台風・地震・24時間心電図
9月4日の夜、台風が津軽を襲った。昼ころに四国に上陸し、その後近畿に再上陸した台風21号。大阪の街は猛烈な暴風の渦に呑みこまれた。
屋根は吹き飛ばされ、自動車は転がり、そして関西の玄関口でもある関西国際空港は水没し機能が停止した。
その猛烈な台風が、日本海を抜けて一気に北へ向かって進む。夕方から強風が吹き始めた弘前の街。収穫前のリンゴの落果を心配するニュースが立て続けに流れていた。27年前の「台風19号」が、多くの市民の頭をよぎったに違いない。
夜10時を過ぎると風が勢いを増し始めた。ゴォーと凄まじい音を立てて風がうなる。ときおり家がミシっと揺れる。隣地のねぷた小屋が飛んできたらどうしよう。寝室のガラスがバシャーンと砕け散ったらどうしよう。(無駄だろうな…)とは思いながも布団を頭からかぶった。
夜が明けると、外は思いのほか静かであった。カーテンを開けると、いくぶん青空も覗いていた。テレビを点けてみると、台風はすでに北海道の方に抜けていた。それでもまだかなりの強さを維持しているらしく、札幌あたりでも停電になっている地域があるようだ。津軽の被害はどうだったのだろう。テレビでの被害の中継は、関西国際空港のニュースがほとんどだった。
知り合いのリンゴ農家にメッセージをしてみた。ほどなくして返事。数本の倒木や若干の落果があったようだが、最小限の被害で済んだようだ…とのことだった。被害があったことは悲しいことではあるけれど、それでも最小限で済んで良かった。ただ、場所によってはかなり被害があったようだし、今後台風や大雨による被害が出ないことを願う。
そんな自然災害の怖さを体感した一日であったが、日付が変わった未明の3時。なんとも妙な感じがして目が覚めた。隣で寝ている娘が私の身体を揺らしているようだった。「なんだよ…相変わらず寝相が悪いな」と寝ぼけながら思ったが長い。揺れが長い。「地震だ」とはっきりと目が覚めた。この揺れの長さは、東日本大震災の時の揺れを思い出させた。津軽あたりが震源の地震というのは滅多にない。それでいてそこそこ大きな揺れを感じるということは、どこか離れたところで、かなり大きな地震があったことが考えられる。
咄嗟に携帯のYahooニュースを見た。「北海道で震度6強」とあった。しかも苫小牧や札幌が近い。友人も何人かいる。大丈夫だろうか。ただ外はまだ暗いし、情報もあまりない。なんとも気持ちがザワザワとしたまま少しだけ眠った。
朝起きてすぐテレビを点けた。大都会札幌は全てが電源を失い、道路は陥没していた。震源に近い町では数キロに渡り山が崩れ、多くの建物が土砂に飲み込まれていた。予想をはるかに超えた大地震だった。
朝に数人の友人にメッセージを送っていたが、しばらくして「無事」との返信があった。ただ、停電で何もできないらしく、仕事にも行けずにに自宅待機をしているという状況のようだった。
それにしても、過去にも例がないような猛烈な台風と、巨大な地震が二日続けて私たちを襲うとは、日本は、地球はどうなってしまったのであろうか。「数十年に一度の…」と形容される人間の感覚は、数億年単位で生きる地球にとっては、ほんの一瞬の出来事に過ぎないのかもしれない。
でもわずか数十年しか生きることのできない人間にとっては、あの数分間の揺れはとても長く感じる時間だった。地震から一日が経っても、まだ土砂から救うことのできない方々がたくさんいる。なんとか早い救出を願うとともに、多くの人に少しでも早く援助が届いて欲しいと思う。
そして地震のあった翌日、先日装着した「24時間心電図ホルター」の結果を訊くために病院へ向かった。二日連続の自然災害を目の当たりにし、あまり目覚めも良くないここ数日だったので、なんとなく病院への足取りも重いものを感じた。
待合室で40分ほど待たされた。待合室のテレビは、今日も地震の被害の状況を伝えている。一日経っても北海道の半分ほどの世帯が停電したままのようだ。少し前まで、心電図計をつけていた自分にとっては、なんとも複雑な思いがした。
「本間さ〜ん」と呼ばれ、診察室に入る。先生の話によると、心電図からは特別良くない傾向は見られないということだった。少しだけ安心した。しかし、採血の結果はあまり良いと言える結果ではなかったようだ。ここ数ヶ月ロードも走れてなかったし、正直ドロドロな血液を覚悟していた。しかし、問題はそちらではなく尿酸値の高さだった。どうやら値が少し高めらしい。このままだと「痛風」になると言われた。
検査の結果を訊き、病院を後にしながら、自分の身体がまだなんとか大丈夫そうなことにホッとした。そして、強い風が「台風」なのはわかるが、尿酸値が上がると「痛風」になるのは何故なのだろうと、ふと思った。が、それもほんの一瞬思っただけで、仕事から帰っての一杯はビール1缶だけにしよう..と決めた。
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