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2018-09-13

子供たちは何を学んだか / 【NHK全国音楽コンクール東北大会】


宮城県農業高等学校」を後にした私たちは、雨が降りしきる中「名取市文化会館」へ向かった。槇文彦氏が設計した「名取市文化会館」はモダンな建築で知られる。今年は是非その全貌をカメラに収めようと思って訪れたのだが、予想以上に雨が降っていたのでカメラを出すことに躊躇いがあった。いや、躊躇いというよりも、台車や子供たちのお弁当や多くの荷物で手が塞がり、写真どころではなかったのだ。  

会場に入るとすぐに子供たちと別れた。「リラックスして頑張れよ!」という声を掛けられなかったのが、少し心残りだった。4階の昼食会場に上がり、ブルーシートを敷いて場所を確保する。そのあと会場の裏口にまわり、地元のスーパーに発注していたお弁当を受け取り、そしてまたそれらを昼食会場に運ぶ。

そのあとは急いでホールの出入り口に向かう。私たちが聴くのは和徳小合唱部の演奏のみである。ドアが開いた。高い観覧席からステージを見下ろすことができる。私は他の保護者の方々と少しだけ離れて座った。子供たちが入ってきた。県大会の時は2列だったが、今回は3列。娘は真ん中の一番後ろに立っていた。

演奏が始まった。昨年聴いたときは、思いのほか自分のところまで響きが届いてこないイメージがあった。ステージまでの距離があるからだろうかと思っていた。しかし今年は違った。柔らかい子供たちの歌声がきれいに流れる。力強い歌声がしっかりと会場全体に響き渡る。そして、はっきりとしたクリアな日本語が美しく聴こえてきた。

これまで何度も子供たちの歌声に涙したが、これほどまでに思いの伝わる素晴らしい演奏は初めてだった。なんて子たちだろうか。自由曲のラストをフォルテシモで歌い上げていたときには、私の視界はすでに歪み、何も見えなくなっていた。

ホールの外に出て、子供たちを出迎えた。みんないい顔をしていた。いつもの場所に集まって集合写真を撮った。外は雨でカメラを出すことはできなかったが、演奏後のロビーでは子供たちの晴れやかな笑顔にレンズを向けることができた。

子供たちがホールに戻り、他校の演奏を聴く間に私たちは昼食の準備をした。広げたブルーシートの上にサンドウィッチやジュースを並べる。差し入れでいただいたおやつも一緒に並べた。やがて子供たちがお腹を空かせた顔で昼食会場にやってきた。閉会式までは30分ほどしかない。誰もが喉つまりしそうな勢いで食べていた。

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審査員の講評が終わり、いよいよ発表のときがきた。演奏そのものは、子供たちの演奏しか聴いていない。でもあの素晴らしい演奏は絶対に入賞できる、いやもし金賞だったら…などという思いもふと過る。

先日、なにかのサイトで全日本吹奏楽コンクールの東北大会の結果を見る機会があった。小学校の部は18校出場で金賞が8校もあった。銀、銅が逆に少なく5校ずつ。どうやら全校が入賞になるシステムらしい。しかし「Nコン」は出場校14校のうち、金が1校。銀が2、銅が3、という入賞するだけでも難度が高い大会なのだ。しかも東北は郡山をはじめとする、全国でもレベルの高い学校がひしめき合う地区なのだ。

銅賞からの発表だった。ここで昨年まで入賞していなかった学校が呼ばれる。和徳は呼ばれない。銀賞の発表。ここでも発表では聞き慣れない学校の名前が呼ばれた。そして和徳はここでも呼ばれない。入賞の常連校が数校残っている。昨年ならここで諦めていたが、今年はわずかだが小さな期待があった。最後の1校、金賞校が発表された。

「キャー!」という声は、和徳の子供たちが座っていた少しだけ離れた席から聴こえてきた。岩手の学校だった。

今年の子供たちの「Nコン」も終わった。昨年は会場の外に出て、顧問の先生がお話をしてくださったが、今年は雨が降っていたので会場の中でお話をしてくれた。しかし、まわりには入賞した学校が嬉しそうに記念写真を撮ったり、何かの歌を歌ったりしていて、先生の話は私の耳にはよく届かなかった。

でも、こういうとき、先生が何を話してくれているかは何となくわかっている。もしかしたら昨年も同じようなことを話したかもしれない。でも…また同じような話をしている、とは誰も思わない。子供たちも思わないし、保護者も誰ひとりとして思わない。むしろ、あらためてその言葉を胸に刻みたいと思いながら、誰もが先生の話を聞いていた。

午後にはすぐ高校の部が始まるということもあり、私たちは会場の外に出なければならなかった。朝からの雨がずっと降り続いていた。私はまたもやバッグからカメラを出す機会を失った。昼食の時に出たゴミ袋を両手に持ち、それを傘代わりにして待機していたバスまで歩いた。

バスは名取市文化会館を後にし、弘前へと向かった。着くのは20時頃だろうか。

バスの中では、子供たちはディズニーのビデオを観ながらいつもの笑顔に戻っていた。こういうときの立ち直りは案外子供の方が早いのかもしれない。私は、昨年と同じように後方の席に座り、ぼーっと流れ行く景色を見ていた。

今年はなんとか入賞させてあげたかったな。あれだけの素晴らしい演奏をしたのだから。でもそんなことを考えるのは大人のエゴかもしれない。そんなことはわかっている。賞に入ることがどれだけ大切だというのか。そんなことはわかっているのだ。

コンクールで得る本当に大切なこと、それは、そこに至るまでの過程で自分たちが何をしてきたかということだ。単調な発声練習、同じ箇所を何度も繰り返し歌う。言葉の発音。そして詩の解釈。そういった地道な練習を、仲間たちと一緒に時間を共有しながら積み重ねてきたこと。それが一番大切なことであり、子供たちが学んだことである。

でもそれは子供たちにとって少し説教めいた話に聞こえるだろうし、もう少し大人になってから気付くことなのかもしれない。

 

バスの中から、今回お世話になったM先輩にメールをした。すぐに返事があった。M先輩は奨励賞だったという結果を聞いて驚いていた。先輩が聞いた中では、「和徳の演奏が最も伝わる素晴らしい演奏だった」とのことだった。

そうだ。身内びいきとしても、子供たちの演奏は私たち引率者を始め、M先輩や会場に足を運んで聴いてくださった保護者の方々を感動させてくれたのだ。それは紛れも無い事実であって、そして今も私の心の中にある。帰ったらそれを子供たちにしっかりと伝えよう。娘にしっかりと話そう。

上で書いたような「コンクールでは賞よりも大切なことがある」ことを、大人がしっかりと伝えるのは大切なことであろうが、今は「君たちの演奏は素晴らしかった!感動して涙がとまらなかったよ!」という思いを素直に伝える方が、子供たちには大切なことなのではないだろうか。

やはり、今回も多くのことを学んだのは、大人たちのほうかもしれない。

 

 


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