弘前の風景 ②「植物のある風景」(堅田〜俵元)
「弘前」「水路」というキーワードを並べると、
クレームが来るだろうかと心配したが、
「弘前らしい」よりも「弘前にもこんなところがあるのだ」
そんな陰の写真を撮ってみよう…と散策した先日のプチライド。東和徳から堅田、そして俵元を走ると、
植物だ。
これまた「弘前」「植物」となると、
もちろん庭先に咲く美しいバラの花や、
人間の営みと共生するかのように、いやむしろ人間の営みを超え、逞しく意のままに生きる植物に目を奪われる。
堅田で出会った植物。
外壁が蔦などで覆われている建物は見ることがあるが、
堅田5丁目から国道7号に向かうと、小さな田んぼがある。
国道7号に近づくと車屋が何軒か並んでいる。
廃車と思われる車の中に住みつく植物。これは、共生というよりも明らかに植物の方にエネルギーがある。有刺鉄線のようにも見える。
ファインダーを覗いていたら、
俵元方面に戻り奥羽本線沿いを歩いてみる。歩くといっても道らしい道はなく、少し荒れた空き地のようなところだ。
線路沿いの道は案外少ない。危ないというのもあるだろうが、
空き地の向こうに緑色の建物が見えた。緑色の壁なのではなく、
蔦に覆われた建物は、キレイにしていれば洒落た洋館に見えるが、手入れが行き届いてなければ廃屋に見える。畑があったので近づけなかったが、
大学のとき「蔦のからまるサンダ館」
MTBでのプチ散策も終わりに近づいた。
沈みかけた夕陽があたり、建物もオレンジ色をしている。
屋敷はいろんな植物に覆われていて、全体像を掴めない。
それにしても植物の生命力というものは、人間の比ではない。節操のない森林伐採などを繰り返していれば、地球はやがて再び人間など存在しない、植物の支配する世界に戻るだろう。
だいぶ日も暮れかけた道をゆっくりとMTBで走る。
道の右側に少し古い建物があった。「進修児童館」と書かれてある。そして、その建物の前に石碑があった。
「進脩小學校跡」と彫られてあった。
昔、ここに小学校があったらしい。
弘前に生まれていない自分には、まったく聞いたことのない名前だった。
あとで調べてみたら、明治20年に創立。その後、戦中の紆余曲折を経て昭和14年に和徳小学校に併合となったらしい。それだと地元の人でも、もはや知っている人は少ないだろう。
数億年を生きる植物に比べれば、人間の営みなどほんの僅か。80年程前に閉校した小学校の歴史は目に見えぬほどの点に過ぎない。
しかし、僅か数十年の人間の痕跡には、なにか不思議な重さを感じてしまう。そういえば、先日の「中別所板碑群」でも同じようなことを書いていた。
歳をとった証拠かもしれない。
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