「音楽」の授業
今日は参観日だった。いつもは1時間目を参観して、その後に仕事に行くことが多かったが、今日は昼休みを利用して4時間目の「音楽」の授業を参観した。
場所は音楽室。娘の合唱部の部活で度々おじゃましているので、自分にとっても慣れた場所だ。教えてくださる先生も担任の先生ではなく、合唱部顧問の先生だ。授業の内容は、2声部に分かれての合唱と、ピアニカを使っての和音の勉強だった。
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今でこそ、子供たちに発声のことを指導したり、たまにステージで歌ったりということはあるが、今思えば小さい頃の「音楽」の授業はあまり好きではなかったように思う。小学生の男子であれば、アウトドア派ならやはり体育、インドア派なら図工が好きだったはずだ。
自分はドッジボールがある体育が好きだったし、写生大会がある図工はもっと好きだった。おそらく、個人でチカラを発揮出来るものが好きだったのだと思う。絵を描くのはまさに自分を表現するのに合っていたと思うし、野球などはチーム競技ではあったけど、バッティングやゴロをさばくのは個人技として魅力のあるものだった。
それに対して「音楽」は、生徒みんなで歌う、器楽演奏するということが多く、あまり好きになれなかった。歌を聴くこと、歌うことは嫌いではなかったと思うが、なんとなく「音楽を好き」ということに、女の子っぽいイメージがあったのかもしれない。まだロックバンドに憧れる年齢でもなかったし、まわりに「オシャレな音楽」に通じている人もいなかった。
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授業の中で、子供たちはピアニカを使いながら和音を学んでいた。「ドミソ」「ファラド」「ソシレ」を叩いていた。曲は「静かに眠れ」という曲だったが、最初に子供たちが合唱で歌ってくれたのを聴き、懐かしさがこみ上げた。それは何十年ぶりかに聴いたフォスターの「主人(あるじ)は冷たい土の中に」だった。現在の教科書では「静かに眠れ」という題名になっているのだろうか。
いろいろなポップスソングなども、教科書に載るようになった今の時代ではあるが、やはり昔から教材として歌い継がれている「世界の名曲」はいいものだ。小学生の頃に聴いた「美しい」メロディーは心の中にずっと残っているのもである。
小学生の頃の男子は、体育や図工が好きと書いたけど、誰もが大人になって運動を続けているわけではないし、まして芸術活動をしている大人となれば、かなり少ないと思う。しかし「音楽」に関して言えば、歌ったり演奏をしている人はごく限られているかもしれないが、「聴く」という意味では、かなり多くの人が何かしらの「音楽」を聴いているはずだ。
もちろん学校教育ではなく、中高生あたりからいろんなメディアの影響を受けて「音楽」に興味を持ち出すのだろうが、多くの人たちは40代になっても50代になっても、お爺ちゃんお婆ちゃんになっても「音楽」を聴くことはヤメないと思う。
それだけ「音楽」は人間にとって身近なものなのだろう。
普通のクラスの授業での合唱は、合唱部などとは違い、元気はあるがあまり上手くないことが多かったりするけれど、いやいやどうして声の張りもいいし、ハーモニーもしっかりと決まっていた。やはり日頃から合唱を指導していらっしゃる先生の授業だからなのだろう。
スポーツや音楽は、指導者次第だと言われることが多い。個人種目・演奏であれば、その子供個人のオリジナリティで実力が発揮されることもあるかもしれないが、チームワークを要求されるスポーツや合唱、吹奏楽などはやはり指導者の存在が大きいと思う。
それは、いろんな意味においてもそうかもしれない。中には試合に勝つ、コンクールで優勝するということに長けている指導者もいれば、その競技や音楽を楽しんで、長く続けること、愛すること、にチカラを注ぐ指導者もいるだろう。もちろん、その両方を体現できる優秀な人もいるだろう。
顧問の先生は、子供たちと一緒になりコンクールを目指して日々頑張っている。しかし歌うことの指導と同時に、人間として生きていく上で、大切なことも常に指導の中に盛り込んでいる。「きちんと挨拶をすること」「しっかり人の話を聞くこと」「まわりの人に対して思いやりを持つこと」
きっと、ここで「音楽」の授業を習った子供たちは、大人になっても「音楽」を好きでいてくれるのではないだろうか。
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