toggle
2018-09-11

「宮城県農業高等学校」& 先輩との再会 / 【NHK全国音楽コンクール東北大会】 


8月半ばに開催された「NHK全国音楽コンクール青森県大会」にて東北大会出場を決めた和徳小学校の合唱部。東北大会は毎年、宮城県の名取市と決まっている。どういう理由があるのかわからないが、東北6県の持ち回りではないので、我々のように遠方にある学校は遠征の度にいろいろな苦労もあり、また費用もかさむ。

引率する父母会の方々も、バスの中での子供達への気配り、ホテルでの部屋割りや寝かしつけ、朝の制服の着替え・チェックなど、小学生相手だけに苦労も絶えない。それでも、東北大会出場や他県への遠征というものは、子供たちのこれからの人生にとって貴重な経験になるはず…そう思えるからこそ、保護者もまた頑張れるのかもしれない。

今年は県大会の時期がいつもより遅かったために、東北大会に向けての準備がかなりバタバタしたものとなった。ホテルやバスの手配は比較的スムーズにできたのだが、難航したのが現地での練習場所の確保だった。会場でもある名取市文化会館近辺の小中学校をあたったのだが、どういうわけか全ての学校に断られてしまった。お願いするタイミングが遅かったせいなのか、それとも多くの学校が声を揃えて断っているのか…詳しい事情はわからない。もしかしたら機械警備になっている昨今、なかなか他校に貸し出すというのも難しいのかもしれない。ホテルにも問い合わせてみたが、他の宿泊客もいるので声を出しての練習はちょっと…という返事だった。まあ、当然のことだろう。

顧問の先生も、もう少し範囲を広げていろいろと問い合わせをしている様子だったが、快い返事をもらえない状況に変わりはないようだった。私も、宮城県の教員に知り合いはいなかったか?と思い返してみた。確か大学のときの一つしたの後輩が、そこそこ偉くなっているという話を聞いたことがある。県内にいる知人友人に問い合わせてみた…が、誰もその後輩の今を知る者はいなかった。

同じ教職員とは言え、県境を越えてまで情報を得るというのは難しいものらしい。このままでは、本番前の練習ができないかもしれない。自分が顧問なわけでもないのだが、私は少し焦りながら携帯のアドレスをスクロールしてみた。ふと、ひとりの名前に目がとまる。その人の名前のあとには「GW」と書かれてあった。「GW」それは仙台にある合唱団「グリーン・ウッド・ハーモニー」のことだった。

その人、M先輩は私が大学の時に歌っていた「ヒロコン」の二つ上の先輩だった。たしか3年生のときにソプラノのパートリーダーをしていた。M先輩は卒業後、故郷の宮城県で仕事をされていて、そして全国的にも有名な合唱団「グリーン・ウッド・ハーモニー」で歌っていた。私自身も歌っていた時期があったので、何度か全日本合唱コンクールの東北大会で会うことはあったが、最近はまったく会う機会はなく、もちろん連絡を取るということもなかった。

M先輩の携帯番号を見ると、メールのアドレスも入っていた。いつメルアドの交換をしたのか、すでに記憶にはなかったが、いきなり電話をするのもなんとなく失礼かなと思い、メールをしてみることにした。今回の経緯を簡単に書いて、ひとつ下の後輩のことも聞いてみた。

まもなくして返事が来た。やはりM先輩も、後輩が今どこの学校に勤めているのかは、わからないとのことだった。ただ、M先輩の友人が名取にお住まいらしく、少しあたってみる…という返事をいただいた。メールを送った翌日、私は久しぶりにロードバイクで岩木山神社まで走っていた。その帰り、バイパスを下っている途中、背中の携帯電話がブルブル震えた。バイクを停め、電話を見ると先輩からの電話だった。電話に出ると第一声「練習場所!取れたよ!」

「宮城県農業高等学校」という名取市にある高校だ。以前、M先輩も努めたことのある学校とのこと。そしてその高校の音楽の先生も「グリーン・ウッド・ハーモニー」のメンバーということだった。「宮農」と呼ばれるこの高校は、日本で最も古い農業高校として有名らしく、以前は名取の沿岸沿いに建っていたらしい。しかし、2011年東日本大震災での大津波により、校舎は甚大な被害を受けたのだそうだ。そして昨年、名取市の山側にある田園地帯に新しい校舎が完成したのだそうだ。

早速、合唱部の顧問の先生に伝えた。先生はとても喜んでくださった。そしてすぐ先方の学校にお礼の電話をしたようだった。そのときの先方の校長先生からこのようなお返事があったそうだ。

「東日本大震災で私たちが甚大な被害を受け大変な思いをしたあのとき、全国の多くの方々から暖かい御支援や励ましのお言葉をいただきました。今度は私たちが恩返しをする番です。私たちでお役に立つのなら、どうぞ校舎をお使いください」

……………………………………………………

9月8日、子供たちと先生、引率者を乗せて、バスは宮城に向かった。私自身は二度目の名取への出発。昨年はなにも分からず、言われるがままに動くだけだった。今年は事前にスケジュール作りにも参加したし、ある程度流れは知っている…と思っていたが、結局指示されるがままに動く使えない父兄だった。

昨年と同じ多賀城のホテルに宿泊。今年の男ボンズどもは比較的おとなしく早めに寝てくれた。前回は寝付けなかった自分だったが、今年は11時ころには寝付いたようだった。

朝5時起床。スムーズに着替えや朝食も済ませ、ホテルをチェックアウト。外は雨が降っていた。我々を乗せたバスは雨の中を名取の「宮農」に向かって走った。山の方とは聞いていたが、駅からそんなに遠くはなく、バスはスムーズに「宮農」についた。広大な田園地帯に建つ「宮農」の校舎はとてもモダンで美しかった。学校の門を入ると、学校の職員の方と、M先輩が出迎えてくれた。

M先輩のために、当日の「Nコン小学校の部」のチケットを用意していたのだが、所属する「グリーン・ウッド・ハーモニー」もまた東北大会に向けて合宿中とのことだった。なので「本番は聴けないけど、「宮農」での練習は見に行きたい」とのことで、足を運んでくださったのだ。M先輩とは数年ぶりの再会だったが、相変わらず若々しく、とてもお孫さんがいるようには見えない。

「宮農」の音楽の先生が、校舎を案内してくださった。新しい校舎はまだ新築の香りがしていた。中の造りも木々がふんだんに使われていて、とてもモダンだ。音楽室に案内された。クラシックギターが何本も飾られている。白いグランドピアノが置かれていた。

顧問の先生から「宮農」の先生とM先輩へのお礼の挨拶があった。そのあと私から子供たちへ、35年前に大学でM先輩と歌っていたことを話した。実は私が2年生、M先輩が4年生のときに、仙台で行われた東北大会で金賞を受賞し、私は初めて全国大会に行くことができたのだった。そのときの4年生の先輩が、今回子供たちのためにこの練習会場を確保してくれた。こうした縁を考えると、「今回は神様が微笑んでくれるかもしれないよ!」と。

M先輩も練習の様子を見学することになった。先生の練習が30分ほど続いたが、会場の下見と受付をするために、先生とピアニストさんが文化会館へ行くことになった。1時間ほどで戻ってくる予定だが、その間私が指導をすることになった。事前に顧問の先生からお願いはされていたが、今回は子供たちの前で指揮をしたことはなかったし、ピアノ伴奏もないので果たしてまともな指導ができるのか、全く自信がなかった。

春から始めたボイストレーニングと日本語のきれいな発音の仕方。これまでは、それらを主にアドバイスしたくらいで、指導と言われるほどのことはしていなかった。でもこの場に及んでそんなことは言ってられない。とにかく自分のやれることをやろう。とにかく子供たちがリラックスできるようなアドバイスをしよう。そう心掛けた。

正直、M先輩の見ている前での指導はやりにくかったけれど、でもその分気持ちも入った。いつも以上に自分でも歌いながらアドバイスをした。本番直前であれもこれもやろうとしても無理だし、へたに顧問の先生と違うことを言ったりすると子供たちも戸惑ってしまう。ソプラノの高音を柔らかく、アルトの低音は身体をリラックスさせてしっかり響かせるように、そして顔をよく動かして日本語をはっきりときれいに。それを何度も繰り返した。

途中のおやつタイムを含め、1時間ほどの私の拙い時間は終了した。戻ってきた先生も、会場を目の当たりにしたせいか気合いも入っている。再度1時間ほど練習をして、「宮農」での時間を終えた。私はM先輩にお礼を言い、娘と一緒に記念写真を撮らせてもらった。双子のお孫さんがいると聞き、自分の店のオリジナルキッズTシャツを色違いでプレゼントした。

練習が終わったあと、M先輩が言った。「やっぱり本番の演奏、聴きにいくわ!」

わずか2時間ほどの練習を見学しただけであったが、M先輩にも親心的なものが働いたのだろうか。いや、やはり合唱人としての血が騒いだのだろうか。私はM先輩にチケットを手渡した。

雨が降る中、大きく手を振るM先輩に見送られ、私たちは「宮農」を後にし「名取市文化会館」に向けて出発した。

 

 


スポンサーリンク
関連記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です