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2019-03-04

「写真を撮る理由 – 番外編 ② 」 〜 フォトコンテストのすすめ 〜


フォトコンテストのために写真を撮るというのは、写真を撮る動機としてはあまり聞こえは良くないだろう。

写真が「自分を表現する手段」という考え方と「評価や賞金を得る手段」という少々生々しい考え方にギャップがあるからだと思う。



私は、「写真展」などへの参加は『表現』、「フォトコンテスト」への応募は『挑戦』という考え方で臨んでいる。とくに風景などがテーマのときは、なるべく自分らしいものを選ぶ。キレイな絶景ではなく、あえて陰鬱なやつで挑戦してみる。プロの審査員に向けて「こんな風景もあるぞ!どうだ?」と。しかし、そんな臨み方で入賞することはほぼない(一回だけあった)。

ここ数年は、娘の写真を撮ることも多くなったし、数ヶ月前から一緒に暮らし始めた猫の写真も撮るようになった。これらは、いわゆる「記録写真」であり、数年後に見ると、あの時の「記念写真」であったりもする。これまでは、猫の写真などはそんなに撮ったことはなかったが、応募サイトを見ると「犬・猫」をはじめとした、動物のフォトコンテストが思っていた以上に多い。自分的には、あまり得意な分野ではないのだが、ごく最近応募してみた。

 

このようなかんじで、「フォトコンテスト」に応募するための写真を撮りに行く、ということはないが、定期的に「フォトコンテスト」に応募するようにしている。それは、前に撮った写真を新たな目で見るという機会ができるからだ。3年前に撮った写真でも、今見るとまた別の見え方がするときもある。その写真を今現在の自分の考えに照らし合わせて、現像をし直すこともある。もちろん、「1年以内に撮影したものに限る」など、規定のある場合もあるが(その方が多い)、昔の撮った写真を少し別な角度から見つめなおす作業というのは、意味のあることだ。自身を見つめ直すということにもなる。

写真展を毎月開催するのは至難であるが、毎月何かの「フォトコンテスト」に出品するのは難しくない。最近はデータ応募も増えたので尚更だ。「フォトコンテスト」自体を揶揄する方もいるが、私はどんどん応募してみることをお勧めする。結果を見るときにも、自ずとレベルの高い入賞作品を目にするはずだ。それを見て刺激になる場合もあるだろうし、逆に「自分のやりたいのは、こういう写真ではない」と自覚できるかもしれない。

応募もいろいろと経験して、「もう自分はフォトコンテストなどに出さなくても良い」と思うようになれば、それはひとつの成長であろう。

 

これは「写真」に限ったことではなく、自分が趣味のひとつとして取り組んでいる「ロードバイク」や「音楽」も然りである。

「ロードバイク」のことは、正直語るのが恥ずかしくらいレベルが低く、毎年参加している「チャレンジヒルクライム岩木山」も成績が下がる一方。走る技術がないのは勿論の事なのだが、肝心の体力の衰えが顕著で、いや、衰えは単に練習をしていないからであり、誠に情けない話である。それでも「あーだこーだ」言うよりも、まずレースに参加して自分を試すことが大切だと考えている。自分にとっては「ヒルクライム」に参加すること自体が挑戦そのものなのだ。

「音楽」については「写真」とかなり近いベクトルで考えている。聴くことはもちろん好きなのだが、やはり歌うことの方が好きなのだ。高校・大学とわりと人数の多い団体で歌ってきたが、ここ数年は十数人のアンサンブルで歌っている。各パートが2〜3人のアンサンブル。一人一人の責任も重い。

週に1回、仲間で集まって楽しく歌って終わり。そういう楽しみ方も悪くはないが、レベルの高いコンクールに出場するほうが、日々の練習もより真剣になる。実は、3月末に福島市で開催される「声楽アンサンブルコンテスト全国大会」(アンコン)に出場する。アンコンの全国大会に出るのは初めてだ。他のメンバーに迷惑をかけぬよう、楽譜を睨みながら難しい音をさぐる日々。

 

のんびりと「趣味」を楽しむのもいいが、「挑戦」しながら楽しむのが、自身の楽しみ方と考えている。自分の若い頃は、なるべく勝算あるものに挑んでいた気がするが、この歳になるとたいして失うものもない。まずは、やってみること。あれこれ他人を批評するよりも自分が動くこと。「時間」は限られている。

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*「写真を撮る理由」 長きにわたって拙い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。

音楽も自転車も、自分を見つめ直す価値あるものでしたが、写真はとくにそうでした。大学時代「構成研究室」に属し、写真やシルクスクリーンなど多くの美術デザインを学べる機会がありながら、たいした仕事もせずにだらだらと過ごした「後悔」が、心のどこかにあるのです。それが「写真を撮る理由」のひとつなのでは…と思うときがあります。

「後悔」が、理由のひとつでなくなったとき、自分がほんの少し成長したと言えるのかもしれません。

 


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