選挙 – vote –
2018年4月8日。今日は弘前市長選挙投票日。
投票日当日に、具体的な立候補者の応援やSNSでのシェアは違反らしい。あまり生々しい話を書くつもりはないが、どうやら今回の市長選は接戦らしく、いつも以上に今夜の結果に注目が集まっているようだ。
ブログでは政治的なことはほとんど書いたことがない。政治に関心が薄いというわけではないけれど、人一倍関心が強いということもない。以前、友人のご尊父が県会議員に出馬したときは、一生懸命応援したこともあった。しかし個人的に注目したのはそのときだけだったかもしれない。
もちろん、全国的に「消費税導入」や市レベルでの「ジョッパル再生事業」など注目すべき争点が存在するときは、やはり選挙の結果やその後の動向は大いに気になったものだ。しかし、立候補者自身がいったいどういう人なのか?ということにはあまり強い関心を持ったことがない。おそらく、小学校から中・高と弘前で育ち暮らしていれば、またその人に対する思いや考えも違うのだろう。
自分は鰺ヶ沢で生まれ育った。住んだ年数はすでに弘前の方が長くなっているのだが、この街で暮らしているとたまに気になることがある。それは「学区」や「学校」単位で話をする人が多いことである。鰺ヶ沢のような田舎では、そういうことはほとんどなかった。
特に娘が学校に通い始めてからもそうだし、店でお客さんと話をしていてもそうだ。「附属小・中学校」の存在も大きいのかもしれないが、「どこどこの学校の何期生」みたいな話がよく出る。それだけ「学校」単位や「同窓生」単位の結びつきが強いのだろう。
だからそういう面において、弘前という街にいる自分は、昔からなんとなく部外者的な感情があったのは確かで、20代、30代の頃は選挙に興味が薄かった気がする。むしろ、地元の鰺ヶ沢での選挙の方が気になったものだ。親戚が出馬したり、親父の知り合いが出馬したり。親父も水道業をやっていたので、誰が町長になるか議員になるかで、まさに「明日飯が食えるのだろうか」の思いをしながら選挙を見ていたのかもしれない。
しかし遥か遠い昔の自分に遡ると、「選挙」に関心がないどころか、実はよく「立候補」していたことを思い出した。小学校時代、5年生のときに「書記」、6年生では「児童会副会長」に立候補した。中学校では、2年生のときに「学年委員長」、3年生では「生徒会書記」をした記憶がある。
でも自らやりたくて「立候補」したのではなかったと思う。先生か友人が担ぎ上げて、じゃあやってみるかなあ~みたいなノリだったのか…よく憶えていない。でもいわゆる「運営チーム」に属するのは好きだったのだと思う。決して「トップ」ではなくて、傍らで「サポート」するのが楽しくやりがいがあったのだろう。きっとそれは今現在も変わらずで、例えば友人が運営する「岩木山ヒルクライム」や娘の「合唱部」でも写真撮影や発声のアドバイス等、なにかしらサポートするのが好きなのだ、きっと。
一度だけ、自分にとって「青天の霹靂」なことがあった。高校時代、音楽部に所属していたのだが、当時の音楽部はマンモス部でピーク時には90名くらいもの部員がいた。私が3年生になったときに新しい部長を決める選挙があった。私は何故かその日、部活を休んだ。具合が悪かったのか、選挙がイヤだったのかは忘れたが、その日の夜に友達の女子部員から電話があった。「あんた部長さなったよ。よろしく」 本人がいない場で決めてしまう選挙って何だんずや?と思った。その新しく選出された部長は、先生からもあきられてしまうリーダーの資格のない部長であった。
コンクールで好成績を残し、全校集会で表彰されるときには自分が壇上に上がるのが役目だった。90名いる音楽部のうち女子が70名ほども占めていたものだから、どこからか「スケコマシ、スケコマシ…」とお経のような声が講堂に響いたのをよく憶えている。あんなに大人しい高校生だったのに。
まあ、そんなくだらない自分の選挙話はどうでもよい。今夜遅くには誰がこの街のトップに立つのかは判明しているだろう。
一市民として、一商売人として、ひとつだけ実践してほしいことがある。それは、市民から預かったお金を「クリエイティブに使ってほしい」ということ。それ一点のみである。
市のイベントや公共工事などメインとなる事業の他にも、ゴミ収集や除雪などにかかる経費、街の子供たちや生活弱者への補助。そして公務員皆さんに支払われる給与。これらは全て市民から預かったお金で賄われる。
いくら目立つイベントを手がけてもそれが次に繋がらなければ、かけたお金は無駄。有名な建築家にりっぱなハコモノを建ててもらっても、それが有効活用されずに維持費ばっかりかかるのならば、それもお金の無駄。その場その場の(点)で判断せずに、時間という時間軸(線)と地域という広い円(面)を併せ持った広い視野で「預かったお金」をクリエイティブに使って欲しいと思う。だから「行政のトップ」は、自身がクリエイティブなデザインができなくとも、「クリエイティブな人間を見極める目」を持って欲しいと思う。
自分のような政治に疎い人間に言われなくてもとっくにわかってる…という話かもしれないし、どの地域でも昔から言われていることであろう。ただ、弘前という街は昔から、歴史のある「文化都市」「芸術都市」などと言われているが故に、無理やり何かしらの注目されそうなイベントやハコモノを企画しなくてはいけない…という見えない呪縛があるような気がするのだ。
もう少しで始まる「桜まつり」もしかり。インバウンドの流れもあり、とにかく動員の人数ばかりが騒がれる近年だが、かつて中土手で店をやっていた頃は、桜まつりを楽しんだあとは土手町でお買い物、みたいのがひとつのセットだった。しかし最近は長い渋滞時間を車の中で過ごし、桜を見てインスタ映えする写真を撮って終わりみたいな…なんとも味気なく、しまいに商店街にお金も落ちることも少ない。ここ数年はそうなってしまった気がする。
もちろん、それは街で商売をしている自分たちの責任も大いにアリということは重々承知である。バブルの頃は、とにかく「他はどうでも自分のところが売れれば良い」みたいな異様なノリがあった。それだけモノが売れていた時代だった。でも今は違う。節約するというのではなく、上手に使い、運営する。それは街の「店」も「行政」も同じことである。
「何も動かないで口ばっかり」なのが嫌いだし、なによりも自分がそう言われないようにしなければいけない。まずは自分のいる店を少しでも魅力的な店にする努力をしなければならぬ。
弘前ノ 明日ハ 晴レカナ 曇リカナ
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