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2017-10-07

同窓会  「ツッパリ」VS「オシャレ」


 

同窓会なるものには、ほとんど顔を出したことがなかった。

大学の頃、中学校のクラスの同窓会があったが、そのときは出席した。

ただ、卒業して数年しか経ってないので、それほど顔合わせを新鮮に思った記憶はない。

その後、かなりの年月が経ってから、これまた中学校の同窓会があった。それも学年全体のものである。

中学生だった自分たちが埋めたタイムカプセルを、20年?ぶりに開けるというイベントだったと思う。

タイムカプセルから出てきた代物。なぜかエンペラーチョコの箱の中に、開運手形と点数の悪いテスト(笑)

さすがに誰もがいい大人になっていたが、顔を見れば、「あ、あいつだ」とわかった。

それでも、その同窓会自体が、現在からすでに20年近く経っているので、どんな会だったかは記憶もおぼろげである。

私が、中学生、高校生だった時代は、世の中「ツッパリ」が全盛であった。

男子生徒は、長い学ランをまとい、幅広のボンタンを履いていた。

中学のときは、ある程度まじめな格好をしていた生徒が多かったが、高校に入ると一変。

私の通学列車だった五能線の車内は凄まじいものがあった。

私は、中学の頃から比較的優等生のふり(笑)をしていたが、心の中では「ツッパリ」のスタイルに憧れていた。

当時、五所川原にある高校に通う高校生たち、なかでも、五所川原農林高校の生徒たちの「ツッパリ」具合はハンパなかった。

リーゼントの長さが、額よりも10cm以上とんがってるヤツはザラにいたし、もちろん通学列車内で煙草をプカプカやってるヤツも普通にいた。

試験の日など、車内で参考書なんかを開いていると「ナニ、こったどごでも勉強しちゅーんずやあ!」

と、因縁つけられるのは普通の光景である。

五所川原農林で「番」を張っていたといわれた、S君は中学校のときの卓球部の友達だった。

だから、彼の取り巻きに因縁をつけられることは無かったように思う。

私の通った高校は、市内では一応進学校だったので、そこまで荒れてはいなかったが、やはり中ラン&ボンタンはたくさんいたし、短ランもけっこういた気がする。

その頃、巷では「横浜銀蝿」をはじめ、「ナメ猫」など、ツッパリスタイルが大流行していたが、一方でIVYスタイルも流行り始めていた。

だから、下はボンタンだけど、シャツは「VAN」のボタンダウンとか、「マクベス」のウィンドブレーカーを羽織るとか。

進学校らしい、中途半端にオシャレもしたいスタイルが多かった気がする。

それでも、ツッパりたいヤツは「クリームソーダ」の財布をジャラジャラさせて、リーゼント。

誰もが、自分なりに必死にオシャレをしていた時代である。

優等生ぶっていた自分は、やはりIVYスタイルがしたくて、「ユニバーシティショップ」のレタードセーターに「クロコダイル」のスイングトップを羽織って(当時は「ラコステ」だと思っていた)、「R」マークの「リーガル」のスニーカーを履いた。

でも、ちょっとは「ツッパリ」もしたくて、少しだけモモのところが広い「プチ」ボンタンを履いていた。

校章

そんな風に「ツッパリ」を遠目に見ながら、「オシャレ」に目覚めた高校時代。

周りの友達にも、オシャレをするヤツがけっこういて、東京に行くヤツがいれば、「ボートハウス」のトートバッグや「クルーズ」のトレーナーを頼んだりしたものだ。

自分はイラストを描くのが得意だったので、学生カバンに「Jプレス」のロゴをデカでかと描いていた。

服を買えないので、そんなことをして自己満足していたのだろう。

しかし、一緒に「オシャレ」を楽しんだ高校時代の友達とも、なぜか大学に入ってからは少し縁遠くなってしまった。

おそらく、自分が仙台で一浪して弘前大学に入学したせいもあるだろうし…それに、一緒にオシャレを楽しんだ仲間はみな東京の大学に行ってしまっていた。

私は、在学中から今も勤めている店でバイトをしていたので、「洋服」どっぷりの青春時代を過ごしていた。

一度だけ、高校時代の友達が弘前にある私のアパートに遊びに来た記憶があるが、みんなそんなにオシャレに気を漬かっている様子はなかった気がする。

その後、ほとんど彼らとは音信が不通になった。

かなりの年月が経ち、高校時代の同窓会のようなものが開かれる旨の案内が、何度か届いた。

私は、居を弘前に構えていたし、実家は鰺ヶ沢にあったので、五所川原に足を向けるというのは、なんとなく面倒であった。

風の噂では、誰々が教師をしている、あとを継いで大きな会社の社長になっている…など聞こえてきてはいた。

そんな中に、ただ洋服屋として働いている自分が、ひょいと顔を出すのは気が引けていたのかもしれない。

自分の中では、青森県内でもそれなりに良いレベルのセレクトショップだと自負はしていたが、ファッションに興味を持たなくなってしまった友人たちに、そんなことを訴えたところで、わけのわからない話だろうと思っていた。

まともな同窓会が開かれ、みんなで呑みながら盛り上がったりしたのか、それともただ顔を会わせて終わるかんじだったのか、私には知る由もなかった。

行われるのも、正月だったりお盆だったりで、帰省客が多い時期には仕事が忙しい自分としては、行かない理由が勝手に出来上がっていた。

そうして結局、この歳になるまで、高校の同窓会なるものには顔を出したことがない。

今になると、誰が何の仕事をしていようと、どんだけ偉くなっていようと、全く関係がないことである。

おそらく誰もが、仕事の上でも、また家庭の上でも、いろいろな苦労があることだろう。

今だったら気兼ねなくいろんな話もできるのかもしれない。

ひょんなことから、Facebookに「〇〇年 五所川原高校卒業生」という自分の同窓生のFBページを見つけた。

そこには、数年前に行われた同窓会の写真なども載っていた。

自分の友人の顔も見つけた。

女性はちょっとわからない顔も多かったが、男はけっこうわかる。

髪は真っ白になっている友達もいた。

「あーこんな感じなら、次は参加してもいいかな」と思っていた矢先。

「本間さんですか?ワ、だよワ。〇〇だよ」

といきなり店に電話がかかってきた。

高校時代のクラスメートからだった。

36年ぶりだろうか?

声のかんじは少し変わっていた気がしたが、その喋り口調からすぐに彼の顔が浮かんだ。

彼は某銀行の大鰐支店に勤務していた。

その大鰐に高校時代の担任の先生が住んでいるとのことだった。

そして先生にお会いした際、是非「当時の生徒と一緒に飲みたい」との話になったらしい。

そしてどういうわけか、私のところにも連絡が来たのだった。

集まるのは先生の他に、同窓生が私を入れて5人。

何十年ぶりかに再会することができる、小さな「同窓会」である。

それが、今晩、開かれる。

左上、自分。今夜、再会する仲間も。写ってる先生は担任ではない(笑)

別に、昔、恋焦がれた人に会うわけでもないのだけれど…

少しだけ緊張した気分を味わいながら、夜の鍛冶町に向かうとしよう。

 

 


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