弘前の風景 ①「水路のある風景」(堅田〜和泉)
最近、ロードバイクでの【ツーリング&グルメ&温泉ツアー】を週一で繰り返しているせいか、書くネタも繰り返しになっている。
写真やアート、ファッションの話は何処へやら。これはまずい。このブログを読んでくださる方はそんなに多くはないと思うが、その数少ない方々にも飽きられてしまう。これはまずい。
自分自身のアイデンティティーとしても書き始めたのだが、このままではチャラーメン温泉マンになってしまう。ま、まずい。
先日の休日。晴天にもかかわらず、ツーリングに出掛けない日があった。しかし天気が良いのに走らないというのは、どうにも悶々としてしまう。いっそ雨でも降ってくれた方がホッとするのだ。
悶々としたまま一日を終えるのは身体に良くない。でもあと1時間ほどで日は暮れる。
(MTBで近場をチャリ散歩してみようか)
ふと、そう思い立ち、ウェストバッグにX100Fを入れて夕暮れの街を走り出した。
朝、子どもたちが通学するために歩く小さな道。和徳大通りと並行して、車一台がようやく通れそうな狭い道が自宅の前を通っている。
その道を行けるところまで真っ直ぐ走ってみた。幾つかの小さな交差点を超えると道はやがて行き止まりとなった。行き止まりにはなぜかネオンがあり、突き当たりの建物が飲み屋であることを教えていた。
私は来た道を引き返し、小さな交差点を曲がり堅田方面へ向かった。
小さい頃から水路が好きだった。
水路といっても大きな河川のようなものもあれば、下水のようなものもあるが、私が好きな水路は、幅が30cmくらいのものから1mくらいの水路。例えば、家々の間を流れる水路やメダカやゲンゴロウが生息する小川である。
子どもの頃、小川沿いを歩きながら魚や水生昆虫を採るのが好きだった。それが水路好きに起因しているは確かだ。
水路は道路と似ている。
自然由来の水路もあるが、多くは人間が目的を持って作ったものだ。それは道路も同様。いつか大きな道や川に合流し、やがて大きな街や海に行き着く。
しかし違う点もある。
道路は、大小関わらず人間が作った道に沿って、人間の住む家が建てられていく。
水路は違う。大きな河川であれば川沿いに人間の住む家が建てられていくが、小さな水路は人間の住む家によってその姿が隠されていく。だから、小さな水路は突然現れる。その不意に現れる水路の風景が好きだ。
和徳大通り、和徳から「さくら野」へ向かう県道3号線、そして国道7号線に囲まれた大きな三角形のエリア。住所でいえば、東和徳から俵元、堅田、そして和泉。
この一帯は「さくら団地」や「マルエス団地」と呼ばれたエリアで、昭和の匂いが残る。新しいような古いような、なんとも不思議な雰囲気がある。
和徳大通りから「さくら野」方面へとショートカットする車はあるが、それ以外はこの辺りの住人でなければ、訪れることは少ない。私は東和徳に住んで14年ほどになるが、この三角形のエリアをぐるぐると走るのは初めてだった。
道は微妙にわかりにくい。しかし、視界の向こうに「ヤクルトスイミング」や「さくら野」の看板が見え、方向感覚を失うことはない。
そして不意に水路が現れる。
堅田4丁目から5丁目にかけて流れている水路。この先は土淵川に合流するようだ。
「ヤクルトスイミング」の看板と国道7号の跨線橋が見える。生い繁る草木に囲まれて、水はひっそりと流れている。まわりには小さな田んぼや畑があった。
小さな道が国道バイパスに合流しそうになったので引き返し、和泉方面へと走る。
こちらは、向こうに「さくら野」の看板が見える。
この川はどこから来て、どこへ合流しているのかはわからない。この辺りの水路は、だいたい土淵川に合流するのだろうか。
「マルエス団地」と呼ばれるエリアをぐるぐると回る。時折、小さな水路が現れる。初めての道が複雑に交錯していて、どこをどう走っているのかはわからないが、知らぬうちに来た道に戻っていた。
記念病院が見える場所に来た。裏側からアプローチするのは初めて。
ここでも小さな川が流れている。
決して美しい光景とはいえない。むしろ汚い。
道路とは違い、人知れず目立たぬ場所を流れている…そのひっそりとした存在感に惹かれるのだろうか。
和徳大通りも国道7号も、数え切れないほど走ったが、その内側にあるエリアを隅々まで走ったのは初めてであった。
ふと、見慣れぬ変わった道路が見えた。
それは、よく見ると一般道ではなく、「弘前モータースクール」の練習コースだった。見慣れぬ光景だったが、その先には、いつもの見慣れた山のシルエットが見えた。
「弘前の風景」といえば、弘前公園や禅林街。前川建築や市内に点在する多くの洋館。
フォトジェニックな美しい光景や素晴らしい建築がいくつもある。写真好きであれば外すことのできない被写体たち。しかしそれらの素晴らしい写真は、すでにプロやハイアマチュアの方々によって幾度も目にしてきた。
正直、自分にはそういう類の写真を上手く撮る技術がない。ならば、フォトジェニックとは言い難い風景を撮ってみるのはどうだろう。
美しい光景や素晴らしい建築だけが弘前の姿ではないだろうし、小さな道や路地裏を流れる小さな水路の周りにも、未だ見ぬ弘前の姿があるかもしれない。
そんな「弘前の風景」を少しずつ撮ってみようかな。
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