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2022-01-29

【 りんご前線 – Hirosaki Encounters 】弘前れんが倉庫美術館 ②


 

れんが倉庫美術館で開催されている【-りんご前線-hirosaki-encounters-】を訪れてから、2週間が過ぎていた。

1階フロアをまわり、2階フロアへ…というところで前回のブログは終わっていた。数日後に続きを書こうと思っていたが、のんびりしているうちに2週間が過ぎていた。

のんびりしていた自分がだらしないというのもあるのだけれど、書くのを躊躇っていた理由は別にもあった。

ここ10日間ほどで弘前には新型コロナの感染者数が爆発的に増加。数日前からは、県内で弘前市を限定としてマンボウ(蔓延防止なんたらかたら)が発令された。

市内の飲食店は休業状態となり、公共施設のほとんどは休館となる。れんが倉庫美術館も例外ではなく、2月いっぱいは臨時休館となってしまった。休館中なのに、展覧会に行ったことを書くのもなんだかなあ…と思っていた。

しかし、どうやら休館明けから3月13日まで再開催されるとのこと。ヨカッタヨカッタ。

というわけで、続きを書くことに。ただ、この歳になると、2週間前の記憶はかなりぼんやり。事実とは違うことを書いたとしても、あしからず。

 

前回のブログ、最後にこう書いていた。

”  2階フロアが近づくにつれ、心臓の鼓動が速くなっているのを感じていた。期待と不安、そして畏れを感じていた。木村先輩から展覧会のチケットを受け取ったときから、それを予感していた。展覧会に足を運ぶまでに時間がかかったのは、大雪のせいだけではなかった。”

今回の展示されている作家にの中には何人か知る人がいた。偶然だと思うのだが、その知る人の作品はすべて2階フロアに展示されていた。

 

2階フロアは、恩師「村上善男」の作品から始まる。点数もかなりのものだった。

作品のほとんどは、村上先生が弘前に来られてからのものが多く、私自身にとっても見覚えのある作品だった。同時にそれらは、常に身が引き締まる思いのする作品ばかりであった。

学生時代、遅刻したり欠席したりとだらしない生活を送っていた自分は、よく先生に叱られた。だから先生の作品を目にする度に「おい、おまえさん何やってるんだ?」という声が聴こえるのである。

 

村上先生の言葉

 

今回の展示は、作品のみならず、ポスターや本といった刊行物も展示されている。

当時、自分はポスターや本の表紙をデザインする勉強をしていた。故に、村上善男の現代美術ももちろん好きだったけれど、アートディレクターとしての村上善男の作品にも憧れた。

その頃に染みついた感覚は、今の自分の仕事にも随分と影響していると思う。

 

フロアの中央に、お山参詣のときに使われる御幣が展示されていた。5mほどもあるだろうか。

「あれは、どちらにあったのですか?」と会場の隅にいた係りの女性に尋ねると、「たぶん、村上先生のアトリエでしょうか」という答えが返ってきた。

こんな大きいものが部屋に入るのだろうかと思ったが、そういえば大学3年のときに、先生のお宅へ遊びに行ったことがあった。

先生の住んでいたアパートは自身で「北奥舎」と名付けられていて、そこは住まいというよりはアトリエだった。アパートではあったが、一軒家のような作りで、天井も高かったような記憶がある。

しかし、40年以上も前のことだから、勝手に記憶は作り変えられているかもしれない。2週間前のことでもあやふやなのだから。

 

「これ、パパが大学のときに教わった先生の作品だよ」

そう言うと「ふ〜ん」と娘はとくに関心を寄せるような表情もなく、先へ歩いて行った。

(村上先生、ありがとうございました)と、心の中でお礼を呟きながら、私も娘のあとについて行った。

 

村上先生の展示フロアを次には、同じく弘前大学教育学部教授「塚本悦雄」の作品が展示されていた。

塚本先生とは、一度だけ話をしたことがあった。弘南鉄道弘前中央駅の「ギャラリーまんなか」で小さな作品展を開催されていたときに話をしたのだ。

 

塚本先生の作品は主に彫刻による立体で、不思議な形をした生物のようなものが並ぶ。

そして、それと同じようなカタチをしたものが幾つも並ぶ。ひっそりと何も語らぬ立体が、何か得体の知れないエネルギーを発している。

 

塚本先生の道具たち

 

亡くなった妻が、塚本先生に随分とお世話になった。

美術館にも連れて行っていただいたし、自分をモデルとして立体を作っていただいたこともあった。

今、その像は自宅のリビングに置かれてある。まるで、本人がまだそこに居るようだ。

だから、なんとなく塚本先生の作品を目にするのは、村上先生とはまた違う…畏れのような、感謝のような…不思議な感情があったのだ。

 

そんな私の思いをよそに、娘はまたさらに先へと歩いて行った。

少し暗いスペースに来ると、壁に写真が投影されていた。その写真は、いずれも弘前を代表する建築であった。

弘前市民会館や弘前市斎場をはじめとする前川建築。青森銀行記念館や一戸時計店など趣のある洋風建築。そして土手町に異彩を放った中三デパート。

その、どれも見慣れた建築ではあるが、素晴らしいアングルと描写で見る者を圧倒する写真。その写真を撮ったのが、「柴田翔」である。

 

中三デパート

 

以前も書いたことがあるけれど、翔さんは私が最初に写真展を開催したとき、一緒に参加してくださったメンバーで、若き才能あふれる写真家である。津軽をモチーフとした彼の写真は、強く美しく、随一である。

久しぶりに彼の写真を拝見したけれど、やっぱり翔さんらしく、寡黙でカッコよい写真ばかりだった。またいつか、ゆっくりお話ししたいな。

 

最後は、これもまた幾つかの前川國男建築が並ぶ。小さな白い模型たち。弘前を代表する建築家「蟻塚学」デザインのりんご箱を使った空間演出。

蟻塚さんとは十年ほど前からSNSを通じて知り合った。彼の作品は、クールでストイック。でもなぜか温かみを感じさせてくれる。きっと蟻塚さんのお人柄が作品に表れているのだと思う。

実は、彼の息子さんと私の娘が同じ保育園の同級生だった。まさに、このれんが倉庫の前庭に立っていた「わんこ(メモリアルドッグ)」を毎日のように見ながら、二人とも保育園に通っていたのだ。

 

レンガの向こうに見える保育園

 

私と娘は、すべての作品を見終えて、そのまま窓辺の方に歩いて行った。

かつて彼女が通っていた保育園が、降りしきる雪の向こう側に見える。

 

作品展を見終えた後は、気持ちが高揚して「自分も頑張ろう」と勝手に盛り上がるのが、いつもの自分だったが、この日は少し違っていた。

うまく言葉にできないけれど、粛然とした、でも何か安堵したような複雑な想いが交錯する。

このような美術鑑賞があってもいいのかな、と思った。

 

 

 


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