NHK全国音楽コンクール 東北大会引率記
土日、「NHK全国音楽コンクール」通称「Nコン」の東北大会に行ってきた。
娘の学校が青森県の代表ということで、名取市の文化会館で開催される東北大会に進むことになり、私も初めて引率者の一人として参加した。
土曜日の朝早くから学校で練習。
朝一で、私が発声練習や体操の指導をすることに。
この一ヶ月。県大会が終わってから、週に一度、発声や発音の指導に携わった。
指導の効果があったのかどうか、正直なところ全くわからないのだが、先生や保護者の皆さんも、だいぶ歌声が柔らかくなったと話してくださっていた。
私自身、彼らの練習の演奏を聴いてみても、荒削りだった演奏がかなりまとまってきたな…という印象。
私の発声練習が終わった後、先生の練習が昼過ぎまで続いた。
最後の練習とあって、先生の指導にも熱が入る。
練習の間に、引率者父兄が荷物をバスに積み込んだり、昼食の用意をしたりと慌しく動く。
皆さん慣れているので、とても手際が良く、引率に関して初心者の私は、もう指示されるままに動くかんじだ。
練習も終わり、いよいよバスに乗り込む。
校長先生はじめ、お見送りの方々がたくさんみえていた。
私は、元気にバスに乗り込む子供達をビデオに撮った。
みんないい表情だな。
こうして、東北大会に向かうW小学校チームを乗せたバスが、弘前を出発した。
私はバスの一番後ろに陣取り、お弁当やおやつなどを渡す係。
分刻みのタイムスケジュールを保護者役員の皆さんが作ってくださり、本当に頭が下がります。
途中、何回かの休憩を入れながら、バスはスムーズに目的地、多賀城市にあるホテルに着いた。
すでにバスの中で夕食も済ませているので、ホテルではすぐ寝る準備。
3人から5人の部屋に分かれ、各部屋には保護者が一名ずつ。
私の部屋は狭い和室で、私以外は男の子が二人。
翌朝、5時頃には起きなくてはならないので、シャワーをしたらすぐ寝る予定だったのだが、やはり修学旅行状態なかんじ。
もうかなりうるさい。
「明日、早いぞ!早く寝ろ!」
疲れていたのか、いったん布団に入るとあっという間に寝てしまった。
自分はというと、疲れているはずなのに、何か変な緊張感でもあったのか妙に眠れず。
結局、夜中に起きて、夜風にあたりながら一人外をみる。
大会が開催される名取市も震災で大きな被害を受けた街だが、この多賀城も甚大な被害を受けた街だ。
窓の外は暗く、海がどの方角にあるのかはまるでわからなかったが、なんとなく海の方に向かい明日の演奏に気持ちを馳せた。
隣に寝た4年男児の強烈なパンチを何度も浴びながら、ほとんど眠れず朝を迎えた。
朝食を済ませ、朝の練習をするために会場近くにある中学校へ向かう。
練習場所をお借りした中学校では、他の参加校も練習をしていた。
各県を代表してきているだけあって、声の響きが素晴らしい。
おそらく子供たちも「上手いなあ〜」と思いながらプレッシャーを感じているに違いない。
先生が会場の下見をするために、練習を30分ほど抜けたので、その間、私が練習を受け持つ。
ここまでくると、私が何をするということもできないので、おやつを食べ休憩しながら、なるべくリラックスできるように話をするくらい。
練習を終え、大会会場に向かう。歩いても5分ほどで着く。
名取市文化会館は、建築家槇文彦氏の設計による、素晴らしい建築。
時間がなかったので、建物の全容を見ることはできなかったが、ガラスをふんだんに用いたモダンな建築だ。
ホールに入ると、すり鉢状になった造りをしていて、音が気持ちよく響きそうだ。
こんな素敵なホールで歌えるというだけでも、東北大会に出場できた各校の子供たちは幸せだと思う。

会場に入ると、あとは係の方に誘導されながら、分刻みのタイムスケジュール通りに動くだけだ。
我々保護者はリハーサル室まで一緒についていく。
リハーサルを終えた後、ペットボトルのお茶で喉を潤す。
そういったきめ細かいところまで、保護者役員の方々が綿密に準備をしているのには、感服した。
子供たちと別れて、我々もホールに入る。
県大会とはまるで違い、客席はかなりの観客で埋まっていた。
我々が入ると、間をおかずに子供たちがステージに入場してきた。
県大会の時とは並び方を変え、扇型になっている。
娘が真ん中の一番前にいた。
演奏が始まった。
課題曲。
私が指導したときも、歌いだしの発音だけでも幾度となく練習をした。
特別に凝ったことをせずとも、聴く側を「おっ」と思わせる出だしをしたい。
いい歌いだしだ。
緊張した様子もなく、いつもの演奏ができている。
細かいところを言えば、まだまだなところはあるのだろうが、私は何も考えることなく彼らの歌う音楽を聴いていた。
自由曲。
最初聴いたときは、こんな難しい曲を彼らが歌えるのだろうかと思っていた。
県大会の彼らの演奏の録音を何回も聴き、何度か指導に携わっているうちに、私も曲を覚えてしまった。
いつしか、知らず知らずのうちに、この曲を口ずさむようになっていた。
無事に彼らの演奏が終わった。
すぐにホールを出て、彼らを迎える。
ホールでは距離があったので、表情はうかがい知れなかったが、演奏を終えた彼らはとてもいい表情をしていた。
ロビーで演奏を終えた彼らと先生たちの記念写真を撮る。
公式の記念撮影はないので、これは私の重要な役割だ。
いや、ほんといい顔をしているなあ。
子供たちは他の学校の演奏を聴くためにホールへ戻る。
我々は、3階に行って昼食の準備をする。
途中、ロビーでモニターに流れる他の参加校の演奏の様子を聴いた。
さすがに上手い。
声の質が全く違う。
東北は全国の中でもトップクラスのレベルを誇る地区大会だ。
とくに福島県(中でも郡山市)と岩手県は群を抜いている。
この中で入賞するのは並大抵ではないな…と思いながら3階へ向かった。
子供たちが好きそうなサンドウィッチを用意した。
演奏を聴き終えた子供たちが来た。
30分足らずで、閉会式が始まる。
県大会に比べ、プログラムの進行がスピーディだ。
みんなで急いで昼食を済ませ、再び会場に戻る。
遅れることなく、閉会式が始まった。
主催者の挨拶、審査員の講評がある。
声楽家の審査員の方による講評は、子供たちにもわかりやすく、そして指導する側にもとても勉強になる素晴らしい講評だった。
審査発表のときがきた。
出場15校のうち、銅賞は3校、銀賞2校、そして全国に進める金賞は1校のみ。
銅賞からの発表。
ここでは呼ばれなかった。
この段階で、すでに郡山と岩手の常連校が呼ばれている。
銀賞の発表。
ここで呼ばれなかったら…もう厳しいかもしれない。
ここでも呼ばれなかった。
銀賞も岩手の学校だった。
残るは金賞のみ。
隣に座っていた、お母さんは「え、どっち?どっち?」と囁いていた。
私は、この時点ですでに覚悟はできていた。
金賞の発表。
やはり呼ばれなかった。
最終的に金賞を獲得したのは、ここでもやはり郡山の小学校だった。
郡山の小学校、恐るべし!である。
6校以外の9校は、すべて奨励賞であった。
全体での合同合唱を終えて、ロビーの外に出た。
外に出てきた子供たちの表情。
悔しそうな顔をしている子もいれば、半泣きの子もいる。
観覧に駆けつけていた父兄の皆さんも一緒になり、先生の前に集まった。
会場の外は青空だった。
先生が子供たちを集め、お話をしてくれた。
今日の演奏が、ほんとうに素晴らしかったこと。
これまでの厳しかった練習が、これからの自分たちにきっと役に立つこと。
そして、今回の結果をうけて、歌うということを決して嫌いにならず、またこれからのステージに向けてさらに頑張っていって欲しいということ。
私の横で、観覧にいらしていた保護者の方が号泣していた。
6年生の娘さんのお母さんなので、なおさらなのだろう。
先生の話が終わり、みんなでバスに向かう。
いつも一番元気な5年生の女の子が思いっきり泣いていた。
娘は「こんなに練習したのに..ちくしょー!」と言っていた。
バスに乗り込むと、思い耽る間もなく弘前に向けて出発した。
一時間ほど走り、途中の長者原のサービスエリアでお土産などのお買い物をした。
子供たちは、すっかり元気な表情に戻っていた。
弘前までの道中、暮れかかるバスの外の光景を眺めながら、私はぼーっとしていた。
自分が演奏をしたわけでもないのに、妙に心にぽっかり穴が空いた感じ。
日頃の子供たちの頑張りを見てきたので、なんとか賞を獲らせてあげたいな…という思いもあったのだが。
でも考えてみると、この1ヶ月ほどで、東北大会出場という最高の賞をいただくことができ、その東北大会の場では全く歯が立たないという経験もし。
彼らにとっては、いい経験ができたのではないだろうか。
音楽に順位をつけるのは、誰も本意ではないだろうが、コンクールというのはそういう場である。
でも賞に入れなかった、彼らの演奏を素晴らしいと感じてくれた人もいるだろう。
きっと号泣していた、あのお母さんにとっては金賞だったに違いない。

私の頭の中には、何度となく自由曲の最後のフレーズが繰り返し流れていた。
〜そのとき ぼくが そばにいる〜
〜いつでも ぼくが そばにいる〜
「こんなに練習したのに..ちくしょー!」
娘ちゃん、ますます好きになりましたよ〜♪