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2018-06-26

『チャレンジヒルクライム岩木山 2018』 を終えて


2018年の「ヒルクラ」も終わった。「昨年は、どのくらい情けない走りをしていたのだろう?」来年になって、それを確認するためにも6月24日(日)のことを書いておこうと思う。

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日曜日、朝5時起床。窓の外はすでに明るい。(岩木山は見えているだろうか?)サンダルを履いて外に出てみた。

うっすらと曇りがかった空ではあったが岩木山は頂まで姿を現していた。ここ数年は、天候に恵まれなかったことも多かったが、今日は気持ちの良い「ヒルクラ」になるだろう。

急いで身支度をする。いつもは赤い「絶倫ジャージ」を着て出ていたが、今回は「CHARI&CO」のウェアを着ることにした。少し余裕のあるシルエットだが、風の抵抗をあまり受けない上りだけのレースだから、影響はないだろう。

 

何がなくてもコレがなくてはならないボトルと、水に溶かす「電解質パウダー」そして「2RUN」。メットとグローブとシューズをまとめて袋に入れる。

撮るかどうかわからないが、一応カメラも持つ。それらを車に積み込み、シートを倒してバラしたバイクも積み込んだ。

 

まだ人気のない道を岩木山に向かって走る。

「ヒルクラ」当日に岩木山に向かって走るのは、すでに5回ほど経験しているが、やはり岩木山の姿が見えていると気持ちがいい。鉛色の雲に覆われていると気持ちまで不安になったものだ。

樋の口イオンの向かいにあるファミマで阿保さんと待ち合わせをしていた。おにぎりとサンドウィッチを買った。約束の時間になっても阿保さんが来ないので「おかしいな?」と思っていたら、別の場所に行っていたらしい。10分ほど遅れて「ゴメンゴメン」と阿保さんがやってきた。

朝から「阿保さん節」に癒されて、二人で岩木山に向かった。阿保さんと相談して、今回は受付を済ませたら、そのままスカイラインゲートまで行き、そこの駐車場に停めることにした。総合公園の駐車場はすでに多くの車がいたし、上の駐車場のほうがスタート地点にも近い。

スカイラインゲートの駐車場にはまだそんなに多くの車がいなかったので、日陰に停め、すぐ準備を始めた。阿保さんは、まるでキャンプにでも来たかのように、ミニテーブルを置いて食べ物やドリンクをずらりと並べていた。なんとも心強い。

 

余裕の阿保さん

 

バイクにホイールをはめる。阿保さんに少しだけシートの位置を調整してもらう。工具類の準備もバッチリだ。

少しだけスカイラインゲート付近を走る。本格的に走る人は、レースの前にかなり脚を回して心拍も上げておくようだが、そこまですると疲れてしまいそうなので軽く走る程度にしておく。とにかく今日の目標は「脚を攣らずに上りきること」

昨年は春先に腰を痛め、さらに「ヒルクラ」直前に膝裏の腱を痛め、「ヒルクラ」本番で両脚を攣り…と散々なシーズンであった。ヒルクライムには挑みたいけど、怪我をすることに臆病になってしまった1年だった。

それでもやはり、年に一度の「岩木山スカイライン」を上るチャンスを逃したくはない。完登攀を祈りながら「2RUN」を喉に流し込み、阿保さんとスタート地点に向かった。

 

 

スタート地点にはすでに多くの人が並んでいた。知り合いの列にまぜてもらう。10kmコースの我々は9時スタートの予定だが、先にスタートする15kmコースの選手の通過を沿道に待機しながら待つ。

しばらく待っていると先頭の選手がやってきた。ものすごいスピードだ。先頭に続けと後方からビュンビュンと音をたてて選手が通り過ぎる。それにしても、みんな体つきが細くしなやかで美しい。自分みたいのは一人もいない。

 

「10kmのみなさんスタートの準備をしてください!」とアナウンスがかかる。私は阿保さんの後ろに位置を取り、バイクにまたがりビンディングをカチッとはめた。

「パァーン!」という音とともに一斉にスタート。スタート直後は接触が怖いので、無理にスピードを出さないようにする。しかし右から左からとものすごい勢いでみんなが追い越していく。スカイラインゲートを越えるといよいよここからが激坂の始まりだ。私はとにかく無理をしないようにと言い聞かせて脚を回した。

料金所が見えてきた。スタートしてから料金所の間までにかなりの人に抜かれた。100人近くの人に抜かれたかもしれない。私はそれでも焦ることなくなるべく同じペースで走ることを心がけた。

69ものカーブがあるスカイラインだが、そのひとつひとつに何番目のカーブかを示す小さな標識がある。最初のうちはその数字がなかなか減らずに気持ちが折れそうになるので、できるだけ見ないようにして上った。

以前まではガーミン(サイクルコンピュータのひとつ)でケイデンスや心拍をチェックし、1kmを走るペースを計算しながら上っていた。

しかしその計算したペースに脚がついていかないと、気持ちばかりが焦ってしまうので、前回のヒルクラからは外していた。ただタイメックスのアナログ時計をハンドルに巻いていたので、1kmごとに設置されている「あと◎km」の看板を見るたびに大体のペースはわかっていた。

 

3kmを過ぎたあたりからは、抜くことも抜かれることもなく一人淡々と走っていた。もしかしたらほとんど後ろにいないのかもしれない。前方に親子のチャリダーがいた。子供は小学生だろうか。くるくると脚を軽快に回していた。

5km地点まで来ると、給水エイドが設置されていた。そのまま通り過ぎようかと思ったが、私は満を持してそこで「2RUN」を飲むことにした。

知り合いのパンダさんから水を1杯もらい「2RUN」を一粒飲み込んだ。ほんの20秒ほど立ち止まっただけだったが、なんとなく気持ちも脚も少しだけチカラが湧いてきた気がした。

 

「攣り」を怖れていたせいか、かなりのゆっくりタイムであることは自覚していた。両足が攣った昨年より少し遅いペースだった。今から取り返すのは厳しそうだったが、少し気合を入れ直した。

ゆっくりペースだったせいか心肺はまだ余裕があった。給水で少し離されていた親子ライダーを追い抜いた。そしてまた一人、また一人と追い抜いた。

カーブの数も3分の2あたりまできたところで、バードさんが「本間さーん」と声をかけてくれた。走りのスペシャリストに無様な姿を見られ、恥ずかしくなったが、チカラをもらうことができた。

 

路の両脇の木々が少なくなるとコンクリートの壁が現れる。ゴールが近づいてきた証拠だ。しかし風が強い。追い風のときはいいが、向かい風のときは身体を丸くする。

カーブも60を超えると上の方から声援が聞こえてくる。その声にチカラをもらって、さらに一人、二人と追い抜いた。最終的に5km地点から、20人抜いた。どんだけ後ろにいたのだろうか。

68番目のカーブを曲がるとリフトが見えてきた。最後は柄にもなくダンシングでゴールまで走った。声援が大きい。恥ずかしさとなんとも言えぬ気持ちで、下を向いたまま脚を回した。

ゴール!「弘樹!よくやった!」ゴールにいたチィ先輩が叫んだ。

 

最後の方の選手を出迎える
卓ちゃんと雄ちゃん

 

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ゴールした8合目には知っている顔がたくさんあった。私もトマトを頬張りながら、数人と談笑した。

昨年のような屈辱感はなかった。でも脚のことを心配するあまり、全く攻めることのできなかった走りに充実感はなかった。いや、攻めたとしてもそんなにタイムは変わらなかったかもしれない。日々走っていなかったのだから。

いつもであれば、下山のときは最後まで残り写真を撮っていたが、今年は真っ先に下った。昼から娘の合唱部が慰問演奏へ行く予定だったからだ。

スカイラインゲートまで一気に下り降りて、すぐに車にバイクを積み込んだ。車を出そうとしたところで阿保さんが戻って来た。阿保さんは、今回は満足した走りができたようでご機嫌だった。

私は阿保さんに別れを告げて、スカイラインをあとにした。しばらく走ると、総合公園に走り終えた多くのチャリダーが集結していた。その様子をぼーっと眺めながら弘前の街に向けて車を走らせた。

 

 

年に一度のこの大会は、毎回何かを学ばせてくれる。

今年もいろいろ学ばせてもらった。反省材料もたくさんあった。

しかし、学ぶことよりも、その反省材料をこれからの1年にどう生かしていくか…それが人間の成長なのかもしれない。

 


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