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2021-06-23

弘前の風景 ②「植物のある風景」(堅田〜俵元)


「弘前」「水路」というキーワードを並べると、古都を流れる美しい水路を思い浮かべがちだが、先日の写真はそれとはまるっきり反対のモノであった。

クレームが来るだろうかと心配したが、考えてみたらクレームが来るほどの読者がいるわけでもない。

「弘前らしい」よりも「弘前にもこんなところがあるのだ」

そんな陰の写真を撮ってみよう…と散策した先日のプチライド。東和徳から堅田、そして俵元を走ると、水路以外にも興味深い被写体があった。

植物だ。

これまた「弘前」「植物」となると、古都に似合う美しい桜の花や草木を想像しがちだが、水路同様にまるっきり反対のモノだ。クレームが来ないことはわかっている。

もちろん庭先に咲く美しいバラの花や、水辺に咲く可憐な白い花に心が動かないわけではない…が、ほとんど動くことはない。

人間の営みと共生するかのように、いやむしろ人間の営みを超え、逞しく意のままに生きる植物に目を奪われる。

 

 

堅田で出会った植物。この建物が小屋として使われているのか廃屋なのかはわからないが、窓から覗く植物はまるで住人のようだ。

外壁が蔦などで覆われている建物は見ることがあるが、建物の中に群生しているのは、ちょっとした恐怖を覚える。

 

 

 

堅田5丁目から国道7号に向かうと、小さな田んぼがある。街中にある小さな田んぼというのも、不思議な存在に見える。

国道7号に近づくと車屋が何軒か並んでいる。販売店というよりは、解体や修理工場といった建物だろうか。

 

 

廃車と思われる車の中に住みつく植物。これは、共生というよりも明らかに植物の方にエネルギーがある。有刺鉄線のようにも見える。

ファインダーを覗いていたら、車屋の人が怪訝な顔をしてこちらを見ていた。通報されるといけないので、そそくさと来た道を戻る。

 

俵元方面に戻り奥羽本線沿いを歩いてみる。歩くといっても道らしい道はなく、少し荒れた空き地のようなところだ。

線路沿いの道は案外少ない。危ないというのもあるだろうが、実際住むとなるとかなりの音がするだろう。夜中でも貨物列車は走る。

 

 

空き地の向こうに緑色の建物が見えた。緑色の壁なのではなく、緑色の植物に覆われていた。距離があるのでわからないが蔦だろうか。

蔦に覆われた建物は、キレイにしていれば洒落た洋館に見えるが、手入れが行き届いてなければ廃屋に見える。畑があったので近づけなかったが、この建物は少し洋館風に見えた。

大学のとき「蔦のからまるサンダ館」と言われる古いアパートに住んでいた。趣はあるけど虫が出て大変だった。カマキリもいたし、鳥が入ってきたこともあった。

 

MTBでのプチ散策も終わりに近づいた。

沈みかけた夕陽があたり、建物もオレンジ色をしている。そのとき、いきなり怪物が現れた。

 

 

屋敷はいろんな植物に覆われていて、全体像を掴めない。小さなトラックも、なんとか両眼が見える程度。

それにしても植物の生命力というものは、人間の比ではない。節操のない森林伐採などを繰り返していれば、地球はやがて再び人間など存在しない、植物の支配する世界に戻るだろう。

 

だいぶ日も暮れかけた道をゆっくりとMTBで走る。

道の右側に少し古い建物があった。「進修児童館」と書かれてある。そして、その建物の前に石碑があった。

「進脩小學校跡」と彫られてあった。

 

 

昔、ここに小学校があったらしい。

弘前に生まれていない自分には、まったく聞いたことのない名前だった。

あとで調べてみたら、明治20年に創立。その後、戦中の紆余曲折を経て昭和14年に和徳小学校に併合となったらしい。それだと地元の人でも、もはや知っている人は少ないだろう。

 

数億年を生きる植物に比べれば、人間の営みなどほんの僅か。80年程前に閉校した小学校の歴史は目に見えぬほどの点に過ぎない。

しかし、僅か数十年の人間の痕跡には、なにか不思議な重さを感じてしまう。そういえば、先日の「中別所板碑群」でも同じようなことを書いていた。

歳をとった証拠かもしれない。

 

 
 

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