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2018-06-18

『 父の日 』


6月17日の日曜日は、6月の第三日曜日ということで『父の日』だった。家族からは「ウイスキー」をいただいた。ちびちびといただきたいと思う。

5月の『母の日』に比べると、いささかマイナーな感もある『父の日』。 そもそも「父の日っていつ?」と訊かれるときちんと答えられる人はあまりいないかもしれない。

『母の日』も『父の日』も子供が自分の親に何かをプレゼントしたり、手紙を書いたりとか、そういうイメージが強い。でも自分が小学生だった頃を思い返してみると、『母の日』の記憶はあるが『父の日』の記憶はない。小さい頃、親父に何かをプレゼントした記憶がないのだ。

ちょっと調べてみたら『父の日』が定着したのは、『母の日』の随分後になってからのようだ。どちらもアメリカで始まったらしいのだが、『母の日』は1940年代に伝わり、1947年頃には定着したらしい。それに比べ『父の日』は1970年代に伝わり、日本で定着したのは1980年代に入ってからとのことだった。

ということは、自分もすでに大学生になっていた頃だ。その頃の自分は、親に対して何かをプレゼントするという考えはおそらくなかったと思うし、どちらかといえば、早く親元を離れて自由に暮らしたい願望が強かったように思う。親不孝な息子である。父も母も、孫の顔を見ることなく亡くなったし。

 

その孫=娘と、たまたま仕事が休みだったので、日曜日を一緒に過ごした。午前中は部活の合唱部を久しぶりに見学。実は「岩木山ヒルクライム」が開催される同じ日に、子供達が老人施設を訪問して演奏をするらしいのだ。なので顧問の先生も子供達も気合が入っていた。

私も無事に「ヒルクラ」を終えられたら、演奏会に同行してビデオ撮影をしようと思っている。「ヒルクラ」は来年、再来年以降もなんとか出場できると思うが(タイムは別にして)、子供達の演奏を記録する機会はあと1年少しだ。なるべくそういう機会には参加しようと思うのだ。

お昼に練習が終わり、自宅でラーメンを作って食べた。そのあとは一緒に買い物に出かけることにした。というのも、月曜日から【自然体験教室】という学校イベントがあるらしく。「岩木青少年スポーツセンター」に宿泊して、焼板製作をしたりキャンプファイヤーをしたりするのだそうだ。

持っていくものをチェックするとビックリするくらい多い。1泊なのにやたらと着替えが多いし、洗面道具や風呂道具も一式必要らしい。先日スポーツ店で大きめのリュックは買っておいた。「バートン」のなかなか配色の良いリュック。娘はどちらかといえば形よりも色に拘るタイプだ(笑。 華奢で背の小さい娘には少々デカイリュックだったが、あの着替えの量を考えるとちょうど良い大きさかもしれない。

旅行用の洗面セットなどがなかったので買いに行くことにした。さくら野のドラッグストアを覗いていたら、そこでほとんどのものが揃いそうだったので、すべてそこで済ませることにした…はいいのだが、ひとつだけ問題があった。生◎用品を買わないといけないのだ。

これはなかなかの難関である。身体が小さく早生れの娘にはまだまだ来そうにもないが、念のため女子は全員持参しなければいけないらしい。娘本人もどんなのが良いのか全くわからないようだったが、もちろん私自身もわからない。店員さんに聞いてみようかな?とも思ったが、なんかそれも面倒な感じ。「どうせまだ使わないよな!」と、二人で笑いながら適当なのを買った。娘と恥ずかしがらずにこんな話をするようになるとは、思ってもみなかった。

自宅に帰ってから荷造りをしてみると、デカイリュックが見事にパンパンになった。娘の表情を見ると楽しそうでもあるけれど、少し不安そうな表情もしている。そういえば家族の同行なしでどこかに泊まるのは初めてかもしれない。

「なんか不安あるか?」と聞くと「キャンプファイヤーとか、外での作業」と言う。「なんで?楽しそうじゃん」というと「虫が怖い」とのこと(笑。どうやら「寂しさ」とかよりも、とにかく「虫」がイヤなのだそうだ。虫よけスプレーも買ったので大丈夫だろう。

 

山ロックにて。1年生。


 

わざわざ感謝してもらう日など何となく義務的に感じて、別になくてもいいのに…と個人的には思ったりしていたが、二人で初めて生◎用品を買ったことで、はからずも「親」を感じられる一日になった。娘からのステキな『父の日』のプレゼントだったのかもしれない。

 

追記:ちょうど娘たちが体験教室に行った朝、大阪で大きな地震があり、娘と同じくらいの女の子が亡くなりました。心苦しい一日になりました。女の子のご冥福をお祈りします。

 


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