宿題
FamilyMartのイートインで娘の宿題に付き合っている。
3桁や4桁のわり算。
単なるわり算の計算ではなく、ひとつの計算式を応用して他の計算問題を解く、というもの。

1800 ÷ 600 = 3 のきまりを使って
◯ ÷ 300 = 3 18000 ÷ ◯ = 3 などを解く。
パッと見で、そのきまりも解るし、答も解る。でも教え方がわからない。
いや、自分では「こう教えれば、解るだろう」という教え方で教えているつもりだが、答が間違っている。ということは、教え方が良くないのだろう。
コンビニの中で娘がブチ切れている。おー怖い(-.-)
学校から帰るとすぐゲームを手にする。簡単には終わらない。
個人的にゲームは嫌いだが、宿題を忘れて次の日に学校に行っても、別にいいと思っている。本人さえ良ければ。
自分が小学生だった頃はこんなに宿題は多くなかった気がする。今はあきらかに、多い。でも当の本人は、ゲームばっかりしているわりには、ちゃんとやっていかないとダメらしい。
将来、やるべき仕事をキチンとするためには、こういう宿題をしっかりとやる、ということが基本になるのだ。という考えも、世の中にはあるのだろう。
確かに、やらなければいけない環境を作った方が、子供もやらざるを得ない。そうした方が、いい高校や大学に行けるのだろう。
しかし、これはある意味、恐怖政治にも等しい。
宿題をやりこなさないと、自分は世の中から落ちこぼれていってしまう…という恐怖を植え付けているのではないだろうか。あまり、教育に熱心ではない自分だから、そう思うのだろうか。
別に、今通っている学校や、教えてくださっている先生を批判しているわけではない。詳しくはわからないけど、全国的にそういう仕組みなんだろう。
満遍なく、いろんな教科を学ぶことで、将来に向けて多くの選択肢を用意しておく必要がある。
グローバルなこの時代、例えばアジアでも韓国やインドなど教育に熱心な国々に負けるわけにはいかない。
などなど、おカミ的な考えや事情があるのかもしれない。
自分的には、小学生のうちからでも、その子の好きな科目や得意な科目における能力が、さらに伸びるようなカリキュラム作りができている方が、学習に対する意欲も湧くのではないか?と思うのだが。全てを満遍なく学習するよりも。
そんな簡単にはいかないんだろうなあ〜
教育学部に進みながら、服屋をやっている自分の考えなどは、きっとマイノリティなのかもしれない。
なんて小難しいことを書いていたら、娘はちゃっかり宿題を終え、帰る準備をしていた。
大人がいろんなことを憂慮して、あーだこーだ言ってるのを見ながら、子供ってしっかりとした考えを持ち、成長していくのかもしれない。
少なくとも、自分が同じ年齢だった頃は…
鼻水をぬぐった袖口がカピカピになりながら、馬の糞を踏んづけて面白がっていたのだ。

そういえば、小さい頃、馬の糞を踏めばジャマ(身長)がオガる(伸びる)と言われたけど。
伸びなかったな、結局(笑)
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