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2021-11-30

初冬のツーリングは赤く染まる


 

岩木川に差し掛かるあたりで、鼻から汗が流れてきた。

まだ汗をかくほどの距離は走っていない。イヤな予感がする。

鼻に当てたサイクルグローブが赤く染まっていた。

(鼻血!)

私は慌てて茜橋の手前にあるコンビニにロードを停めた。

 

朝(といっても昼近くになっていたが)、鼻の中が乾くので、ティッシュを丸めてグリグリしたら鼻血が出た。

すでに2時間以上経っていたので、完全に乾いたと思っていたが甘かった。

久しぶりに脚を廻したので、体温が上がり血流が良くなるのが早かったのかもしれない。

かき始めた汗が、乾く前の粘膜を潤してしまったのかもしれない。

 

数日前から雪が舞い始め、冬の到来を感じ始めていたが、今日は少し暖かい。

この先、雪が降り積もることがあれば、今日が今シーズンのラストライドになるだろうか。

そう思い立ち、岩木山神社に向かったのだった。

  

コンビニにロードを停めて思った。

(あ、そういえば俺マスクしてないな。しかも持ってくるのも忘れてた)

この2年ほど、街で人を見かけるとき、マスクをしていない人を見ると違和感さえ抱くようになった。

コンビニの駐車場でマスクをしていない自分は、何か悪い人間のようにも思えた。

鼻を覆っていたハンドタオルで、そのまま顔の下半分を覆い、私はコンビニに入った。

 

マスクとティッシュを買い、ティッシュをちぎり丸めて鼻につめる。

走ってまだ5km。

(どうしようか。このまま走ると、身体が温まって、また鼻血が出てくるかもしれない。でもこのまま帰るのは、どうも物足りないな…)

(いや、普通は帰るでしょ)とも思ったが、しばらく走ってみることにした。

もし、また流れてきたら、その時は素直に諦めて帰るとしよう。

 

 

晩秋というよりは、初冬といった方がふさわしい津軽の風景が広がる。

岩木川を流れ来る水流も冷たそうな音を立てていた。

それにしても、街中でマスクもせずに自転車に乗っている人は、最近では少ないだろう。

たとえロードバイクであっても、街中でマスクなしでは少々気がひける。

それなのにマスクもせずに、しかも鼻にティッシュを詰めて走っている人は、かなり奇異に見えるだろうな。

 

そういえば思い出した。

私がロードバイクを始めた頃、よく鼻血を出していたのだ。

もう10年近くも前になるが、朝練と称して毎朝岩木山神社まで走っていた。

バイパスの坂を上りきり、最後の岩木山神社までのラストスパートを死に物狂いで脚を廻す。

そして神社に到着すると、よく鼻血が流れた。

あの頃は、血気盛んだったようだ。フェイスブックのプロフィールも鼻血の写真だったくらいだ。

今は、血気盛んなのではなく、年齢とともに単に粘膜が弱くなっているだけのことだ、きっと。

  

バイパスを上りながら、いつもとは違う方に道に入ってみた。

道は途中から砂利道になった。昨日の雨が残っているせいか、道はゲチャゲチャしている。

転ばぬように慎重にゆっくりと道を進む。

ある場所に来て、そこから岩木山を眺めた。

 

津軽富士と茅葺屋根

 

津軽の風景写真が好きな人には有名な場所だ。

岩木山、茅葺屋根の古い民家、桜の木や柿の木。津軽を表現するにはこれ以上ないほど要素の揃った風景。

要素が揃い過ぎた風景は、お膳立てされているようで苦手だ。

しかも皆に人気があるとなれば、「絶対、撮るもんか!」と、すぐに天邪鬼が顔を出して背を向ける。

 

でも、今日はいいのだ。鼻血を出したから。

素直に津軽の風景を味わうのだ。

 

元の道に戻り、再びバイパスの坂を上る。

どうやら鼻血は出ていないようだ。でもこのまま坂を登り続けると再流出するかもしれない。

私は、ふと岩木山がきれいに見えるところで立ち止まった。そこでまた、写真を一枚撮った。

 

初冬の津軽富士

 

少しの間、その場に居て考えごとをした。

自分にとっての時間は有限ではない。この年齢になると、残された時間というのは、そんなに多くはないだろう。

だからといって、これもやろう、あれもやろうとは思っていないか。

確かに自堕落な日々を過ごしていれば、あっという間に時間は過ぎていく。

しかし、急ぐ必要はないのだ。

 

私は、岩木山神社まで行くことを諦めた。あと数kmではあったが諦めた。

もう一度くらいラストライドできる日があるかもしれない。

  

目の前に、すでに稲が刈り取られてしまった田んぼがあった。

ここ数日降った雨で、田んぼには水が張られていて、逆さになった岩木山が映っている。

逆さになった岩木山を撮ってみようとしたが、上手く撮れなかった。

水の中に目をやると、刈り取られた後の稲が、並ぶようにして水の中に横たわっていた。

5月に植えられ、10月に実を刈り取られ、そして役目を終えた稲たちが静かに横たわっている。

 

役目を終えて、満足だったのだろうか。

人間に刈り取られることが、自分の満足いく生き方だったのだろうか。

ほんとは、違う生き方をしたかったのだろうか。

 

水の中で

  

…いや、自分は田んぼの土の肥やしになって、来年また、自分の子どもたちに岩木山を見せてあげるのだよ…

そう語っているような彼らを撮ってみた。

 

神社までは走らなかったけれど、どこかすがすがしい気持ちになりバイパスを下った。

街に戻ると、マスクをしないまま走っている自分に気づいた。

鼻にティッシュを詰めたまま走っていた。

 

 


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