toggle
2018-06-05

「スランプ」の脱出方法


ここ最近、滅入る日が多い。なにか特別ドカン!とやばいことがあったわけではないのだが、いろんなことがちょっとずつうまくいかなかったりして、テンションも下降気味。そういえば、昨年の7月にも似たようなことを書いていた( ➡️「隔絶された120分 と 忘れられない一日」)が、そういう時期なのだろうか。

そんな「スランプ」を脱出するには、どうしたらいいのだろう。以前「紙に箇条書きにして書き出してみると良い。そうすると、一つひとつが大したことではないのに気付く」というのを何かで読んで、実際やってみたことがある。確かに、そうすると「あ〜どれも何とかなりそうだな」と思い至ったこともあった。

紙に書き出してもいいのだが、せっかくだからココに書いてしまおう。はたして、ブログを書き終わる頃に「スランプ」は解消されているのだろうか。実験してみよう。

 

まずは「仕事」。時代も大きく変わり「モノ」を買うという行為も変化した。それに伴い、自分たちの店もいろいろと「新しいこと」に取り組み始めた。ただ「新しいこと」は先行きも見えないし、リスクも背負う。この歳になっても「新しいこと」を勉強しなければならぬのだが、どうも吸収力が弱くスムーズにはいかない。

さて、この「仕事のスランプ」は自分にとってどれほどのものか?と考えてみると、「新しいプランに取り組めること」、これは紛れもなくエキサイティングなことでワクワクすることだ。それを実現させるためには、勉強しなければならぬ。歳などは関係ない。というか、この歳になっても「新しいこと」を勉強しなければならない今の状況は、自分にとって「幸せなこと」と考えるべきだ。

 

次は趣味の「ロードバイク」。これは分かりきっている。今月末に開催される「チャレンジヒルクライム岩木山」に向けて、全く走れていない「焦り」と全く体重が減らない「焦り」。こうやって文字に書き起こしてしまえば、ただの「笑える話」でしかない。とにかく、走れる日は少しでも走って本番を迎えるだけだ。もう、タイムどうこう言えるようなレベルではないので、とにかく走りきること「完登攀」を目指そう。

 

 

次も趣味の「写真」。これも分かりきっている。単純に「写真」を撮れていないだけのことだ。「写真」に興味が薄れたわけではなく、撮りに赴く機会が減ったのだ。以前は「ツーリング」と「写真」がセットになっていたが、「ツーリング」が減ったことによって「撮ること」も減った。故に、昨年までは積極的に応募していた「フォトコンテスト」も、最近は入賞作品を眺めているだけのことが多い。もしかしたら「撮りたい」と思う対象に変化が生じてきているのかもしれない。『X100F』の手に入れたことだし、昔を思い出して街を歩きながら撮ってみようかな。

 

次は趣味の延長にある、娘の「部活」。この春から、娘の所属する「合唱部」に発声のトレーニングにオジャマしていた。月に2〜3度ほど顔を出すのだが、もちろん自分の休日を使うことになる。決して多くはない休日を娘の「部活」に当てているから、上の二つ(ロードバイクと写真)に費やす時間は必然的に減るのだ。特に何に優先順位を置いているわけではない。ただ、バイクや写真は来年以降も自分のやる気さえあればまだまだできるが、部活に携われるのは正直あと1年半くらい。

子供たちに発声をアドバイスしながらも、自分も一緒になって勉強したり、いろんな歌を歌ったりととても充実した「瞬間(とき)」を過ごさせてもらっている。もちろん、多感な子供たち相手に、こちらの考えが思うように伝わらなかったりと悩むことも多々あるのだが、自分のようなオッさんとは違い子供たちの吸収力は素晴らしいものがあり、1ヶ月ほども経つとガラリと変化していたりする。そしてそれがまた嬉しく、自分にとってもパワーになる。

 

次は娘との「コミュニケーション」。昨年あたりから、iPadやゲームをやるようになり、寝る時間が大幅に遅くなった。当然朝も起きれない。視力も落ちた。何度もiPadを取り上げたり、隠したりもした。何度もいろんな約束事を交わした。その繰り返し。

「パパに似たんだからしょうがないね」と嫁さんに言われたことがある。そうだった。自分が小さい頃は、夜中遅くまでプラモデルを作っていたし、推理小説を読んでいた。中学ではオールナイトニッポンの1部が終了するまでは、必ず聴いていた。20代の頃は、日々明け方まで飲んでいた。そんな親の言うことに、リアリティはないのも当然だ。今の時代、何に興味を持って、それが将来何に活かされるのかなど、頭の凝り固まった大人にはわからないのだ。

 

 

「仕事」「ロードバイク」「写真」「部活」「娘とのコミュニケーション」…それぞれに感じていた「スランプ」を書き連ねてみたが、いやはや何とも「どこがスランプなん?」と一蹴されそうな内容ばかりだった。つまりは、自分自身の「何かあった時にそれを乗り越える能力」が低いというだけのことか。いや、「乗り越えようとする気持ち」が弱い!だけの話ということだ。

 

あ、もう一つ思い出した。車検に膨大な費用がかかったことだ。まあ、これは車に乗っている以上はしょうがない。

これを書き終える頃には、「スランプ」は解消しているのだろうか?と実験してみたが…100%解消というわけにはいかないけれども、やはり書き出してみると一つひとつは大したことがなく、気持ち的にはだいぶサッパリした気がする。

ただ、「何かあった時にそれを乗り越えようとする気持ち」が弱い…ということを自覚し、スランプ気味になりそうだ。

 


関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。