台風一過 と 26年前の「台風19号」
台風18号が青森の上空を通り過ぎた。
弘前は思いの外、強風や大雨の被害は少なかったようだが、周辺の平川や鯵ヶ沢方面では、リンゴの落果もあったようだ。
被害の全容はわからないけれども、最小限の被害であることを願うとともに、被害に遭われた農家の方々にお見舞いを申し上げたいと思う。

それにしても、ここ数年、台風や大雨の被害が多いように思う。比較的、青森県は被害が少ないようではあるけれど、九州などは毎年のように台風や大雨洪水の被害に見舞われている。
温暖化によるものなのかどうかは定かでないが、一度に降る量が昔よりも多いのかもしれない。
自分が小さい頃も、大雨や洪水はあったけれど、昔は堤防なんかも今ほど立派ではなかったし、決壊することもあったのだと思うが、ここ数年の洪水はその立派な堤防さえも超えてしまう雨の量である。
津軽一帯で台風の被害といえば、間違いなく平成3年の「台風19号」であろう。自分はもう働いていたので、すごく昔には感じないのだが、平成3年といえば、もう四半世紀も昔の話だ。
今、自分の働いている店にいる若者スタッフはまだ生まれていないのだ。だから、この台風のことはよく知らないらしい。
ちなみにウィキ先生ではこのような記述。
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平成3年台風第19号(へいせい3ねんたいふうだい19ごう、国際名:ミレーレ〔Mireille〕)は、1991年(平成3年)9月に発生し、日本列島に甚大な被害を与えた台風である。「りんご台風」の別名で有名である。
青森県のリンゴ畑では、収穫前のリンゴが木からほとんど落ち、リンゴの倒木・枝折れの被害に見舞われた。落下したリンゴは生食用には不向きでほとんど値がつかないため、ジュースやジャムなどの加工用に回され、地域の小学校などでは給食に支給された。また、倒木等により被害を受けたリンゴ農園の収穫量回復には時間がかかるなど、長期的に甚大な被害を受けた。しかしながら、この時に木から落ちなかったリンゴは、“落ちないリンゴ”として販売され、当時の受験生に人気を呼んだ。なお、リンゴの被害面積は22,400ヘクタール、被害数量は38万8,000トン、被害金額は741億7千万円とされている。
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数字の見方は詳しくわからないけど、とにかく甚大な被害だったことは想像できる。
さて、そのとき自分は何をしていたのだろうか?実はよく覚えている。
実は台風がひどかったのはよく覚えていない。実は夜中3時過ぎまで飲んでいたのだ。とにかくベロンベロンになってアパートに帰ったらしい。だから暴風が吹き荒れていたのはよく覚えていない。
その頃は、松森町のアパートに住んでいて、部屋が大通りに面していた。いつもだと、朝になると走る車の音がウルサイと感じるくらいの部屋だ。ところがその翌朝、二日酔いのまま目が覚めたが、妙に静かであった。
車の音がしないのだ。車の音だけではない。何の音もしないのだ。街が静まり返っていた。
何かがおかしい。ふらふらしながら、通りに面した窓を開けて、そして一気に酔いが醒める。通りには木々が散乱し、車は一台も走っていない。
テレビをつけたが、画面には何も映らない。冷静になろうと水を飲もうとしたが、水も出ない。
とにかく大変なことが起きていたことだけは理解できたので、店に向かった。
店の中も真っ暗だった。店は中土手町にあったが、その店の前に巨大な屋根が横たわっていた。近くの女子大の屋根だという。
その日の営業は諦めることにして、とりあえずみんな帰ることになった。しかし帰ったところで、電気もつかなければ、トイレも使えない。私は鰺ヶ沢の実家に帰ることにした。
鰺ヶ沢への道中も、かなり木々が倒れていたが、なんとか帰ることができた。鰺ヶ沢の方も被害はあったのであろうが、弘前方面ほどではなかったようだ。のちに友達から聞いた話だが、平賀あたりでは家の屋根がバンバン飛んでいたそうだ。
ここ数年は、地震や洪水などの自然災害も頻発し、天地が怒り狂っているような気がする。昨今のミサイルや核爆発のような、自然に歯向かおうとする人間への警鐘なのではないだろうか。
18日の風は強かったが、昼過ぎからは青空も覗いていた弘前の街。
台風一過で気温も上がった。なんとも、生暖かい風が吹く、9月の空であった。

今日は、お山参詣の宵山。なんとか無事に行われそうだ。
いつも以上に、自然に敬意を払う思いの参詣になるのではないだろうか。

また、いつ天地に異変があるかもしれない。
お酒もほどほどにしておこう。
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