初冬のツーリングは赤く染まる
岩木川に差し掛かるあたりで、鼻から汗が流れてきた。
まだ汗をかくほどの距離は走っていない。イヤな予感がする。
鼻に当てたサイクルグローブが赤く染まっていた。
(鼻血!)
私は慌てて茜橋の手前にあるコンビニにロードを停めた。
朝(といっても昼近くになっていたが)、鼻の中が乾くので、ティッシュを丸めてグリグリしたら鼻血が出た。
すでに2時間以上経っていたので、完全に乾いたと思っていたが甘かった。
久しぶりに脚を廻したので、体温が上がり血流が良くなるのが早かったのかもしれない。
かき始めた汗が、乾く前の粘膜を潤してしまったのかもしれない。
数日前から雪が舞い始め、冬の到来を感じ始めていたが、今日は少し暖かい。
この先、雪が降り積もることがあれば、今日が今シーズンのラストライドになるだろうか。
そう思い立ち、岩木山神社に向かったのだった。
コンビニにロードを停めて思った。
(あ、そういえば俺マスクしてないな。しかも持ってくるのも忘れてた)
この2年ほど、街で人を見かけるとき、マスクをしていない人を見ると違和感さえ抱くようになった。
コンビニの駐車場でマスクをしていない自分は、何か悪い人間のようにも思えた。
鼻を覆っていたハンドタオルで、そのまま顔の下半分を覆い、私はコンビニに入った。
マスクとティッシュを買い、ティッシュをちぎり丸めて鼻につめる。
走ってまだ5km。
(どうしようか。このまま走ると、身体が温まって、また鼻血が出てくるかもしれない。でもこのまま帰るのは、どうも物足りないな…)
(いや、普通は帰るでしょ)とも思ったが、しばらく走ってみることにした。
もし、また流れてきたら、その時は素直に諦めて帰るとしよう。
晩秋というよりは、初冬といった方がふさわしい津軽の風景が広がる。
岩木川を流れ来る水流も冷たそうな音を立てていた。
それにしても、街中でマスクもせずに自転車に乗っている人は、最近では少ないだろう。
たとえロードバイクであっても、街中でマスクなしでは少々気がひける。
それなのにマスクもせずに、しかも鼻にティッシュを詰めて走っている人は、かなり奇異に見えるだろうな。
そういえば思い出した。
私がロードバイクを始めた頃、よく鼻血を出していたのだ。
もう10年近くも前になるが、朝練と称して毎朝岩木山神社まで走っていた。
バイパスの坂を上りきり、最後の岩木山神社までのラストスパートを死に物狂いで脚を廻す。
そして神社に到着すると、よく鼻血が流れた。
あの頃は、血気盛んだったようだ。フェイスブックのプロフィールも鼻血の写真だったくらいだ。
今は、血気盛んなのではなく、年齢とともに単に粘膜が弱くなっているだけのことだ、きっと。
バイパスを上りながら、いつもとは違う方に道に入ってみた。
道は途中から砂利道になった。昨日の雨が残っているせいか、道はゲチャゲチャしている。
転ばぬように慎重にゆっくりと道を進む。
ある場所に来て、そこから岩木山を眺めた。
津軽の風景写真が好きな人には有名な場所だ。
岩木山、茅葺屋根の古い民家、桜の木や柿の木。津軽を表現するにはこれ以上ないほど要素の揃った風景。
要素が揃い過ぎた風景は、お膳立てされているようで苦手だ。
しかも皆に人気があるとなれば、「絶対、撮るもんか!」と、すぐに天邪鬼が顔を出して背を向ける。
でも、今日はいいのだ。鼻血を出したから。
素直に津軽の風景を味わうのだ。
元の道に戻り、再びバイパスの坂を上る。
どうやら鼻血は出ていないようだ。でもこのまま坂を登り続けると再流出するかもしれない。
私は、ふと岩木山がきれいに見えるところで立ち止まった。そこでまた、写真を一枚撮った。
少しの間、その場に居て考えごとをした。
自分にとっての時間は有限ではない。この年齢になると、残された時間というのは、そんなに多くはないだろう。
だからといって、これもやろう、あれもやろうとは思っていないか。
確かに自堕落な日々を過ごしていれば、あっという間に時間は過ぎていく。
しかし、急ぐ必要はないのだ。
私は、岩木山神社まで行くことを諦めた。あと数kmではあったが諦めた。
もう一度くらいラストライドできる日があるかもしれない。
目の前に、すでに稲が刈り取られてしまった田んぼがあった。
ここ数日降った雨で、田んぼには水が張られていて、逆さになった岩木山が映っている。
逆さになった岩木山を撮ってみようとしたが、上手く撮れなかった。
水の中に目をやると、刈り取られた後の稲が、並ぶようにして水の中に横たわっていた。
5月に植えられ、10月に実を刈り取られ、そして役目を終えた稲たちが静かに横たわっている。
役目を終えて、満足だったのだろうか。
人間に刈り取られることが、自分の満足いく生き方だったのだろうか。
ほんとは、違う生き方をしたかったのだろうか。
…いや、自分は田んぼの土の肥やしになって、来年また、自分の子どもたちに岩木山を見せてあげるのだよ…
そう語っているような彼らを撮ってみた。
神社までは走らなかったけれど、どこかすがすがしい気持ちになりバイパスを下った。
街に戻ると、マスクをしないまま走っている自分に気づいた。
鼻にティッシュを詰めたまま走っていた。
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