」の写真が嫌いなわけではない。むしろ好きと言える。
日頃から、モノクロームの写真が多いことは自認しているが、「紅葉」の写真はカラーで撮る。わずか1〜2ヶ月の間に、日頃見ることのできない「カラー」のハレーションは魅力的だ。
自分が写真を撮るときのテーマとしている「日常の中に潜むドキュメンタリーを撮る」という視点からも、この「紅葉」は目の前にある事実であって、それを「どう捉え」「どう撮るのか」は、自分にとってとても刺激的な行為となる。
しかし、この2020年の秋は、カメラを片手に「紅葉を撮る」という行為は、ほとんど無に等しかった。
理由は二つ。 新型コロナウィルスと骨折。世の中における外出自粛という精神的な負の面と、自身の不注意から起きた骨折という肉体的な負の面。
2020年の秋は、これまでの自分のアーカイブを眺めて終わることになりそうだ。
しかしながら「これまでの自分の仕事」を振り返ってみるというのも、なにかのチャンスがなければ結構できないものなんだ…と気づいた。
奇しくも、この秋のこの出来事は、自分にとってもなにかしらプラスになったのではと思っている。
「あ〜自分てこんな撮り方が好きなのか」「お、オモシロい視点で撮ってるな」「あれ?なんかこれ、ワンパターンだな」とか、ここ数年の「紅葉写真」を振り返るだけでも、自分の成長ぶりと未熟ぶりを知ることができる。
たいした写真はないけれど、アーカイブズとしての「紅葉写真」を少しだけ記録しておこうと思います。
「紅葉」なのに、風景というよりは目の前にある光景を撮っている写真が多い。これも自分の癖なのだろうか。
今日から11月。
リハビリを兼ねて、のんびりと歩きながら一枚くらいは撮ろうかな。
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